ステキなナニカ

苗木屋譲

ステキなナニカ


心に穴がある奴は、すぐにその穴を埋めた方がいいぞ。悪いものが寄ってきて、取り憑かれちまう。良質な蒸留酒はどうだ?賭け事で一枚の金貨を100枚しないか?喉と脳にガツンと来るヤクもあるぜ。ただ、友情とか希望とか信頼とかで心の穴を埋めるのだけは止めておけ。そいつらは心の穴を広げた挙句、いつの間にか消えてなくなっちまう。悪霊、悪魔以上に質が悪い。

全国娯楽協会



今年度から通称“救済法”の施行により、政府支出における福祉の占める割合が1.5倍に増えた。労働者間の待遇差別改善、社会的地位者の終身雇用制度、最低賃金引上げ、福祉団体NPO法人への給付金等々制定されていったのはいいものの、政府のガバナンスは最悪だった。給付金を給付する団体に、碌に調査員を送らず一言返事で対象とし、企業には賃金を上げろ、賃金を上げろと急かすばかりで何の宣言も、条例も出さず行動しなかった。金融緩和政策も、税率緩和も、所得倍増計画も。政府の無責任さもあって、経済は苦しくなっていく。真っ当に営業を行っていた企業は苦闘を強いられた。一方で暗躍したのは、ずる賢いもの達である。いつの時代もそうだ、卑怯者だけが得をして、正直者は馬鹿を見るだけだ。

街の中央部から20km離れた、寂れが見える街の辺境地点に、行き場を失ったホームレスや失業者達が、雨風煙害から身を守るため、その日その夜身を休めるための仮設住宅団地がある。2階建てで計30の部屋を備えた20棟、支援団体本部の周辺施設であり、管理の行き届いてないことは仮設住宅の外見を見ればよく分かる。何故ここに仮設住宅があるのかと言うと、すぐ近くに工業団地があり、地価がとても安く済んだからだ。失業者やホームレス達は、社会的地位が低いのだからどんなに環境が悪い場所でもいいだろう。それが、常に工場排煙による公害にさらされる、最低な地点であっても。成長期の経済の中心を担う人々の多数派の考えは、そんなものだ。この街の支援団体は、工場から出てくる失業者や街中のホームレスを受け入れ支援しているかのように見せた、給付金目的の偽善者団体なのである。多くの人の感性は廃れてしまったが、誰も彼らを責めたりはしなかった。住民らにとって、治安の悪化をもたらす失業者やホームレスを一時的にも街内から除いてくれる“慈善団体”だからだ。




一人の青年が、仮設住宅の狭く寒い一室に暮らさなければならなかった。彼の悲惨な境遇を知るものも、知って救いの手を差し伸べようとするものもいない。ただ、人が人として扱われない虚しさが、心を駆け巡るばかりだ。

彼は元々、近場の工業団地の一角を担う工場で働いていた従業員だった。最低限の学業を済ませた後、都市部に出ること、身分の低さから非産業系企業に入ることすら許されず、最も下位の労働者として雇われていた。彼が、仕事を失い仮設住宅に入らざる負えなくなったのは、彼自身で信頼を貶め、クビを切られたわけではなく、雇用側の無責任によるものだ。

彼が働いていた工場と、その工場の資本を持つ親企業はある問題を抱えていた。それは、毎年大量に工場に雪崩れ込む下級労働者に関する問題だ。まず、救済法の規定により、工場や企業は貧しい家庭の報われない子供たちや社会的弱者を下級労働者として雇わなければならない。また、工業団地を設立するうえで、地元住民の反対を押し切って何とか交わした契約にも、工業団地の設立を認める代わりに、治安改善として社会的弱者を労働者として雇用することが明記されている。これが、今になって厄介な存在になってきたのだ。まず、家のない日雇い労働者だった者達に、労働者居住舎の部屋を割り振る必要がある。しかし、契約から8年経ち、新法案の施行開始もあって労働者は増えることが予想され部屋も足りなくなっている。また、下級労働者と言えども、給料は配分する必要があり、上級労働者ほど掛からないにせよ、彼ら同等の人件費を要求される。下級労働者側からすれば、豊潤に渡されているわけではないが、経営側からすればとんだ支出となっているのが現状だ。最低賃金を支払うことすら厳しかった状況で、最低賃金の上昇分と新採用労働者への給料をどう用意しろと言うのか。これらの問題に解決すべく、親企業内で子工場運営における諸問題等解決計画および実施監督部門が立ち上げられた。その優秀な人材の集合体は、30日もかからずに案を出した。それが、問題の大型リストラ計画であったのである。そのリストラ計画が救済法の社会的地位の低い者の終身雇用制度に違反していると思われたが、致し方ない、の一言は反対意見を受け付けない便利な言葉だ。この計画は、強引かつ合法的に決まっていった。企業はこれを二つ返事で受理。すぐに工業運営トップに通達が行き、労働者の大型リストラが行われることになったのだ。緊急に開かれた株主総会では、十分な追及もされずに受理。労働者の味方・労働組合は、既に企業の介入と圧力によってほぼ骨抜き状態で、手の打ちようがない。もしストライキなど起こそうものなら、存在が消されかねない。身の保全を優先し、仲間の切り捨てに走った。

