ブラックボックス

「……やっ、見つけ、たら、なぁに、ってんのよ、ソーマ」


突然の、息切れで弾んだ女性の声に。

カノは驚いて、うっくひっくシャクリ上げを止めようとして、うっくうっくシャックリに変わり、うっと息を詰めて飲み込んで、やっと止まって息を吐き出した。


その間、待っていてくれたらしい。

ぐしゃぐしゃの顔を上げると、困った顔のソーマと目が合い、居たたまれなくて振り返ると、綺麗なストレートヘアの女性と目が合う。


「ご、ごめんなさいっ」


ワケもなく、いや、突然泣き出したことに対してか、謝ったカノの腕に、女性は優しく触れた。


「AI酔いかしら……未成年が男性とふたりだと警告音アラートがウルサイのでしょう?この子、世慣れしてないから……気が利かなくて、ゴメンなさいね」

「えと、違って……」


俯きがちに答えたカノに、はっと息を飲んだ女性は、庇うように間に入るとキツくいう。


「まさか、何か、」

「そんなワケないって、リコねーさん、」

「ちちち、違います。ただ、ただ……」

「ただ?」


穏やかに優しく。女性は尋ねてくれる。

小さな子どもに戻ったみたいに、カノは安心感を覚えて。


「ただ……」


父母の顔がよぎり、また目が潤みそうになって、カノは視線を彷徨わせ、道向こうから訝しげにこちらを見詰める目に気付いた。

すん、とひとつ鼻を鳴らして、カノは拳で涙をぐしぐし拭い、ことさらに明るい声を出した。


「ここじゃぁ何ですから、一度ウチに来てください。すぐソコなんで」

「ええ、そうね。せっかく会えたんですもの、ぜひ」

「……」


ソーマも合わせなさいよ。リコが小声でいう。

手遅れ……。ソーマが小声で答える。

ふたりの身体は着信を感じ取る。



五分ほどでカノの家に着く。

ソーマに持ってもらっていたカバンから鍵を取り出し、入る。

ダイニングでお茶を用意し、八人掛けテーブルの好きなところに座ってもらい、簡単な自己紹介をした。


椿井ソーマ二冠、将棋の棋士。違法ホログラムは誤解で、許可済み。

越前リコ女流初段、将棋の女流棋士。ソーマの姉弟子にあたる。

飯塚カノ、高校二年生。一人暮らし。


「……あたし、久しぶりに人と普通に話せたんです」


ほとんど独り言のように、か細く。

カノは言った。

ふたりは聞き返さずに続きを待つ。

水滴が麦茶のグラス表面を滑る。


「父母が相次いで亡くなった頃に、内蔵型端末の手術が流行って。当時は実質無料とかやってたみたいだけど、それどころじゃなかったし」


カノは水滴でくるくる螺旋を描いた。


「外部にストレージを置くだけならアリかな、って。父はわりと詳しかったから、存命中に教えてくれましたが、想像よりも……あたしは、取り残されて」


学校は、友だちは、様変わりした。

頭の中でネットに接続すれば、より詳しく、より分かりやすい解説が脳内で再生される。

意識に上げるだけで、欲しい情報が瞬時に手に入る。

未知の経験も未見の風景も脳裏に浮かぶのならば、実際の経験や体験と同じではないか。区別しようがないのだから。

授業も体験学習も必要ない、多くがそう考える。

架空の物語やネット空間のような非現実世界に没入しやすい中高生にとって、脳内で得た情報は現実と同等かそれ以上になった。


そして、補助システムとしてのAIが、追い打ちを掛ける。

水滴が途切れても、カノの指はくるくる回った。


「何も知らなくても、何も考えなくても、ぜんぶ、教えてくれるんですって。AIが」


本来、ウェブ上で情報を検索するためには、外部から情報を得る必要がある。

他者との会話や本やテレビやネットで知った言葉や事柄を、より詳細に調べるために検索するのだ。

それを。


「アナタは今、コレが知りたいんでしょう、ってAIが教えてくれる。

今日の天気も、星座占いも、道順も、聞く前に教えてくれる。

きっと興味を持ちますって、知らない俳優やアーティストを教えてくれて、聞いてもないのに、新製品や新作映画を紹介してくれて、勉強しなくても勝手に答えに導く」


カノの人差し指は震えて、爪先がグラデーションに染まる。


「車が近づいていますよ、って警告ならまだいい。

けど、あの子とはケンカ別れしますよ、付き合うならあの子がいい……」


ぶるりと、大きく首を振って、カノは視線を上げ、ふたりを見た。


「笑っちゃいますよね。付き合えとお勧めした男の子、今度は別れろっていったらしいですよ」


つい先ほどサホから連絡が入った。文字列が半狂乱だ。


「でも、友だちづきあいとかには……」

「AIって、どうして男女関係に厳しいんですかね」

「あぁ、そういう……」

「え?何なに?」


リコはしらとした顔でソーマを見ると、ぽそり呟く。


同衾どうきん

「ど……言葉のチョイス……」


カノはふたりの遣り取りに苦笑して、


「みんな、あたしじゃなくて、頭の内側を見て。

あたしと話していても、脳内の、じゃなくても、イヤホンから流れてくるAIの言葉に熱心に聞き入って、あたしの顔なんか見ていない。

世の中に氾濫する有象無象ビッグデータから無理矢理に抽出して、多層構造の数式でこねくり回す内に目的を見失う、内部構造無視のプログラムブラックボックスに支配されて」


意思も意識もぜんぶ飲み込まれていく……

また、あたしだけを、置いてけぼりにして。

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