第8話 「相違」

 杉浦誠すぎうら まことは、一枚の木板を作業台の上に乗せる。乗せた木板の上に赤い線を何本か引いていく。


 誠は丸ノコを手に持ち、赤い線に沿って切っていく。丸ノコが高速で回転する音と丸ノコが木を切っていく音が重なって大きくなり、部屋中に響き渡る。


 何等分かに切った後、誠は木板の側面にボンドを塗っていく。ボンドが塗られた側面に、別の木板をくっつけていく。くっつけた後、固まるまで待つことにする。誠は

椅子に座り、大きくため息を吐いた。


「疲れるなぁ。まあ、あとはこれだけだもんな」


 誠は部屋の端に置かれた二つの棺桶を見つめる。見つめながら、今日まで棺桶を作り続けた時に感じたことを思い出す。


 棺桶の作り方は、現役の職人が作っている動画を見たり、本を読んだりして学んだ。最初は困難に感じ、作るのに時間がかかった。木を切るにも、まっすぐ切れず、釘を打つのにも苦労した。しかし、何回か作っていくと、次第に慣れていった。完成するまでの時間も短くなっていき、自分の腕が上達していくのを感じられた。


 長い時間をかけて作りあげた棺桶を燃やすというのは、もったいないような気もしていたが、仕方のないことだと誠は考え直した。


 誠はズボンのポケットから、スマホを取り出す。スマホの画面には、2021年8月8日と表示されている。


「もう一週間になるのか」


 誠は一週間前の出来事を頭の中で再生する。横田敏夫よこた としおの泣き叫ぶ声と焼かれている妻の絶叫。敏夫の妻に対する愛情は、と冷めた目で見ていた。最初の実験対象であった松本まつもと親子の時も、そうだった。冷めた感情で見つめながら、こう思った。“僕たちの愛情の強さは誰よりも

強いんだ”と。


 誠はスマホのロックを解き、LINEを開く。ある人物とのトークを開き、メッセージを打ち込む。


 “明日が楽しみだね。愛してるよ、お休み”


 すると、すぐに既読がついた。既読がついてからすぐに、返信が来た。


 “私も愛してる。早く、あなたと一緒になりたい”


 返事のメッセージを見て、誠は笑みを浮かべる。


* * *



 2021年8月9日。二件目の事件から1週間が経過していた。宮本哲也みやもと てつや四谷俊よつや しゅんは、草加警察署で3回目となる捜査会議に出席し

ていた。


 会議室の室内は、前回に比べて重苦しい雰囲気を醸し出している。新たな犠牲者を出してしまったことへの悔しさが、この会議に出席している刑事たちの表情からくみ

取れる。宮本も同じ気持ちであった。


「次、宮本」


 一番前の席に座る村野隆むらの たかし警視が、宮本に呼びかける。


「はい」

 宮本は返事をし、席を立つ。左手に持ったメモ帳を見つめ、これから話す内容を頭

の中で整理する。


「1週間前の8月2日、被害者である横田敏夫さんの証言から、一緒に襲われたとされる男のついて調べました。男の名前は杉浦誠、25歳。現役の消防士です。そして、20年前に起きた放火殺人の被害者でした」


 辺りがざわめき始めた。困惑する表情を見せる刑事たちと違って、村野は表情を崩さないでいる。


四谷和也よつや かずや巡査が亡くなった件か。当時、警察内で話題になっていたのを覚えているよ。燃え広がる家に勝手に入ったのが問題視され、警察官失格なんて声も上がっていた。だが、命を救ったのは、警察官として立派な行為であったと英雄視する声も上がっていたな」


 思い出すように、村野は視線を左上に向けながら話す。宮本は、隣に座る四谷の方に視線を向ける。四谷は何も感じていないかのように無表情のままでいる。


「しかし、それが一体何の関係があるんだ」


「彼には、双子の弟がいます。名前は杉浦実すぎうら みのる。兄弟には、事件で負った火傷の跡があるんです」


「火傷?」


「兄の誠は右腕に大きく残っています。弟の実は左頬にあります。これが、《《横田

さんが選んだという男の外見に一致してるんです》》」


 村野が眉をひそめ始める。


というのか。そんなイカレたことを」


「我々は、弟である杉浦実を調べました。実が18歳の時、草加市内の自動車教習所で運転免許を取得していました。その時に撮った写真を入手しました」


 宮本は、村野の方へと向かう。村野の近くには、テレビが備え付けられたテレビスタンドとスタンドに置かれたパソコンがある。


 宮本は手帳からUSBを取り出し、パソコンに差し込む。フォルダを開き、ある写真をクリックすると、テレビの画面に若い少年の画像が映った。テレビに映った少年の左頬には、唇の端から耳にまで伸びた火傷の跡があった。


