ある勇者の使命の旅の前の話③

 命には優劣がある。



 それは何も人だけの話では無く、獣にも植物にも同じように優劣がある。



 基本的にその優劣の基準は人の役に立つかそうでないかが基準となる。



 例えば犬なら野良犬かペットの犬か。例えば植物なら食えるか食えないか。



 人ならば前に言った通り、役に立つかたたないか。あるいは地位が高いか高くないか。あるいは顔が良いか良くないか。



 とりわけ人が重視する価値基準は『顔』か『地位』だと俺は思う。



 だってどっちも目に見える物だろう?人は基本的に目に見える物しか見ない。



『顔』ならイケメンか不細工か。あるいはそのどちらでもないか。『地位』なら偉いか偉くないか。いや、こういう場合は金を持っているか否か、だろうか?



 まぁ、どうであろうが俺からすればどうでもいい話だ。だって俺はそのどちらも並で、人は並なんかよりも良、超良しか目に映らない。



 並なぞ目もくれない。路上の石ころよりも、道路脇に生えているタンポポや電信柱に止まっている鳥の方がよほど目に入る。



 俺は川原の石ころ。あるいは草原の草の一本。あるいは1リットルの海水。あるいは歯車の一つ。



 要するに居ても居なくても誰も気にしやしない人間という事だ。消えたところで、代わりを見つけてそこに当てはめれば、ほら元通りだ。何も変わらない。



 そんな事は知っている。ずっと昔から。



 ただ、それでも、



 分かっている。わかっちゃいるが、それでも俺はいつだって考ずにはいられない。



 ―――――居なくてもいい奴と、居ても居なくてもいい奴の違いとは、一体何なのだろうか、と。





 ☆





 訳も分からず道進が連れてこられたのは、小さな洞窟への入り口だった。



「何ですかここ。洞窟?」

「然り勇者様!実はこの周辺に小規模の盗賊団が出没しているとの報告がありましてな!」

「すでにいくつかの村が襲われて被害を出しており、一刻も早く調査するように命を受けていました!」



 指南役の説明に、日に日に鋭敏になってゆく直観力が道進へ警報を鳴らした。



 間違いなくこの二人は碌でもない事を言う。俺にさせようとする。



 直観に従い、道進は一刻も早くこの場を離れようと足に力を入れるが、体に力が入らない。その上両脇をがっちり固められているから、彼の目論見は実行する前からすでに詰んでいた。



 聞きたくない。知らない。俺には関係ない。頼むからその先の言葉を言わないでくれ。俺にこれ以上誰かを傷つける様な事をさせないでくれ。人以外の生き物ですらこの様なんだぞ?お願いだ…それだけは…。頼む…。神様…。



「…それがどうかしたというのですか?」

「ふふ、それがですな。斥候にこの辺りをあらかじめ探らせていたのですが、丁度あなた様がゴブリンと勇ましく戦っている時に報告がありまして…何と居場所が分かりましたのです!」

「それがここです!丁度良きタイミング!この際続けて対人戦の実戦と行きましょうぞ!」




 ステップ3 人を殺そう




 予想通りの返答に道進は気が遠くなり、体が崩れ落ちそうになったが、両脇を抱えられているためそれすらさせてもらえなかった。



「心配ですか?大丈夫です!何せここに居るのは盗賊だけです!!」

「どころかきっと感謝される事でしょう!!」



 指南役の二人が身振り手振りを交えながら、何事か喚いている。聞こえない。



 兵士たちが目を血走らせて洞窟の中へ突撃していくのが見えた。知らない。



 兵士たちが入っていった洞窟の中から、微かに悲鳴や怒号が聞こえてくる。止めろ。



 しばらくすると、洞窟の中から同じデザインのバンダナをつけたみすぼらしい恰好をした男たちがわらわらと這い出てきた。虫みたいに。



 這い出てきた虫けらたちは、まずあたりを見回して周囲を探り、そして両脇を囚人めいて抱えられている道進の姿を確認した。



 彼らは一瞬だけそんな姿の道進をみて困惑したように目をぱちくりと動かし、それから互いに見つめ合って、まるで覚悟を決めたように頷きあった。



 そして再び道進の方へ向くと、捨て鉢に突撃を開始した。



「「「ウオオォー!!!」」」

「アナヤ!」

「これはこれは!」

「……」



 迫りくる盗賊たちの気持ちは、正直のところ分からない訳では無かった。



 後方からはおっかない兵隊たち。前方には見るからに弱っちい、もやしみたいな青年が、屈強な兵士2人に囚人さながらに両脇を固められている。



 前門の石ころと後門の狼なら、人は当然前方の石ころを選ぶ。



 石ころの両隣に屈強な兵士が2人程いるが、それでも後方の血に飢えた狼の群れに比べれば犠牲はきっと少なく済むだろうという、彼らなりに考えての事だった。



 惜しむらくは彼らが石ころと断じた青年は、ただの石ころでは無かった。この石ころは石ころは石ころでも、飛んだり跳ねたり柔らかくなったりできる、そんな特別なな石ころだった。



