ある勇者の使命の旅の前の話④
『大丈夫だよ ちゃん!』
いつかどこかの公園で、今よりずっと小さい時の自分が、うずくまって泣いている誰かに慰めの言葉を送っている。
誰か……誰だったか。大事な友達だった気がするが、どうしても思い出せない。かつてはキラキラと輝いていた記憶だったはずなのに、今ではひどく色褪せて、まるで大昔の写真の様にくすんで見える。
そもそもこの子はどうして泣いているのだろうか?それすら思い出せない。忘れてはいけない大切な事だったはずなのに、もうどうやっても思い出すことが出来なかった。
『きっと何とかなるよ!だって――――は―――だもん!』
ついには自分が言ったことすらもまばらにしか思い出せず、しまいにはその時自分が何を思ってそんな言葉をかけたのか、何故俺だけしかそこにいないのかすらも忘れてしまった。
今更こんな昔の事を思い出すなんて、一体どうしたというのだろう?こんな遠い異郷の地で、過去を思い出せる要素すらない場所なのに、どうしてよりにもよってこんな記憶を?
そういえば、人間は死期が近づくと走馬灯を見るという話がある。つまる所、俺はもうじき死ぬのだろう。そうに違いない。
でなければこれほど色褪せた記憶が再び脳裏に閃く事など無いはずだから。
それならば、せめて志半ばで力尽きても恥ずかしくないように生きようと思った。短く、どうしようもない程に何もない人生だったけど、だからこそ最後くらいは花を添えられるように生き抜こうと思った。
尤も、その花を見せられるような存在は、この世界にはいないのだけれども。
世界が終わるまで、あと1年。
☆
あの地獄のような日から数週間が経った。
魔物を殺し、人を殺し、心に深い傷を負った道進はその後数日は部屋から出てこられなかった。
とにかく誰の顔も見たくなかった。誰とも話したくなかった。
寝ようと思っても、ゴブリンを殺した瞬間や、盗賊を殺した際の光景が何度も夢に現れ、覚醒と気絶を繰り返し、一時の間彼はストレス性の不眠症に陥っていた。
起きている間も殺した時の感触がずっと手に残っており、その不快感から手の皮が捲れ上がるほど強く洗ったり、食事をとってもすぐに吐いてしまい、まるで死人の様にやつれてしまっていた。
しかしそれも(糞ったれな)神の力により、傷ついた心は驚異的なスピードで修復され、物の1週間程度のリハビリで元の様に行動できるようになった。
なってしまった。
その事に、道進は死ぬほど嫌悪感を覚えた。
だがどう思った所で、自分如きが神の力をどうこうできる訳も無い。その術も無い。
故に道進は自らに宿る神の力に対して死ぬほど嫌悪感を覚え、憎み、今すぐにでも取り外したい衝動に駆られ、しかしどうしようもない程手放したくないと思った。
無限の苦悩の末、彼はそういうものなのだと受け入れた。
自らの力だけで高みへと昇ろうとする者や、自我の強い者であらば、あるいは断固として拒絶したのであろうが、彼は凡人で、だからこそ妥協するという判断が出来たのだ。
部屋から出られる様になった道進は、これまで以上に訓練に打ち込んだ。
少なくとも訓練をしている間は何も考えずに済んだ。とにかく今は考える時間を少しでも減らしたかった。そうしないと、今にも蹲ってしまいそうで怖かったから。
自らの腕前が上がっていく歓喜と、限界まで訓練を続けて精魂尽き果てて気絶するように眠る日々を続けていった結果、気がつけば1ヶ月、出発の日が目前まで迫っていた。
出発前日の夜、すでに準備を終えた道進は部屋の中を片付けていた。
理由はもう二度とこの城には戻らないだろうという諦念と、飛ぶ鳥跡を濁さずという言葉がある。
使ったら元の位置へ、ドアは開けたら閉める。要はそういう事だ。
何よりこれから始まる使命の旅はとにかく迅速かつ目立たない事が絶対条件だ。
自分がやらなくともきっと使用人が片付けてくれるだろうが、こればっかりは性分で、今更止められるようなものでは無かった。
勉強のために使っていた机を拭き、さっきまで寝ていたベッドの皺を伸ばし、与えられた衣服を脱いで今しがた整えたベットの上に綺麗に畳んでそっと置いた。
自らがここに居たという痕跡を一つ一つ丁寧に、入念に消してゆく。
予め国王や教官たちに日の出前にここを発つという話は通してある。その時出迎えの言葉も祝いも無しと念を押してあるから、自分がここから消え失せようがこの城では普段と変わりない一日が送られることになるだろう。
ここを掃除するために使用人が来ることだろうが、面識などほぼなく、彼(または彼女)はきっと気にしない。
元より訓練一辺倒の毎日だったため、親しくなった相手などおらず(そのつもりがはなから無い)、たくさんの事を教えてくれた(半分ほど不要な物)3人の教官や、衣食住を提供してくれた(強制的に拉致してきた不届き者)国王くらいしか関わったと言える様な者はいない。
唯一話したと言える存在はこの国の第3王女『サージ』だが、廊下ですれ違った際に二言三言話したり、こちらが訓練中に気まぐれに現れては一方的に話しかけてくるといった感じで、やはり親しい間柄とは言えない。
それがどうした。
国王から賜った大容量の魔法の袋の中身の最終チェックをしながら、道進は鼻で笑った。
たとえ使用人の誰それと仲良くなろうが、国王や王女の覚えめでたかろうが、どうせ俺は志し半場で死ぬのだ。
途中で死ぬ。終わる。無駄死にだ。深い森の奥で、草原のど真ん中で、雪原で無様にくたばる。誰にも顧みられる事など無い。
ならば誰それに覚えられていたところで、だから何だというのか。
本当に覚えていて欲しい人々はこの世界にはいない。父も母も妹も、かつて親しかった友達も、もう二度と手の届かない彼方にいる。
だったら1ヶ月程度しか関わってない上にこちらを碌に見てくれない連中に、力しか見てくれない連中なんぞに覚えておいて欲しいとも思わない。
良いだろう。お望み通り使命の旅に出ていってやる。先に出ていった3人の真の勇者と同じように。
しかし期待はしない方が身のためだぞ?何せ碌な戦果も上げられないだろうからな!
中身の確認を終え、袋の口をしばって懐にしまった直後、扉をノックする音が聞こえた。
「……」
道進は訝し気に扉の方を向いた。
寝ぼけた誰かが間違ってやって来た可能性も考慮し、しばらくそのまま動かないでいると、ノックが続けて2度3度鳴らされ、この来訪者が明確な意思を持って扉の前にいる事が分かった。
こんな時間にどこの誰だ?
そう思いつつ、だからといって拒む理由も無いので、来訪者に向けてどうぞ、と言って入室を促した。
自分の存在を快く思わない存在の襲撃の懸念もあったが、今殺されようが殺されまいがどの道使命の途中で死ぬのだ。今だろうが後だろうが結局死ぬのなら、いっそ早い方が良い。
そう思い、道進は捨て鉢に笑った。
ある勇者 @sanryuu
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