「この男が杉浦実。横田さんに見せたところ、この男で間違いないとのことでした」


 村野は目を大きく見開いた。


「それに、誠の写真を一件目の被害者である松本太一さんに見せました。彼が選んだという男にそっくりだったと言いました」


「兄弟が事件を起こし、兄弟同士でそんなことを。ありえない...」


 村野の顔に戸惑いの色が浮かび上がる。


「だが、この二人はという話だったろ。自分たちの自殺に他人を巻き込んだ?くそっ!何を考えているのか分からん」


 村野は顔を下に向けた。顔を下に向けたまま黙っている村野に反して、会議室にいる刑事たちは戸惑いの表情を見せるばかりである。


 宮本も同じ気持ちだった。なんて誰が想像できるだろうか。それに、自殺願望が強い二人が他人を巻き込む理由は何なのか。宮本は考えながら、自分の席へと戻っていった。


 ほんの数秒だけ、顔を下に向けていた村野が顔を上げた。先ほどまで困惑し、驚きを見せていた表情は消え、無表情に変わっていた。落ち着きを取り戻したのだろうかと、宮本は勝手に解釈した。


「あの。私からよろしいでしょうか」


 四谷がおそるおそるといった様子で、村野に呼び掛けた。


「何だ、四谷。お前は宮本と一緒に杉浦誠の詳細を調べる担当だったろ。宮本がすべて話したように思えるが」


「私は事件に関する共通点を探していました」


「共通点?」


「はい。一連の事件での被害者たちを調べると、共通点が3つ出てきたんです」


「3つ?一体何だ」


「一つ目は、一連の事件の被害者は埼玉県に住んでいることです。二つ目は、過去に大切な人を殺された被害者遺族であること。そして、三つ目は加害者が出所済みであることです」


「確かに、二件とも3つの条件に当てはまっているな」


「杉浦誠が次にターゲットにするのは誰なのかが絞れるのではと考えたんです」


「何」


「実際に調べてみました。すると、ある家族が一致しました」


 四谷は一間を置くように深呼吸をする。深呼吸した後、話を再開する。


「2008年の11月22日。東京都に住む、当時34歳の高橋修たかはし おさむが勤め先の同僚に殺害された事件です。加害者は鈴木京子すずき きょうこ、当時30歳です。入社してから、高橋さんに2年間ずっと恋心をいだいていました。しかし、彼はすでに家庭を持っていたので、彼女の好意に答えることはありませんでした。そ

れが原因で彼女は精神を病み、11月22日に高橋さんを衝動的に殺害してしまった」


「加害者は出所済みなんだな」


「はい、7年前に出所しています」


「事件当時、高橋さんには妻である美代子、そして3歳になる息子の友司ゆうじ君がいました。それから現在、2人で埼玉県の草加市に住んでいます」


「こんな偶然があるものなのか」


 村野が大きなため息を吐いた。四谷は手帳を机に置き、両腕を机の上に乗せ、前のめりになる。


「村野警視。この高橋一家に護衛をつけるのはいかがでしょうか」


 そう切り出された村野は、渋い表情を浮かべている。


「宮本たちの話を聞くに、杉浦は犯行前に被害者に接触している。実際に接触しているのかどうかを聞くことはしよう」


「護衛を付けるのは、厳しいのでしょうか」


「“あなたはある殺人鬼に狙われているんです”、って言われたら混乱するだろう」


「それはそうですが」


「杉浦の足跡をたどる方が優先だ。犯人を捕まえれば、もう被害者は出ないんだからな」


 村野が諭すように優しく話す。しかし、四谷は納得する素振りを見せない。


「私はこの事件の犯人を許せない。僕と同じように、大切な人を失う辛さが分かるはずなのに、それを自分の手で他人に分からせようとするなんて」


 四谷が拳を強く握り、拳が小さく揺れているのを宮本は見つめる。


「四谷。お前の言いたいことは分かる。だが、一般人に護衛を付けるのは難しい話なのは知ってるだろ。明らかな脅迫文が届いているわけでも、直接被害を受けたわけでもない。それに、犯人がお前が話していた通りに動くかどうかなんて分からないんだ」


「ですが!」


「俊」


 宮本は四谷の腕を強く引っ張った。こちらを凝視する四谷に向かって、宮本は小さく首を横に振る。察した四谷はゆっくりと席に座った。


「まあ、近くの交番にパトロールを強化するように伝えることぐらいはできるだろうな」


 村野が気遣うようにいったものの、四谷は頷きもしなかった。


「以上で会議は終了する。皆、気を引き締めてかかれ!」


 村野の掛け声に答えるように、室内にいる刑事たちが大きな声で返事を返した。最初の時と違って、室内の雰囲気は活気を取り戻した刑事たちによって良い方向へ向かっていると宮本は感じた。しかし、隣の四谷はそうではないように見えた。 



