決まり文句を忘れるな!
高黄森哉
この話は ………………
俺は俗に言うエッセイストというやつだ。事実を脚色しつつ、あたかも事実のように世に送り出す仕事。そもそも現実なんか物語然としてないし、そのままでお話になるはずなんてない。
人生が物語であったらよかったのに。そしたら、自分の仕事はずっと楽だったろう。人類は蛇に誘われ、罪を犯して、この無意味すぎる世界に、懲役八十年を言い渡されたのだ。小説と違って人生に価値なんてない。
◇
ふと、……………… なんだか、仕事部屋の窓から見える天気が奇妙に見えた。まるで絵の具のような真っ青さだった。これは青春小説の空かな。まるで人工的な青さだ。誰にとっても心地よい一日になるだろう。
机上のマグカップに手を掛けたとき、自分がついさっき、それを飲み切ってしまったことを思い出す。
俺は喉が渇いていた。いや、そうじゃない。それ以上に、このマグカップが気になったのだ。なにかが溢れてきそうな形象。くりぬかれて空洞の円柱の中を覗く。当然中になにも入っていない、筈だった。
あれ、おかしいな。確かに飲み干した記憶がある。これは思い違いか、それともデジャビュだろうか。そんなこと考えていると、コップの中の水位が段々と上がり始めた。そんな馬鹿なありえない。これは気狂いか、それとも錯覚だろうか。
しかし事実である。零れた液体が原稿にしみていく。急いで取り上げて、応急処置として、床に垂れるよう持ち続ける。明らかに異常だ。無から現れるなんて質量保存の法則に反してる。俺の考えが正しければ、このマグカップを元に永久機関が作れるはずだ。
呪いだろうか、エッセイを偽って書き続けた呪い。それとも、エッセイ通りに虚構が現実へ侵攻してきた。なら、無限マグカップの水は偵察兵か。……………… いやいや、そんな馬鹿な。それじゃあ捻りがないし、オチとして弱すぎる。これをタイプしてる奴は、もっとくだらないことを書く。
俺は牛乳を注ぐ女みたいに問題のマグカップを持ちながら、だがしかし、さっきの考察はあながち間違っていないんじゃないかと思う。なぜなら、人の直観は信じるに値する。さて、これは直観だが、文学的な言い回しなどが、この現実へ影響を与えたに違いない。
小説よりも奇妙なことが起きる原因。
あああ!!! そうか! エウレカ、ユリイカ、もしくはユーレカ!
その言い回しを成立させるためには、この刺激的にあつらえたエッセイを、現実が凌駕しなければならないのか。しかし、俺の現実は余りにも平凡だった。それを非凡にするべく、マグカップが異常を持った。簡単に言うとバラストだ。
事実がだんだんと物語を越え始めた。
事実への矯正作用により、世界はどんどん虚構化してしまうかもしれない。しまいにはそうだな、―――――― 短編になってしまうに違いない。そうして短編になりきってしまった時、再び先の言い回しが効いてくる。整合性を取るためには、そうやって出来た短編より、短編に変化する以前の現実が、さらに奇妙でなければおかしいからだ。
するとどうなってしまうのか。
まず、如上のプロセスで、まがい物と化したこの日常、つまり、そうして出来た短編を超えるために、過去の日常に対して修正を迫られる。そして自己を修正して出来た現在は、成り行きに沿って、再び過去を修正し、その過去が再び現在に追いつくと、やはり同様に過去を修正する。
まるで、誰かさんが実体験と称して書いた、エッセイみたいじゃないか。
過去を修正し、本にして売った。今では、本になるような行動を試すようになった。少しでもエッセイを現実にしたいから。過去、現在、そして、現在の積み重ねである未来。本にした。
つまり、過去も未来も現実も小説ナイズした。人生に物語を求めたから、それは病的な衝動だった。だんだんと現実が、俺の書いたエッセイに支配されていくのを感じながらも、奇妙な振る舞いをやめることは出来なくなった。
現実が現実である以上、いくら虚構を求めても無駄なのに。過去が虚構だとすると、地続きである現在と整合性を取る必要に迫られ、それは永遠に満たされないにもかかわらず。
結果として、逆に現実は、エッセイ以下に成り下がったんじゃないか?
