AIには読めないAI

カノは潤みそうになる目を必死に瞬かせた。


「なんで初対面の方にこんな話……すみません」


謝るカノに、


「いいの。でも、そうね……」


リコは言いかけて、隣の振動に顔を顰めた。


「ソーマ、貧乏揺すり止めなさいよ」

「ちが、って。電話バイブ。っと、うぁ、師匠、師匠。ちょっと待っててね」


ソーマは立ち上がり、テーブルから離れて、携帯端末を耳に当てる。

カノはその様子を見て、リコに尋ねた。


「電話……珍しい。内蔵型ならメールかSNSですよね?」

「師匠がね。やっぱ、古い人だから。声が聞こえないと本人か分からないって」

「生体情報の本人認識で……でも海外地下迂回アングラルートとか成りすましとか……疑って、ですかね」

「詳しいね」

「父の影響で……」


部屋の隅で電話中のソーマの声が徐々に大きくなり、


「……えぇっと、その件は、スミマセン、適当に捌いてって。え?説明しろ?写真があるんですか?ろ、路チュー?騒ぎになってって、先日からの殺害予告よりはマシでしょう。こ?……違いますっ。今日初めて会った……」


ちらりとカノを振り返る。


「……師匠の娘さん。なんで鎌田先生のお嬢さんが増えるんですか。違います。そうそう、そうです。重力林檎gravity_apple1643さんの。探してた、」


隅に移動した意味がないほど遣り取りは丸わかりだ。


「丸聞こえ過ぎて、もう。あのふたり、電話だと段々声が大きくなるから」

「なんだか、安心しますね。以前の生活みたいで……」

「戻れないんだろうけどね。慣れるしかナイっていうか」


盗み聞きではないが、カノは尋ねるのに躊躇した。

確かに、父の登録名ユーザーネームが聞こえた。

ソフトウェア開発の共有サービスを利用して、父は熱心に将棋AIの開発を続けていたのだ。

その縁で椿井ソーマ初タイトルの祝賀会にも参加できた。

そして、その七番勝負第四局、ストレートで竜王を獲得した一局の勝負手、三一銀を指す瞬間が、カノの端末の待ち受けだ。

携帯端末を取り出して、画面を見詰める。


「えぇ、えぇ、お願いしますよ。また連絡します。では」


携帯端末をズボンにしまって軽くため息を吐き、ソーマはテーブルを振り返り、止まる。

リコはふたりの表情を黙って見ていた。


「……さっきの、話なんだけどね」


ソーマはテーブルに戻ると、今度はカノの隣に座った。

カノは光の消えた携帯端末をテーブルに置いて、ソーマの方に顎を上げた。


「AIは、きっとそこまで怖いものじゃないよ。慣れ、なんだろうけど」


そっと、カノの方に手を伸ばして、カノには触れずに携帯端末を撫でた。


「ぼくら棋士は一般の人たちが意識するよりずっと前からAIを使っている。

AIの指した手と人間の指した手、一手一手に明確な差異はない。

じゃあ、AIと人間に隔たりはないのか」

「ある……AIとは、会話が成り立たない……」

「そう。ぼくらは将棋盤を挟んで会話している。

昨日お勧めした男の子を今日却下するAIには、脈絡がないのさ。

大局観、ともいう。お父さん、飯塚さんが開発していた将棋AIに盛り込もうとした要素」

「でも、あれは弱かったって」

「うん。致命的なことに、ね。でも離島育ちでAIとしか将棋できなかったぼくにとっては、師匠だった。でもね」


ソーマはカノの目を見て笑う。


「師匠だけど絶対じゃない。

AIは、数多の参考意見のひとつなんだよ。

最終的に決めるのは、ぼくだ。

どれだけ複雑な局面だろうと、ぼく自身が」

「読み切る……」

「まさか。その場その場で最善手を指すけれど、相手はぼくの読みの及ばない手を指してくる。三手ずつ読んでも十手先には三の十乗、ざっと六万通りだ。読めるはずがない」


何を思い出したか、ソーマの笑みは深くなる。

カノの方に向けられた瞳は、明らかにカノを映していなかったが、それでも気持ち悪くも嫌な感じもしなかった。むしろ——


「だけど、」


今度は、カノを映した。


「それが、面白い」


はい、とリコが手を一つ叩いて間に入った。


「かなり話が逸れたけど、AIには色んな制約もあるから、大丈夫よ。

それに、個人に合わせて進化?進歩?するらしいし」

「……お勧めと真逆のことを言ってみたり?」

「さすがにそれは……え?」


カノは今朝のできごとを話す。

リコは戸惑いの表情を浮かべ、ソーマは吹き出した。


「ちょっと、ソー」

「たとえ、ね。

例え、AIに誘導されたって、ぼくがあの場所に居なければ、ぼくが君を探さなければ、出会うことはなかったんだよ。

そう思えば、少し可愛く見えてこないかい?」


ソーマのいたずらっ子のような笑みと、顎先に触れた人差し指と、携帯端末を順繰りに見て。

それから、カノも肩を震わせて笑い出した。


明日から、いいや、今から。

きっと世界は変わる。

脳ナシっていわれて、疎外感で拗ねてちゃ、何も見えない。

AIを否定しても挑んでも、見返りは少ない。

感じ方と接し方を覚えていけばいい。

世界は、きっと面白くなる。

ストレージに繋がらないカノの脳の奥、小気味よい音で三一銀が弾んだ。

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脳ナシ〜AIには読めないAI〜 沖綱真優 @Jaiko_3515

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