大型リストラは年に二回行われる。四月に新しい従業員が入って、すぐの六月に一度、十二月の最も忙しくなる時期の直前、十一月に一度。より優秀な生産性の高い労働者を厳選し、支出の削減に積極的に取り組んだ。それが、労働者の権利の侵害になろうと企業の利益が最優先事項であり、誰一人として人権問題として捉えようとはしなかった。本来声を上げるべき行政や民間団体も株式会社的思考に汚染され、抑止力とはならなかった。利益を上げれば、経済は発展する。経済が発展すれば、個人に入る恵みも多くなる。裕福な生活、質の高い人生、それに捧げる生贄のことなど考えてはいない。

親企業、工業側は、すべての従業員が対象だとしているが、実際首を切られるのは下級労働者達ばかりだ。よく言えば有能な人材を見つけ出す方法、悪く言えば使える人間と使えない人間を振り分け、使えない方を捨てる選別作業。最低限度の生活で生きていた人、小さな希望にすがっていた人、彼らは使い物にならないため、問答無用で追い出された。

労働者に立ちはだかった最大の試練は、青年にも降りかかったのだ。理不尽な理由でいつ首を切られてしまうか分からない。六月、十一月になると、リストラの通達に怯えながら日々を過ごした。第一回、第二回の大型リストラは、何とか耐え抜いた。耐え抜いたと言うより、悪い注目を受けないよう、黙々と忠実そうに働いた。しかし、回を重ねるごとに網目の荒くなっていくふるいの中でずっと落とされずにいるのは困難だった。下級労働者には、落ちぬようしがみつく最後の柱すら存在しない。どんなに真面目にやっていることを見せようとしても、態度だけでなくこなした仕事量と賃金量が合っているかという面で判断されてしまう。少しでも非効率的な生産者は排除される。こんな一企業の内情を見ただけでも、個性や自由が排他または無視されていて、経済発展において、全体が最も重要である社会の情勢を説明されなくてもわかる。

企業は、利益のために仕方がない。労働組合は、自分たちの身を守るためにこうする他なかった、仕方がなかった。行政や市民、他の第三者も企業の言い分に丸め込まれ、下級労働者に同情の目を向けるばかりで、支援しようとするものは出てこなかった。社会は自己責任だと無視している。理解できないのは、労働者達だけだ。


第三回目の大型リストラで、彼は首を切られた。工場の従業員は、工業団地内にある労働者住居舎で暮らすことが出来ていた。しかし、首を切られると同時に彼はそこから出ていかなければならない。解雇通知渡らされると息を付く暇もなく、突然追い出された。友の家へ一度足を運んだものの、彼は引っ越してしまったらしく、別の住人が住まいとしていた。唯一のあてを失い、暗い雲の下を歩き、微かな噂の記憶を基に失業者やホームレスに、体を休める場所を提供している施設にやって来た。工場を追い出されたのは、午前10時。同じ街の辺境と言え、片道五時間もかかった。とにかく、夕方から日暮れにかけてのスモッグが発生しやすい時間帯の前に辿りつくことが出来てよかった。

施設の職員に導かれ、隣接する団地の仮設住宅の一部屋に一時的な入居を許された。

無料利用可能期限は最大で三か月、それを超過し次第一か月5万の家賃。食料は日曜に配給。水道、ガス整備、基本契約使用可能量超過に付き請求。保険なし。

風が吹けば、プレハブの小屋が飛んでいきそうなほどの酷い。五万も搾取出来るほど管理が行き届いているわけではない。クビを切った工業へ不満は消えないことは分かっているがが、意見を言える立場無いことを自覚しつつ、目についた気に入らないものへ心の中で非難の攻撃を続けるのだった。

部屋の中は、外見通りの様子であった。どこかから吹き込んだ工場のススがほこりの如く積もって床一面に積もっている。蛍光灯は頼りなく点滅して寿命を待ち、二つあるガス栓一つ、三つある水栓のうち二つは、使えない状態だ。ある水栓の蛇口から絶えず水が流れていて、流れる小川の近くにいるようで、とてつもなく不快だった。そして流れている水は、微かに上水管の金属の味がする。飲み込む際、後に残るはメッキの味だ。

