4 実験体と人と神


 東京、その真ん中にそびえる白く高い壁の内側。起伏の大きいその土地の中心は小高い丘になっていて、青銅色の三階建てが建っていた。一階はガラス張りのカフェで、自動ドアの内側にはいつも通り壁内の住民が井戸端会議に花を咲かせている。片手にはロボットが作ったコーヒーやジュースなどがあり、時々パウンドケーキをつつく者もいた。

 二階は窓らしきものがなく、のっぺりとした壁だ。室外機も兼ねた換気扇が点在しているが、アクロバティックな一葉でも流石に登れないほどの滑らかさだった。そしてその上、南側だけガラス張りの三階に研究所の所長がいた。

I-07アイセブン、H型の進捗はどうなってる? 新しく生産した二十体の教育はお前に任せたが」

「順調だよ、教育ったってチップで人格形成するだけっしょ? 結局そうするんだったら一から二十もそうすれば良かったじゃん。グリーザは最初からそうやって提案してたじゃん、逆らっても意味ないよぉ」

 水色の髪をした少女は机に腰掛け、足を組んで投影された画面を眺めた。所長の質問を軽くあしらいながら右手で髪を弄り、一階で買ったキャンディを噛み砕く。

「それをやってグリーザに乗っ取られたから旧世界は滅びたのだ」

 所長は机につき、研究結果を並べて吟味しながら厳粛に会話を続けた。温度差には両名共に苛ついている。

「推測でものを言うのやめた方がいいよ、所長。それよりさあ、娘さん達の話しようよ。ぶっちゃけ誰が一番好きだったの? やっぱオリジナルに勝るものは無い?」

 少女は飴を食べ終えるとポケットから新しいものを取りだした。ビニールを剥がし、口に放り込んでゴミは床に投げる。

I-08八番君よろしくぅ」

 八番と呼ばれた、ガタイの良いを超えて筋肉の塊となった少年が部屋の隅で立ち上がった。息を潜めるようにしていた彼の髪はI-07と同じくI型特有の水色で、目も同じだった。

 彼は獣のように息を吐くと、捨てられた包装紙を走って取りに来る。そして手に比べると本当に小さく埃のような包装紙を掴み、そそくさと定位置に戻っていった。

「ねえ見苦しいからさ、もうちょっと離れてくんない?」

 I-07は溜息をつき、顔を背けてはI-08アイエイトを邪見にするように手を払った。I-08は言われた通り壁の隅に体を押し付けるように小さくなり、黙っている。ゴミを大事そうに握りしめて。

I-07アイセブン、お前は身体がないとろくに動けないんだから少しくらい感謝しなさい」

 所長がとうとう見かねて口を開いた。どちらも人間の下位種族である実験体だが、人型をしていて人間の言葉を話していれば黙れとも言いたくなる。せめて人語を喋らなければ何か鳴いてるな、で済んだのだが。

「は? あいつキモイんだもん。分かるっしょあの見た目だよ? 筋肉過剰なんだよ偶数の子達。人間の限界突破してんのはかっこいいを超えてキモイんよ。あーあ、せめて私もスピード型が欲しかったわ、I-04四番君みたいなさ。だいたいペアって言うけど、I-03三番ちゃんもI-04君が嫌すぎて逃げたんだよ、破綻してんのI型って。奇数の子達は脳、偶数の子達は身体を超強化してペアで行動することで人間の力を大幅に上げる、ってことでしょ? I-04君頭失ってるから統率取れなくてマジ邪魔なの。処分していい?」

I-03明日香なぁ……」

 所長はA4の紙に書き殴っていたメモの端に丸を付けてペンを置いた。同じ格好をしていて固まった肩を解し、背もたれに体を預ける。

「お前よりは聞き分け良かったんだけどな。一葉も死んで研究はほとんど振り出しに戻ったようなもんだ」

 首を回す途中でふと背後の空を見た。綺麗な空色が広がっている。雲もなく、晴天だ。

「その割に落ち着いてるのは、娘さんなんていくらでも複製できるから? で、H型誰が良かったの? データ残ってるからある程度は複製できるよ」

H-02二葉

「わお、即答。私会ったことないんだよねー。なんだっけ、G型の処分自分から名乗り出たって?」

 I-07はH型のことには興味があるようで、身を乗り出して食いついた。自身も実験体だが、人間である所長に近いところにいるせいで実験体を見下している節がある。特に実験体同士の闘争であるH型の殺し合いや、G型の処分に関する情報に興味があった。

「そうだ。二葉は研究所を継ぐのに相応しかった。雑用も進んでやるし人間が持っていてしかるべき常識も兼ね備えていた。研究所の理念を理解していたのもH型の中では彼女だけだった。しかしまさかH型を破滅させるとは思わなかったな。一葉も期待していたが、奴は失格だ、研究の邪魔になった」

 I-07は一通り笑いころげて手を叩いた。笑いのツボを把握していない所長が仏頂面のまま目を丸くしている。

「あーおもしろ、人間って本当に情とかあるんだね。どうでもいいじゃんね、他人の生死とか。じゃあ人間の生存のこと考えて一葉ちゃんの複製体にするってことでいい? 殺戮兵器はI型で間に合ってるっしょ」

 机から慎重に降り、部屋の隅にいたI-08を手招いた。おずおずとやってきた彼に抱えられ、部屋を出て行く。二葉の複製を望んでいた所長が止めるのも聞かず、手を振ってドアの開閉ボタンに手をかざした。

「グリーザめ、人間を軽蔑しやがって。I型なんて作るんじゃなかった、グリーザが「私を人型にしたら意思疎通が取りやすくなる」とか言うから従ったらこのザマだ。おいI-07、二葉だ! 複製は二葉にしろ!」

 机を殴り、コンピューターを起動しホログラムに手をおいてある人物に電話をかけた。

「人間を侮辱するなよ、AI風情が」

 その顔には先程までの焦った声とは裏腹に勝ち誇ったような笑みがあった。

G-01ジーワン私だ。十月一日から壁の改修工事を始める。その拠点が壁に呑まれる前に外側に避難先を作って……ジーワン? 応答せよ、おいジジイ!」

 電話の先から聞こえてきたのは聞き慣れた音のようだったが、所長には一体それが何の音なのか分からなかった。チップそのものと通話をしているので景色を拾うことは出来ない。音もくぐもっているので、本物とは異なる。

 誰かの低く落ち着いた声と速いワンの心音。他のメンバーの荒れた声と普通では無い物音がする。謎の音がもう一度聞こえた時、所長の顔からは笑顔が消えていた。

「明日香は何をやっているんだ、しくじったら人間が絶滅するんだぞ……!」

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灰の街 コルヴス @corvus-ash

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