「うぅ……糞ッ!」



 道進は諦めたように毒づき、俯いた。



 彼の意図を察した指南役は拘束していた腕を離し、代わりにその手に弓を握らせた。その際に指南役はにっこりと微笑んだが、道進は無視した。



 顔を上げた道進はすぐさま矢筒から10本の矢を取り出し、向かい来る盗賊の急所に向けて矢を射ろうとしたが、ぎりぎりのところで思いとどまり、手や足などに狙いを絞り、矢から手を離した。



 散弾の如く発射された矢は突撃してきた盗賊たちの手足を吹き飛ばすだけでなく、後方にいた盗賊にまでも突き刺さり、発射された矢は10本だったにもかかわらず、その倍近い人数の無力化に成功した。



 道進はあっちこっちに吹き飛ぶ手足に、再び戦慄に襲われた。今度は緑ではない。赤だ。見慣れた、赤い、目にするたびに顔を顰める『アレ』が、びちゃびちゃと地面にまき散らされてゆく。



「ひえー!!!」



 ゴブリンを殺した時よりもずっと大きな衝撃が道進の心を襲った。



 人以外の生き物を殺した時でさえ多大なストレスに襲われたというのに、同じ人間を殺してはいないものの欠損させ、血や肉を辺りにまき散らしているという事実は、彼には到底受け入れられる事では無かった。



 それは神の力ですら抑えられない程の負荷であり、つけられたばかりだった心の傷は更に深く、大きくなった。



 ストレスにより一瞬で恐慌状態に陥った道進は、必殺の10本撃ちをあろうことか3回連続で撃ち放った。加えて、今度は魔法を付与した全力の一撃だった。



 手加減もあったものではないその連続斉射は、その大部分が外れたものの、一発一発が大砲並みの威力があるために、地面に突き立った瞬間爆発したように土砂が舞い上がり、それに巻き込まれる形で残り全ての盗賊たちが上空へと放り出された。



「「うわあああああ!!?」」



 数十人もの男たちが何十メートルもの上空で中を泳ぐ様は、いっそ滑稽とすら思える光景だった。



 指南役も己が目を疑うかの如く目を見開き、口を閉じる事すら忘れていた。



 遅れて洞窟から出てきた兵士たちも同様に、その冗談のような光景を目にした途端、驚きに体を硬直させた。



 数十人の盗賊たちは手足をばたつかせて少しでも落下の抵抗を減らそうと試みたが、その努力も空しく、舞い上がった土砂とともにまるで人形のように地面に落下した。



 もうもうと立ち込める土埃越しに、数多の痛みに呻く声が聞こえた。道進はすぐさま耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、体がこわばって思うように動かなかった。



 そのせいで聞きたくも無い呻き声を延々と聞かされる羽目になった。



「い、痛い…」

「死なせて…死なせてくれ…」

「足がぁ…俺の足がぁ~……」

「~~~~~~ッッッ」



(動け!動け動け動け!手を動かせ!耳を塞げ!しゃがめ!目を閉じろ!今すぐに!!)



 しかしどれだけ脳が指令を送っても、体は動こうとしなかった。



 やがて土埃が晴れると、そこには地獄があった。



 手足があらぬ方向へねじ曲がり、虫の様に痙攣する者、足が吹き飛んでいるにも拘らず立とうとする者、狂ったように死を懇願する頭部を大きく破損させた者。



 体の動かなかった道進はそれらの光景を完全に視界に収める事となった。



「――――――」



 瞬間、頭の中から考えが吹き飛び、束の間のあいだ道進は呼吸すら忘れて硬直した。



 あれはなんだあの恐ろしい光景は何だこれが現実だとそんな訳が無いそんな事があってはならないあれはフィクションだ非現実だ存在しないものだあれは俺がやった事じゃない知らない知らない知らない――――――。



