3. 天使と歩む道
世界が変わったのは今から大体二百年ほど前だと言われている。
高度な文明を有していた筈の前時代。それがただの山の噴火程度で崩壊して、今日に至るまで明確な情報が残されていないのは、かつてひとつの島国として存在していたこの地が幾つにも割れて流されてしまったから。だという。
たしかに以前、懇意にしている質屋の店主から見せられた世界地図は縦長の大きな島が描かれていたし、ディスクと呼ばれる円盤には当時の戦争や英雄と思わしき存在を写した映像が数多く残されていたから、今よりもっとずっと世界は広く、大きなものだったのだろう。
とは言え僕にとってはこの街もかなり大きいと思えるし、英雄の様に空を飛んだり瞬間移動が出来たりする訳では無いから、確認のしようがないそれらの情報の真偽の程は、言うに事欠くというもので。
要は、何を信じるか。だ。
僕は過去の遺物を発掘、調査し保管する事を生業とする〝ストレージハンター〟と呼ばれる仕事を生業としている。
仕事柄、前時代の遺物に触れる機会は常人よりも遥かに多いし、前時代の情報も、頭にではあるが相当得ている。お気に入りのディスクも数枚持ってるし、あまり大きな声では言えないが希少品の〝歴史書〟も六冊も持っている。
これがまた不思議な事に、一般公開されている前時代の文献と、ディスクによる映像の歴史と、僕が所有している歴史書に書いてある内容はどれも見事に何ひとつともかすりもしないが、それはそれらの間に、ひいては現代との間に、まだまだ空白の歴史が眠っている証左とも言える訳で。僕は知的探究心をくすぐられて仕事に向かってしまうのだ。
そういう意味では、僕も年を重ねるごとに台頭する数が増えていく、いわゆる集い狂う団体とあまり変わりは無いのかも知れない。〝何を信じるか〟で裁量となるのは、自身の経験、体験した出来事に紐付けられるのだから。
ともかく、目下の問題は別にある。歴史がどうこうよりも重要な、早急に解決しなければならない非常事態である。やっぱり言い過ぎだった気がするので訂正、あまり重要では無いけれど解決しておかないと後々割と不便な気がする問題である。
成り行きだったとはいえこんな単純な事にも気付かず、灰に埋もれた帰路道程を歩み、倒壊した建物の残骸を時に飛び越え、時に迂回して、物思いに耽りながら、信仰のワードが頭を掠めた今しがた、やっと僕は気付いたのだ。
「あのさ」
「はい。なんでしょうか」
「あー、その。僕は君をなんて呼べばいいのかな」
「? ですから、私は天使だ。と」
「そうじゃなくて。偽名だろ、それ。いや偽名として扱うのも何か違和感があるんだけど」
「でも永世恒久的平和新道会の皆さんはそう呼んでくれて」
「僕に着いてきてよかったなあ! 本当に!」
クリーンだなんて擁護する余地もない、ベッタベタに塗り潰されたグレーだった。どうやら僕の予想は的中していたらしい。
傍から見れば深入りしてはならない集団だと自己紹介している様なものだけど〝信じる者は救われる〟ではなく〝救われたから信じる〟無辜の信徒にそれを疑えと言うのも酷な話だ。
本物にせよ紛い物にせよ、本人からすれば救われたという事実に違いはない。先にも言ったが、経験や体験に紐付けられた自身の裁量なのだ。その後の活動如何は別として。
だからこそ、その経験や体験の無い第三者の僕は、文献に残る程度の昔から存在している団体しか信用していないのだが。
「良くないですか。天使」
「呼びたくはないかなあ」
「そうですか……」
少女は神妙な面持ちで顎を撫でた。
「本名じゃなくてもいい。まあ、どうしても天使がいいって言うならそう呼ぶけどさ」
顎を撫でていた手が口元を隠すまで上がった。随分と悩んでいる様だ。
少女の生い立ちに関して全く気にならない訳では無いし、何ならこのイタイけな少女を掴まえて、天使だなんだと囲っていた永世恒久的平和新道会とかいうトンチキ集団についても言及したい所ではあるけれど。
「そう、ですね……」
この悩める小娘、もとい。少女にも自分の名前すら言い淀むくらいには、何がしかの事情があるのだろう。ならばそこまで首を突っ込む僕ではない。
〝万事危うきに近寄らず〟だ。大昔の格言というものらしいそれは僕の信条になり、一寸先の面倒という名の危険が多いこの街を生きる処世術でもあるのだ。
うんうんと唸り出した自称天使の少女を眺める。
まあ、こちらが近寄らずとも近寄ってくる様なイレギュラーは避けようが無いので、あまり上手い処世術とは言えないだろうが。
「では。ェルと」
「エル?」
「はい。エンジェルの末尾を頂戴して、ェルで」
「天使から引っ張ってエンジェルを持って来たのは良いとして、そこから末尾を取る人なんている?」
「はい。ここに」
「なんでちょっと得意気なんだ」
かくして非常事態は解除され、少女の呼び名が決定した。少し舌を巻きながら子音を作り、唸るように発音するのがポイントらしい。鬱陶しいのでそのあたりは無視することにした。
灰の積もった瓦礫の山を注意深く踏み締めながら進む。
この山を越えればもうすぐ僕の家に着く。思えばもう十日以上帰っていない気がするが、愛する兄妹達は元気にしているだろうか。たったの十日程度で心配するほど幼くはないけれど。
「溜め息が出るほど悪辣な道ですね……私は今までこん、なっ道っひゃあ!」
