ある勇者の使命の旅の前の話②

 物事には優劣がある。



 例えばもうすぐ電車が出発してしまう。急げば間に合うって時に、すぐ近くで荷物をばら撒いた人がいるとしよう。



 俺がそういう場面に遭遇したら、まず間違いなくそんな奴は無視して電車に向かって突撃するだろう。



 ああ可哀そうだな。そう思いはする。思いはするが手は貸さない。



 だって手なんか貸してたら、遅刻してしまうから。



 大抵の奴はそうするのではなかろうか。



 物事には優劣がある。



 大概の人間は自らが中心で、その周りに肉親や知人が、その周りを自らに関係ある人たちが、そして更に外側に無関係の人間がある。



 誰とも知らない奴を、人は助けない。手を出さない。



 昔だってそうだったのだ。他者との関係が希薄になった現代社会ならなおさらだ。



 で、前置きはここまで。



 本題は物事に優劣があるように、人にもまた優劣があるということだ。



 例えば何一つ悪い事をしていない平凡な奴と、人を平気で殺すような連中はどちらが価値ある人間か?



 そんなこと言うまでも無いだろう。人を傷つけるような連中に価値など無く、何一つ悪い事をしていない奴の方が価値がある。



 100中100人がそう答えるだろう。



 じゃあ次の例えだ。



 何一つ悪い事をしていない奴と、超ウルトラ金持ちのイケメンとなら、どちらが価値ある人間かと問われたら、お前は何て言う?



 



 たしかに人を殺すような連中よりもその平凡な男の方がマシだろうが、



 彼らに比べて、俺には何の価値がある?



 4人もいるんだぞ?更にその内の3人は超特大の素質持ちだ。



 俺がいる意味は何だ?俺の存在意義は何だ?どうして俺は意味があるのかどうかすら分からない事を続けているんだ?





 ☆





 城内の訓練所で、二人の男が槍を振るいあっていた。片方は道進、もう片方は指南役の兵士である。



 両者が手に持つのは同じ槍という武器種だが、指南役の兵士が握る槍は長槍、楕円形をしたいわゆる西洋式の槍、ランスである。一方道進が持つ槍は先端が十字に分かれた刃で構成されている、いわゆる十文字槍と呼ばれる槍である。



 そして武器種が違えば当然立ち回り方が変わり、同じ槍の使い手でも、両者の戦法は全く異なっていた。



 突きを主体とした一撃離脱戦法をとる指南役に対し、道進はある時は突き、ある時は薙ぎ払い、ある時は槍を地面に突き立てて棒高跳び選手の様に高く上空へと舞い上がり、上段から奇襲を仕掛けたりして巧みに攻め立てていた。



 道進の苛烈な攻めに、指南役は反撃に移ることが出来ず、徐々に後退してゆく。その隙をカバーするように、それまでじっと機会をうかがっていた弓の指南役が道進の背後から弓を撃ってきた。



「いけませんな勇者殿、真後ろががら空きですぞ!」



 指南役の放った弓矢は先端が丸く削ってある訓練用の物だが、それでも彼ほどの練度の者が撃てば当たればただですまない必殺の一撃となる。



 指南役は命中を確信し、少しばかりやりすぎたかと思ったが、その心配は杞憂だった。



「分かるぞ!」



 あろうことか道進は攻め立てている動作を中断することなく、連撃の最中に矢を迎撃する動作を取り入れていた。



 彼は槍を回転させながら後ろ手に回し、弓矢を振り返りもせず破壊。それから流れるように槍を前へと戻し、回転の勢いを乗せた一撃を槍の指南役に叩きつけた。



「なんと!あれを防ぎますか!」



 弓の指南役は驚嘆した。いくら武器の扱いが上達したからと言って、それが実戦で使えるとは限らない。



 しかし道進は訓練後も自主練をしており、教えられた動作を実戦でも問題ないくらいに体に染み込ませていた。



「す、素晴らしい…!これが神の力を与えられた勇者の成長速度!」



 弓の指南役は道進の成長速度に、ただ驚くばかりだった。



(何という苛烈な攻撃!せ、攻めに移れぬ!)