すなわち、『事実は小説よりも奇なり』だ。己の振る舞いによる矯正で、事実が虚構化した瞬間、事実という名の虚構を、下回るように物語が設定される。その物語を現実にあてはめる振る舞いをする。その現実が虚構化する。
繰り返される小説と人生の対比は、現実の一瞬一瞬を永遠につまらなくしていった。現状とは真逆のプロセスが働いたわけだ。これすなわち文学の呪いである。
それはもういい。話を戻そう。
短編と化した日常があるとしよう。実際には現実であるため、その短編は、実際の短編よりも奇妙であり続けなければならない。そのプロセスは永久的に繰り返される。いうなれば自己強化オートマトンだ。自分が自分より奇妙でなければならないという関数により、奇妙度合は永久に増幅することが予想される。だから、ただの無限ループではなく、螺旋的無限ループ。
つまり、【現実>短編、かつ、現実=短編 】
無限マグカップに似た憂鬱が大挙して押し寄せて来ることを想像した。この部屋は文学に傾いて最後に落っこちてしまう。物理法則が意味をなさない狂気の世界。目から鱗が落ち、へそで茶を沸かす狂気の世界。そこで俺は死ぬに死ねないのかもしれない。これすなわち、文学の呪い。
ループはいつだ。この世界が完全に短編化して、それゆえ自己強化修正のため、元の世界に戻るループの終わりはいつだ? どう脱出する? もし出られないとすれば、いずれやって来るであろう際限なく奇妙になり続ける世界で発狂しないために、どうすればいい?
◇
俺は俗にいうエッセイストというやつだ。事実を脚色し短編ナイズした前回よりもっと奇妙になるべく改編する、そんな前進するループに嵌まったエッセイストだ。
窓から見える空模様は嘘みたいだ。これは青春小説の空だ。うそっぱちの空だ。正常な人間が見上げれば、不気味に映る原色の天気だ。桜の花びらが魚の群れのように空を駆けていく。ひょっとすると、大量の花弁は全て宙で静止していて、俺の家が斜め右上に、ぶっ飛んでいるのかもしれないが、景色はピンクと青だけなので確認するすべはない。もうやめてくれ。今、生きてる世界に嘘を吐くのを止めてくれ。
マグカップはまだ机上にあり溢れていなかった。俺はいつの間にか仕事場に着席していた。原稿はまだ無事だ。ループが起きたのだ。この繰り返しを脱しないと、じわじわと悪い方向に転がっていくだろう。考えろ考えるんだ。
たった今、起きている異常は記憶を継続できた、というたった一点だけ。きっと前々回は無理だった。前回は残滓としてマグカップへの興味に昇華されたらしいが、本当かどうか定かでない。今、思うとそうだったのかもしれない。
なにはともあれ、異常はそれだけだ。だから、きっと間に合うから、
負の連鎖を断ち切るためには原稿に手を加える必要があった。もしこれが、ほら吹きへの逆襲なら対処のしようがある。俺は文章の最後に注釈を加えた。『現実>短編、かつ、現実=短編』の図を打ち砕く一手。それが、これだったのである。
注〈この話はフィクションです〉
【自己強化オートマトン停止 事実≠フィクション フィクション=短編】
◇
桜が止むと窓いっぱいに世界が現れた。現実に帰還したらしい。机上には事件に巻き込まれる前の綺麗な原稿があったが、コップ一杯の水を、勢いよくぶちまけて台無しにしてしまった。嘘を売るのに、くだらなくなったのだ。今日はいい天気だから散歩でもしよう。たった、そう思った。
決まり文句を忘れるな! 高黄森哉 @kamikawa2001
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