第一五話

 以上が、後世〝保元の乱〟として世に知られる戦のあらましである。

 新院・崇徳上皇は、両軍による攻防のたけなわと思われる頃合いに、

「もはやこれまででございまする。はよう逃げましょうぞ。さ、さ、火攻めを喰ろうておらぬ、今のうちに……」

 と、突如として六条判官為義らに迫られ、慌てふためいた。

 すぐに数頭の馬が中庭に用意された。しかし上皇にしろ左大臣頼長にせよ、馬術の心得はない。

 そこで、それぞれの馬に一人の武士が乗って手綱を握り、上皇も頼長もその背に張り付いた。が、そうしてもたついているうちに、どこからともなく流れ矢が飛んできて頼長の首筋にグサリと刺さった。血が派手に吹き出し、頼長は餓鬼のように泣きわめく。

「すわ、新院だけでも……」

 頼長を置き去りにして、一行は北殿をあとにした。

 斯くして上皇方は、不世出の若武者を味方にしつつもその実力をほとんど活かせぬまま、敗北を喫したのである。

の若武者は!?)

 上皇は、馬に振り落とされまいと必死にしがみ付きつつ、おっかなびっくり周囲を見回した。しかし、密かに最も信頼を寄せるその男がどこにも見当たらない。

「八郎為朝はいずこにおる?」

「倅は、戦に慣れておりますゆえ、自ら如何ようにでも出来ましょう」

 男の父、六条判官為義が事も無げに言った。為義には、上皇の不安の真意が解らない。

 一行は東山の如意山へと逃げ、そこで足が止まった。馬も駆けられぬ険しい山路ゆえ、やむ無く皆馬を下りたものの、歩行に慣れない上皇がはやばやと音を上げたのである。足が、血まみれになっていた。

「皆、まことに大儀であった。あとは各々おのおの、好きに逃げよ。朕はどこぞへ至って出家する」

 密かに心の拠りどころとした若武者も居らず、全てを諦め、居並ぶ者達をねぎらうとそう言い渡した。これぞ最初で最後の、自身の確固たる意思表示だったかもしれない。

 〝八慎〟に准じた上皇は、神の代行者として〝おのれ〟を持たずに生きてきた。

 そのため父・鳥羽上皇や祖父・白河法皇、そして頼長ら藤原氏に長年振り回され続ける境遇に甘んじた。図らずも、その負のゝゝツケを精算したのが、この戦であった。

 はたして溜りに溜まったツケは大きかった。その後の上皇は、わずかな供に助けられつつ右往左往するが、程なく天皇方に捕えられ、讃岐(香川県)へと流された。

 既に俗世への未練なぞ捨て去った上皇は、戦の犠牲となった者達を弔い読経三昧の日々をおくることとなった。が、そんなある日、

 ――の豪傑・鎮西八郎為朝が、近江国坂田で捕えられた。

 という噂を耳にした。

 丸腰の入浴中を狙い、大勢で取り囲んでひっ捕えたらしい。

(さすがのあ奴も、素っ裸では何も出来ぬか)

 縄にかけられ、京へと護送されるという。

(哀れな……)

 心底そう思った。

 彼もまた、類稀たぐいまれなる武者として生まれ育ちながら、いまだ周囲に翻弄され続けていた。

 上皇はそこに、境遇こそ違えど等しく周囲に翻弄され続けた者としての、共感を覚えた。八郎為朝に同情の思いを抱いた。

(いや……。朕もまた、あ奴を翻弄した者の側であろう)

 とも、気付いた。

の若武者の命を救い給え」

 せめてもの罪滅ぼしと思い、仏に祈った。さらには神の代行者として、密かに霊力を用い、命懸けで念じた。神武以来の歴代天皇には霊力が備わっており、その念を現実のものとすることが出来るのである。平成令和の今日においてはすっかり忘れ去られているが、実はそれこそが天皇の存在意義でもある。

 幸い崇徳上皇の念は、天に通じた。

 ――斯様な不世出の豪傑をむざむざ斬るのは、惜しい。

 という世論が醸出され、まさに為朝こそが上皇方最強の戦力だったにもかかわらず、奇跡的に死罪をまぬがれた。ただし二度と弓を引けぬよう肩の筋を切られ、伊豆大島へと流刑に処せられた。それでも上皇は、あたかも我が子の命が救われたかのように喜び、ほっと胸を撫で下ろした。

 それから八年後、上皇は讃岐の地にて、ひっそりと亡くなった。

 最後の最後まで侘しい境遇におかれた。大罪人として扱われ、朝廷によるおおやけの葬儀も営まれなかった。

 そんな上皇の為朝への想いが、念が、為朝にも通じていたという。

 その後為朝の正妻が、さらには肩の傷の癒えた為朝本人も、上皇の流刑地讃岐の白峯陵を訪れ、花を手向けた。

 そして、

「周囲に患わされることなく、思うがままに生きよ」

 という上皇の念に応えるかのように、南の新天地に渡り八面六臂の活躍を遂げ、琉球王朝の礎を築いたと言われている。いずれ機会があれば、その驚天動地の顛末、比類なき英雄のの燃焼を、改めて物語してみたいものである。

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比類なき若武者よ、思うがままに生きよ 幸田 蒼之助 @PeerGynt

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