 頭も中で、必死に目の前の現実を否定する言葉が溢れた。



 しかし、どれだけ否定の言葉をかけようが、目の前の圧倒的な現実の力はその場しのぎの言葉で誤魔化し切れるものでは無かった。



「うぷ……オゴーッ!」



 ついに心の均衡は崩れ去った。



 道進は恥も外見も無く、地面に手をついて盛大に吐いた。



「はっ…はっ……」



 吐き出して吐き出して、しまいには胃液しか出なくなっても、それでも道進は吐き続けた。まるで胃液と共にこの悪い記憶も吐き出そうとしているかのように。



 彼が苦しみに悶えている間にも状況は淡々と進んでおり、一つ、また一つと呻き声は減ってゆき、道進が気付いたころには



 視線を感じ、訝し気に顔を上げると、指南役二人がにこやかな顔をしてこちらを見つめていた。



「……何?」

「いやはや素晴らしいお手並み!まさにごみの様でしたな!」

「しかししかし27人いた構成員の誰一人死んでいなかったので、!」

「…そうですか」



 要らぬ気づかいをどうも。



 喉奥まで出かかった言葉を、ぐっとこらえる。そうしないと、余計なことまで言ってしまいそうだったから。



「勇者殿も落ち着かれたと見受けられますので、最後に残ったゴミ掃除をお願いいたしまする!」

「あ?」



 聞き間違いかと思った。思わず指南役の方を見る?



 こんな状態で?この2人は俺が今どんな精神状態か分からないのか?俺がどうしてこんな有り様になっているのか理解していないのか?



 どうか伝わってくれと、そういう思いを瞳に込めて道進は指南役へ目を向けたが、2人は相変わらずにこやかに、しかしどうしようもなく残酷だった。



「もとよりそれが目的であなた様を連れきたのですからな!」

「さささ、こちらへどうぞ!」



 2人に先導され(というより引っ張られて)、道進は最後の生き残りの盗賊の前に立たされた。



「……」

「ひ、ひひ、ひぎっ……」



 道進は虫の息でかろうじて生きているだけの盗賊を見下ろした。



 両脚は折れ曲がり明後日の方を向いており、わき腹からへし折れた肋骨が突き破って飛び出していた。両腕は根元から吹き飛んでおり、まるで出来損ないの芋虫みたいだ、と道進は思った。



「さあさあさあさあ勇者殿!」

「一息に腹をぐさりと!こう、抉りこむように!」



 槍の指南役が槍を握らせてきて、弓の指南役が背を押して彼を追い立てた。



「はは……」



 命には優劣がある。



 人を害する様な者に価値は無く、人を害さない者には価値がある。



「おら暴れんな!」

「必死になって可愛いね♡勇者様にさっさと殺されろ糞野郎」

「ン゛グゥ゛~!!?」



 周りに集まってきた兵士たちが、出来損ないの芋虫を突きまわしてはこちらを急き立てるかのように騒ぎ立てた。



 早くしろ。



 直接言葉でそう言われた訳ではないが、彼らの態度から、そのような思いを感じ取った。



 彼らは早く見たいのだ。勇者が人を殺す瞬間を。



「……」



 道進は盗賊から目を逸らし、自らが握りしめる槍の方へ視線を映した。



 命には優劣がある。



 人社会においてその優劣は残酷なほどに大きな割合を占めており、劣る者と優れた者との間にはどうしようもないほどに深く大きな亀裂が開いている。



 両者に開いた亀裂は月日が経つごとに埋まるどころか、日々広がってゆく。そして開いた亀裂の中には憎悪という名の闇が広がっているのだ。



 両者が理解できる日は、きっと永遠に来ないのだろう。本当に理解し合えるのなら、こんな酷い事が起こる筈が無いのだから。



「……」

「ひっ…!」



 一歩踏み出す。盗賊は身をよじって後退しようとするが、後ろに立った兵士がそれを阻んだ。



 命には優劣がある。



 例えば、たった今俺が跨った状態で槍を振り下ろし、腹を貫かれて世界の終りのような声を出して絶叫する男と、罪人の腹を狂ったように刺しまくる俺との差とは一体何なのだろうか?



 命には優劣があり、その区別がつくと、今度は人を害さない人々の細分化が始まる。



 その区別は多岐にわたり、更に物事にはどんなことでも別側面というものがあるから、それを考慮すると、とてもじゃないが全てを把握するのは不可能だ。



 つまり、さっき殺した生物と、これから殺す生物が、果たして価値がある物か無い物かどうか、正直のところ俺には区別をつけることが出来なかった。



 俺もこいつらも、どちらとも優劣で言えば劣に入る者同士なのに、どうしてこんな殺し合いを演じねばならないのか?



 いくら考えても答えは出ない。出せない。出したいとも思わない。



 初めの刺突で絶命しているかつて盗賊だったものを、俺は何度も何度も狂ったように突き刺した。



 その時の俺は一度の攻撃でそれが生きているのか死んでいるのか分からなかったから、だから何度も突き刺した。



 この時の感触は今でも覚えている。忘れたくとも忘れらない。



 周りで兵士たちの歓声が聞こえる。指南役の2人が近寄ってきて、称賛の言葉を浴びせてきたが、生憎俺は聞いちゃいなかった。



 盗賊の死体に跨り、槍を握りしめた状態で、道進はそのまま失神した。


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