 会議が終わってから、2時間後の午後10時。宮本は四谷が運転する車に乗っている。


「俊。納得いってないんだな」


「はい」


 四谷の表情は浮かないものだった。


「まあ、いつ狙われるか分からないんじゃあな。それに、必ずしもそうとはかぎらない。人の考えてることなんか、複雑だしな」


「そうですね」


 四谷は前を向いたまま小さく返事をする。ハンドルを握る手に力が加わっていくのを宮本は見逃さなかった。


 会議に出ていた時も、同じことをしていたのを思い出す。何か悔しい気持ちを抱くと、手に力を加えるくせがあるのを幾度と見てきた。宮本は慰めるように、気遣いの言葉をかけることにする。


「まあ、よく調べてくれたよ。俺としては助かった。ありがとうな」


「そう言ってもらえると、ありがたいです」


「警察がうろちょろしていれば、動きづらいだろうしな」


「そうですね」


「よし。明日、その高橋一家の元に行くか。杉浦は犯行前、被害者に接触しているからな。すでに会っていないことを祈るばかりだが」


「はい!僕が必ず捕まえます」


 四谷の声に、元気が戻ってきたように感じた。


 宮本は突然やってきたあくびをかみ殺す。それと同時に、事件に関係のない話をしたい気分になった。ここ最近は、事件の話ばかりでいつまで経っても仕事をしている気分が抜けないでいた。いち早く凶悪犯を捕まえなくてはならない、そんな気持ちが焦りと使命感を駆り出していた。そのせいで、疲労感が募る一方だった。


「お前んちの母さんは元気か」


「母はいつも通りです。この間なんかは...」




「もう着いたのか。あっという間だな」

 宮本の自宅であるマンションの前に到着した。楽しく話をしていると、時間があっという間に過ぎ去るものだと宮本は実感した。


「じゃあ、また明日な」


「はい、お休みなさい。愛しの愛子さんが待ってますよ」


「うるせぇ。とっくに寝てるだろうよ」


 宮本は車のドアを思いっきり閉めた。先を行く車の後姿を見送る。


 車の姿が見えなくなったところで、宮本はマンションのエントランスに向かう。エレベーターに乗り、“4”のボタンを押す。


 4階に着き、エレベーターから降りる。左の方向に行き、自室である“402”の前に立つ。


「さすがに寝てるだろうな」


 宮本はズボンのポケットから鍵を取り出す。鍵を差し込み、ドアを開ける。開けた瞬間、室内の明かりが漏れ出てくる。


「まだ起きてるのか」


 そう思ったものの、奥のリビングから愛子が出てくる気配がない。


「ただいま」


 帰りを知らせるも、一向にやってこない。


-おかしい。こんな時間に出かけるはずがない。


 靴を脱ぎ、リビングに向かう。リビングに入るも、そこには誰も姿もない。


-電気を点けたまま寝るなんて考えられない。


 宮本は隣の寝室を確かめようと向きを変える。その時、真後ろから男の囁き声が聞こえた。


「久しぶりですね。宮本さん」


「誰だ!てめぇ..グッ!?」


 突然首に圧迫感を感じる。宮本は男の腕を必死に引き剝がそうとする。しかし、力で勝ることはなく、びくともしない。


 宮本は身体を大きく動かし、抵抗する。すると、壁際に置かれた棚に後ろの人物がぶつかった。


「ぐっ」


 後ろの人物が短い呻き声を上げる。しかし、それでも解かれることはない。棚に置

いてあった何冊かの本が床に落ちていくのが聞こえる。


「くっ・・・そ・・・」


 後ろの目の前の視界が徐々に薄くなっていくのを感じる。しかし、宮本はあきらめなかった。左手を上げ、後ろにいる人物の髪の毛を掴む。思いっきり引っ張ると、すべての指に何本かの髪の毛が残った。


「ぎゃあ!痛てぇ!」


 短い悲鳴と共に、拘束が少し緩まった。その隙を見て、宮本は首に絡まった腕を引きはがし、距離を取った。


「てめぇ、杉浦実か」


 左頬に残った火傷の跡。恨みを込めた目が、宮本に向けられている。荒い呼吸を繰り返しながら、目の前の人物に問いかける。


「なんで、俺を」


 疑問を口にした途端、再び首に強い圧迫感を感じた。


「あなたで実験したいからですよ」


 後ろから男の囁く声が聞こえた。宮本は抵抗しようとするも、体力がもう残っていなかった。


-後ろにいるのは、誠か。


 視界が真っ暗になり、意識が途絶えた。

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