 一方槍の指南役もまた驚愕していた。



(分かる。この一撃一撃に籠る重さは真剣に鍛え上げた者の証!この方は私に教えられたことを完璧にマスターしている!素晴らしい!さすが神の戦士!)



 彼が道進の成長速度とその真面目さを褒め称えたと同時に、道進は側面の刃にランスをひっかけ、思い切りかち上げて指南役の手からランスを引き離した。



 そして宙を飛んだランスが地面に突き刺さるより早く、道進は槍の指南役に槍を突きつけた。



「ふぅ…俺の勝ちです」

「お見事です勇者殿、これなら次の段階へ移っても問題なさそうですな」

「へ、次?」



 道進は目をぱちくりさせて、指南役の言葉をオウム返しした。



 どうも道進以外の者達にはすでにこれから始める事の話は行き渡っているようで、道進と指南役たちの戦いが終わるまで見守っていた兵士たちがてきぱきと彼の前に整列した。



「御覧の通り他の者の準備はとうにできております。ささ、勇者殿行きますぞ」

「え?え?」



 道進は指南役の兵2人にどやされるように背を押され、まるで状況が飲み込めぬまま、休憩も挟まずに王都から北に向けて2キロ先にある森の中へと連れていかれた。




 ステップ2 魔物を殺そう




「魔王の降臨によるためか最近魔物による被害がそこかしこで出ていましてな、この森の近くにある村でも被害が相次いでいるのです。そこで近々討伐隊を率いて村周辺の魔物を殲滅しようという話が出ていましてな」

「はぁそうですか」



 一体どういう理由で連れてこられたのかさっぱり分からなかった道進だったが、森の中を進む道中でその理由を教えられ、やっとこさこの遠征の目的を理解できた。



「…だったらあらかじめ伝えておいて欲しかったですね。せめて身構える時間が欲しかったです」



 理由は理解できたものの、必要な事だとはわかってはいるがあまりにも突然のこと過ぎて、道進はつい愚痴を零した。



「いえ、それではいけませんぞ!もし逃げられても困りますからな!」

「なにより身に着けた技や技術は実戦でこそ発揮されるのですぞ!」



 鼻息荒く語る指南役二人に道進はそうだろうかと、とっくり考えてみた。



 もしあらかじめ伝えられていた時の事を想像してみると、確かに、想像の中の自分はあの手この手で機会を先送りにしていた。



「……」



 道進は想像上の己に心底呆れたようにため息を吐きながら指南役に向き直り、「それもそうか」と呟いて、頷いた。



 それからしばらくの間平和な時間が続いた。



 道進は魔物との戦闘になった場合の動きを脳内でシュミレートし、指南役の二人はこの後の段取りについて話し合い、兵士たちは隣の者と雑談したり、歌ったりしていた。



 森の中を彷徨い始めて30分程度の時間が経ったであろうか、ついにその時はやって来た。



 茂みの濃い場所を通り過ぎたところで、道進のすぐ真横の茂みがガサガサと揺れ、その中から全身が緑色の小男のような生物が飛び出してきた。



「ヌッ!?」



 道進は突然の事で驚き、思考を停止させた。



 しかし止まった思考に対し、体はまるで別の生き物のように動き出していた。背中に背負った折り畳み式の大弓を手に取り、矢筒から矢を取り出してつがえた。



 そして彼の思考が戻るころには、すでに手は矢を放していた。



 矢は真っすぐに標的に向かって飛んで行き、『それ』が反応する間もなく頭部に突き刺さる、どころか粉々に吹き飛ばし、その後方の木に深々と突き刺さった。



「え?」



 道進は自分が今まさに行った行動が信じられずに、頭の無くなった『それ』と自分が握っている大弓とに繰り返し交互に目を向けていた。



「見たか今の?ほぼ反射で射ていたぞ」

「素晴らしい!やはり訓練の成果は実戦でこそ―――――」

「さすが勇――様―――」



 周囲の人たちの声が、徐々に遠くなってゆく。



 道進はたった今自分が頭を吹き飛ばした『それ』を凝視した。



『それ』は全身が緑色の肌をしており、吹き飛んだ頭を考慮に入れても背丈はせいぜい110センチ程度。手足は短く、体のそこかしこに瘤の様な物が出来ており、非常に不潔な印象を受けた。



