脳ナシ人間

片足プラス見知らぬ男の肩を借りて歩く道のりは、なかなか遠かった。

学校には想定の三倍時間掛かって到着し、まずは一階の事務室に顔を出した。


「飯塚カノ、遅刻も連絡しなさいと何度いえば……ん?ケーブルなし……ついに手術を受けたのかっ」

「いえ、イヤホン壊れちゃって」


常連までは行かないものの遅刻複数回のカノは事務室のおじさんの小言とイヤミにも慣れている。

おじさんは内蔵型信奉者だから、外部端末使用者のカノには厳しい。

同クラのサカエなんかは遅刻を何度も見逃してもらってるらしい。まぁ内蔵型は意識に上げれば連絡できるんだから、そのおかげでもあるんだろうけど。


「これだから、脳ナシはっ……あぁ、いや、ゴホン。そちらの方は……」

「あ、ぶつかり……」

「んんんっ。彼女の親御さんの知り合いで、たまたま足を挫いた場面に出くわしまして。送り届けましたし、そろそろ失礼します」


事務室のおじさんは茶色と黄土色の混在した眼鏡フレームをずいと押し上げて、カノを隣で支える男の方をじろじろ見た。


「……少々こちらでお待ちいただいてもよろしいですかな。我が校の女子生徒がお世話になったということで」


何やら含みのある言い方で、ズダ袋お兄さんを引き留める。


「失礼します」


保健室の先生が事務室にやってきた。おじさんが連絡したんだろう。

さすが内蔵型は仕事が速い。宛先とメッセージを思い浮かべれば瞬時に送信できる。受け側には慣れも必要だけど、小学生でも三日ほどで使いこなすらしいから、ハードルってほどでもない。

まぁ最初期には大量送信の過剰負荷で精神異常になった人もいたらしいけど。


「飯塚さん、足を挫いたんですってね。手当てしましょうか」


カノは渡された松葉杖を右手に持って左足を着き、小さく悲鳴を上げた。


「逆よ。イメージを送りましょうか……って、あぁ、内蔵型じゃナイのよね」

「サーセン。こっちを着くからこっちで持って……と、分かった分かった」


イメージ送るより実演するか手を持って教える方が早いと思うけどなぁ、とは口に出さずとも表情に出て、やり取りを見守っていた男は軽く吹き出す。

白衣姿の保健室の先生はカノの肩を軽く引いて、男から離れさせた。


「さ、行きましょう」


促されて、カノは事務室からゆっくりと出る。扉のところで振り返り、


「兄さん、ありがとう。またね」


礼をいう。

知り合いのお兄さんということになったみたいだから、そういう感じで。

女性養護教諭は隣でにっこりと会釈しつつ扉を閉めて、扉が閉まりきると笑顔がいくぶん固くなった。


「授業もあるでしょう。早く手当てしましょう。あの男の人のことは任せればいいから」


口元ほど笑っていない視線はむしろ責めていて、カノを置いてさっさと歩き出した。

慣れない松葉杖ではなかなか追いつけず聞き返せない。

長い直線廊下の端でやっと追いついたとき、


「こちらです。違法ホログラムで変装して脳ナシの女子高生を誑かせた変質者が」


向こうの端、事務室の前で男性教諭の声がして、警官ふたりが警棒を手にして、扉を開けようとしている。


「え?え?」

「怖かったでしょう。AIがナイから危険が察知できないのよ」


もうだいじょうぶ。


白衣からはみ出して腕に触れてきた指先と、いっさい緩んでいない目元を間近で見て、カノは悪寒が上がり血の気が引くのを感じる。

これは養護教諭自らが選んだ仕草なのか、それとも心を落ち着かせる行動だとAIに指示されたものなのか、どちらか読めないことが気持ち悪くて、身震いする。

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