「あぶっ! あぶなっ! 裾を掴むんじゃない! 僕まで道連れにする気か!」
「わたっ私達はもう結ばれたのですから! 健やかなる時も病める時も転ぶ時も一蓮托生でヒッ!」
「ふざけるな! 僕は何も認めてないぞ! 一緒に来るのは許したけど心まで許したつもりは無い! 転ぶなら左に独りで飛べ! そっちは灰が積もって柔らかいから!」
「ああああしがっ! ワタライさん! 私を受け止あもうダメー!」
「だから引っ張るんじゃわああああ!」
迂回する、という手も確かにあった。
ただ、この道は入り組んでいる為迂回するとなると割と遠回りになってしまうという点と、ひとりの時は普通に登り下りをしていたという点。この二点が僕の判断を鈍らせていたようで。
瓦礫の山も頂上付近、このまま特に何の杞憂も無く登れると思い込んでいたのがそもそもの間違いだったのだ。先行していた身体を無理矢理捻り、エルを抱き寄せたまでは良かったが、受け身も碌に取れずそのまま麓まで僕らは転がり落ちてしまった。
「ぐえっ」
「うぐっ」
仰向けで大の字になるふたり。当たり所は悪くなかったようで、僕は特に傷や骨折はしていなそうだ。ただ鈍い打ち身の痛みと、あと物凄い虚脱感のせいでちょっと動きたくない。
首だけ動かして、荒い呼吸をしているエルに声をかける。
「エルさんや」
「ェルです」
鬱陶しい。
「どこか打ったりしてない?」
「ふぅ…………………………」
鬱陶し、いや、この事故は僕の判断ミスでもある。彼女より幼い兄妹達もこの山は初見で普通に登れていたが、そういえば彼女は蝶よ花よ天使よと囲われていた言わば箱入り娘なのだ。
慣れていない外界に降り立った、か弱い女の子の体力や運動神経にもう少し配慮するべきだった。まだじんじんと痛む背中に悪態を吐きながら起き上がり、豪快に手足を広げているエルを確認する。外傷は、特には無さそうだ。
「……っかい」
「どうしたの、やっぱりどこか痛い所があるの?」
「もう一回、やりませんか」
どうやら頭を強く打ったらしい。
「あんなに強く抱かれたのは初めてで……ふふ……うふふ……」
何かトリップし始めたエルは無視して、身体を全体的に軽く叩きながら表情を確かめる。うん、特に頭以外は異常が無さそうだ。不幸中の幸いと思おう。
「ほら、立てるか」
「立てません」
「なんでさ」
「うふふ……」
「どこか痛いの? やっぱり頭?」
「痛くないでーす。ふふ……」
エルは終始こんな調子で、頬に両手を当ててニコニコと笑っている。本当に、何故この少女はこんなにも僕にご執心なのだろうか。以前どこかで会った事なんて絶対に無いと思うのだけれど。
ひと息を吐いて、転がり落ちてきた瓦礫の山に視線を向ける。転がる僕らと共に崩れた瓦礫の間から、真四角の箱が顔を覗かせていた。
「エルさんや」
「ェルです」
「いきなりキリッとするな。ちょっと待ってて」
立ち上がり、警戒しつつ手提げ袋から革手袋を取り出す。思わぬ所で仕事が始まった。慎重に一歩ずつ、箱へとにじり寄っていく。
これが僕の予想する〝ディスクプレイヤー〟であるならばここまで警戒する必要は無い。無いが、つい先日その油断に僕の十日を費やした大仕事の全てが文字通り爆散し無駄になったばかりだ。
箱まであと数メートルという所でしゃがみ込み、石片を投げ当てる。外れた。投げる。外れた。
「何をしているんですか」
「うるさい。ちょっと離れてなさい」
当たった。箱はコン、という金属音を立てただけで、特に爆発する様子は見せない。高く鈍い音だ。外側は薄い金属で、中は空洞ではなく何かが詰まっていると見る。つまり。
「読みが当たったな」
「石も当たって良かったですね」
「バカにしてる?」
立ち上がり、箱へ駆け寄る。手提げ袋の中から解体用のドライバーと土埃を払うハケを取り出して、雪崩が起きない様に丁寧に瓦礫の間から箱を引き抜いた。
見た目は黒く薄い箱だ。親指と小指を立てて、ある程度の大きさを計測する。縦二、横一。僕の親指から小指までが大体二十センチあるから、縦四十センチ、横二十センチ程度だろう。
土埃をハケで払いながら、傷を確認する。小石がぶつかった傷以外は状態も綺麗だし、これなら質屋で買い取ってもらえるだろう。運良く再生機能が生きていれば十万円くらいにはなるかもしれない。
「何かが入ってる音もするな、これはもしかしたらディスクまで入ってるのか? うわあ嬉しいな。これで拾ったクッキー以外に手土産ができたぞ」
「何か知りませんが、転げ落ちてきて正解でしたね。そこで提案なのですが」
「やらない」
「むぅ」
ホクホクとしながら手提げ袋にディスクプレイヤーをしまい、いつの間にか横に並んでいたエルの髪に着いた灰を払い除けて、僕は意気揚々と立ち上がった。
空を仰ぐ。相変わらずの曇り空だが心は晴れやかだ。
道中にエルと出会い、エルと無駄話をして、エルと瓦礫の山を転げ落ちたりして、日没までもう時間はあまり無いけれど、何とか今日中には家に帰れるだろう。
「エル、手を出して」
「ェルです。はい」
「今度は足元をしっかり見て、僕の手を離すなよ」
「はい。離しません」
僕達は互いの手をしっかりと掴んで、瓦礫の山をまた登り始めた。
ただわれひとりで 〆(シメ) @spiitas
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