 血液の色は肌の色と同じく緑色で、断面からドクドクと流れ出て水たまりを広げていた。



(あぁ、こいつはゴブリンだ。本で読んだ外見と一致する…)



 広がりゆく緑色の水たまりを見て、道進は茫然としながらそんな事を思った。



 頭の中がふわふわとして考えが纏まらない。目の前に移る光景が現実だと上手く呑み込めない。



(どうしてこうなった?)



 上手く機能しない頭で色々考え、結局その事に行き着いた。



 おかしい、俺はいつものように大学の図書室で課題のレポート書いていたはずだ。あーだこうだ四苦八苦しながら、それでも何とかやり終えてそのまま帰宅していたはずだろ?何も変わらない日常だったはずだ。。それなのに、何で俺はこんな所に居るんだ?どうしてこんな事をしているんだ?おかしいぞ、これはおかしい。



 次第に、自分のしでかしたことが飲み込めるようになって、鼓動が速くなるのを感じた。体温が上がり、呼吸が荒くなる。視線が定まらなくなり、足元がふらついた。



 しかし、倒れはしなかった。



 何故か分からないが、頭の底に、、それが決壊しそうな感情の濁流を無理やり押さえつけているような感覚があった。



 おかしい。道進は思った。



 本当なら今にも叫びだして走り出したいのに、どうしてか最後の一歩が踏み出せない。どころか、徐々に落ち着きを取り戻し、周囲の状況を探り出す始末だ。



 何だこれは?どうして俺はこんなに冷静になっているんだ?生き物を殺したんだぞ!あ、何か人間っぽくない魔力の気配が複数…じゃねぇ!何だこれは?おかしい。不自然だ。



 そこで道進は自分の中に、何か自分の物ではない感覚に気が付いた。



 それが神の力によるものだと気付いた時、道進は吐き気がした。



 吐き気がして、つい片膝をついてしまった。



 それを待っていたかのように、それまでこちらを窺う様に周囲に潜伏していた人ならざる魔力が一斉に動き出した。



「ギャー!」

「ギギ―!」

「ンンーアリエナイーwww」

「魔物を確認!これより攻撃を開始する!全兵、抜刀!」



 魔物の姿を確認するや否や、すかさず兵士たちは抜刀し、群がってくるゴブリンの群れを迎え撃った。



 ゴブリンという魔物はその凶暴性とは裏腹に戦闘能力は相当に低く、訓練を受けた者たちが相対する場合、まず負けることは無い。



 ゴブリンは別々の群れ同士が鉢合った時、そのまま一緒になって行動する性質があり、その上何処にだっているため、すぐに元の群れの10倍近くまで膨れ上がる。



 しかしいくら群れたところでその弱さゆえに大した脅威にはならず、1000匹の群れでも小規模の討伐隊であっけなく打ち取れる。



 それでも一般人からすれば十分な脅威であり、尚且つ最近は魔王復活の影響で魔物が自発的に村や町を襲うケースが多いため、このように国が討伐隊を率いてあっちこっち駆けずり回っているのだ。



「死に晒せークソカスがー!」

「獣畜生が人様に迷惑をかけるなー!」

「げひゃひゃ焼け死ねー!」

「薄ノロ!親の顔が見てみたいぜ!」



 そんな訳もあって、推定100匹ほどいると思わしきゴブリンの群れは30人ばかりの兵士たちにサクサクと、それこそ雑草を刈るかのように剣やら魔法やらで造作も無く倒されていた。



「アバーッ!」

「グエーッ!」

「シンダンゴーッ!」



 造作も無く倒される。血潮を散らして、炎に包まれ、臓物を零しながら、ごみの様に死んでゆく。



 兵士たちは罵声を浴びせながら、何の感慨も無くゴブリンを殺戮してゆく。



 当然だ。彼らからすればこれはただの日常の一部で、取るに足らない些末事にすぎない。



 おかしいのは、ただ一人自分だけ。



 ゴブリンの放つ絶叫。兵士たちの罵声や嘲り笑う声がひっきりなしに聞こえてくる。その度に、道進は気が狂いそうになった。



 本当なら今すぐにでも耳を塞いで蹲りたいのに、状況がそれを許してはくれない。



「ゲゲゲ―ッ!」



 そうこうしている内に弱っている者を目ざとく見つけたゴブリンが奇声を発しながら飛び掛ってきた。



「うぅ…畜生…!」



 道進は震える体を押さえつけ、背中に弓を素早く戻し、飛び掛かってくるゴブリンがこちらに到達する前に槍で胴体を貫いた。



「グギィッ!?」

「ッッ!!!?」



 道進の体に戦慄が走った。肉を貫き骨を断つ感覚が槍越しに伝わる。



 悍ましい感覚に、道進の体の震えはより一層強まった。吐き気も同様に。



「ギギ―ッ!?アバーッ!?」



 槍に貫かれたゴブリンはまだ生きていた。ゴブリンは死に物狂いで暴れ、何とか槍から脱出しようと藻掻いた。



「ひえーっ!?」



 ゴブリンの必死の抵抗が手に持った槍に伝わり、道進は悲鳴を上げた。ゴブリンが暴れる度、腹の傷口から緑色の血が飛び散り、視覚的にも精神的にも道進を深く傷つけた。



「う、うわああああ死んでくれ!頼む!早く死んでくれー!!!」



 精神的に限界の近かった道進は一刻も早くこの感覚から逃れたかった。



 彼は槍を高々と掲げ、貫かれたゴブリンもろとも地面に叩きつけた。



「ギュ…アバッ…バ…」



 彼は狂ったように何度も何度も叩きつけた。



 何十回地面に叩きつけただろうか。屑肉と化したかつてゴブリンだったものは、いつの間にか槍から外れていた。



 それに気づかぬ道進は悲鳴を上げ、風魔法を付与した槍を前方に向けて薙ぎ払う様に打ち振るった。



「ゲゲッ!?」

「ア゜ッ!?」

「アラ^~!?」



 その瞬間、前方にいた何十匹者ゴブリンの上半身と下半身が泣き別れとなり、彼らは何が起きたのか何一つ理解できぬまま、塵の様に死んでいった。



「ハァー…ハァー…クソ、クソ……」



 道進は槍を杖の様にして体を支え、かろうじて倒れずに済んだ。



 力が抜ける。初めて命を奪ったことの衝撃は、道進の脆い心には荷が勝ちすぎた。



「おぉ~すげー!」

「さすが勇者様だ!」

「あの数を一瞬で!」



 そうとは知らず、兵士たちは道進の行った凄まじい一撃にただ感動し、どたどたと近寄ってきてはやいのやいのと騒ぎ立てた。



 道進からすれば堪ったものではない。ただでさえ参っているというのに、



「蛮族共が…」



 道進は小声で吐き捨てた。



「いやはや素晴らしい手前。私感動いたしましたぞ!」

「初めての実戦であれほど動ければ大したものです!」



 指南役の2人は初戦闘での動きを称賛しながら、道進の方へとつかつかと近寄ってきた。



 道進は反応しない。心の中で自分の行った行為と折り合いをつけるので手いっぱいで、とても他人と会話できる状態ではなかったからだ。



 しかしそれも指南役の放った言葉により、強制的に反応させられた。



「これならすぐにでも次の段階へと移行できそうですな!」

「丁度良きタイミング、まさにドンピシャだ!」

「…は?」



 道進は素っ頓狂な声を出し、思わず2人の指南役の方を見た。



 見つめられた彼らはただ意味深な笑みを浮かべると、道進の両腕を抱え、そのまま彼を目的の場所へと連行した。



 道進は訳も分からず、というよりそんな気力すら湧かず、ただされるがままに2人に引きずられていった。

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