薄暗い空が完全に真っ黒になり、完全な闇と化せば、汚染夜の訪れだ。スモッグが常に発生し、盆地全体をどんよりと覆いかぶさる。薄い布団とツギハギだらけの掛け毛布で、暖をとりつつ、僅かな部屋の人工光のなかに、若き頃の懐かしき記憶と、それを打ち消す認めたくない現実について思いを巡らせ夜の闇を過ごすのだった。



青年は、この街の中心南西部に広がる半スラム街の下流貧困家庭で生まれた。幼いころから我慢の連続だった。毎日食卓に食物が並ぶことはない。並んだとしても、しなしなになった野菜や、はねだしで安く売られる果物程度。ミンチ肉よりも高い肉は口にしたことはない。牛の味など知らない。遊びの面でも我慢を強いられた。自分よりも裕福な家庭に生まれた同級生達が、様々な娯楽を味わっている中で、彼は、瞑想や考え事で時間を過ごした。勉学の時期になっても、貧困から抜け出せず、十分な教育を受けられなかった。基本教育、中等教育までは受けたが、それ以上教育に金を掛けることは出来ず、高等教育を諦め、最終学歴中等教育で働きに出なければならなかった。

幼い頃から続く彼に対する迫害は、貧困層への侮辱以上の慈悲の言葉もない乾いた無意味さの暴力である。貧しい彼を見る目は冷たかった。道端のゴミを見るような軽蔑、凍りつくかの如く冷えきった同情。青年を笑う者は滅多にいなかった。嘲笑の対象にならないほどに低い人間ではない哀れな生き物を見る視線が道を行く人来る人から放たれる。

己の哀れさ、産まれてしまった境遇に悲観してきたが、彼が命をもう捨ててしまおうと思わなかったのは、確実な理由があったのだ。彼を迫害する街文化の風潮に流されず、彼を人のみならず友として見てくれた、一人の男がいた。誰が自分を人だと思っていなくたって、唯一の友は、自分が人間なのは間違いがなく尊厳を持つ価値があると教えてくれた。自分の居場所、存在意義を彼に与えたのは、この友である。中等教育を終え、青年は働きはじめたほかないわけだが、友人は恵まれた家庭に生まれたため高等教育、専門教育まで受けられることとなっていた。基礎教育、中等教育と共に学んできた二人は別々の道へ進む。しかし、彼らの交流は、選んだ(片方は強制)道が違ったとしても終わらなかった。たびたび顔を見せあい安否を確認し合った。工場の営業停止日や年末年始の祝いの節には、友人は青年を彼の一人暮らしのマンション部屋へ誘い、お互いの現状報告と昔を思い出し語って、懐古に浸るのだった。青年と友人の、微かな幸福の時間だった。

青年が20歳を迎えた誕生日、青年の両親が嫌貧困層の失業した若者集団にリンチにあって死亡した。自分達は首を切られたと言うのに、より下位の者達は寧ろ多く採用されている。その不公平感を、下級労働者リンチによって晴らした。彼の両親は運が悪いことにその対象となってしまったのだ。町はずれの小さな工場に怒りに任せ雪崩れ込んだ若者達は、そこにいた労働者、特に身なりの汚れた者を引きずり出して私刑というただ感情に任せた酷い暴行を加えた。20人の小集団で、2~3人の労働者を囲って、怒りに任せ殴る蹴る。若者達は、不気味な笑みを浮かべていた。このことを知るものはいない。見た者、笑っていた者、すべて死んだ。50名の労働者を殺し終えたときに、政府の治安部隊が暴動の鎮静に取り掛かった。鎮静、それは、暴力にそれ以上の暴力で臨むこと。血も流れない冷血漢の部隊は、ただ死を持って粛清するのみ。この暴行事件で、50名の尊き命、300の価値のない命が失われたのだ。

その連絡と共に父の作業着と、母の緻密に書き込まれた手帳だけが遺品として届けられた。心が乾いて涙も枯れ精神も疲れ切っていた青年だったが、この日だけは大声で泣いた。自分の境遇の原因は、家庭が貧しかったからと、両親を恨むこともあった彼だったが、自分をここまで育ててくれた二人に対する複雑な気持ちが、とめどなく溢れて、どうしようもなかった。

22時を過ぎた深夜、珍しくスモッグが発生していない良い夜、友人はチャイムがなるのを聞いた。遅い来客に戸惑いながらもドアを開けるとそこに立っているのは、悲しみの淵まで追い込まれた人間の姿だった。彼は、驚きを隠せず、青年を部屋へ招き入れるのだった。座らせ、温かい飲み物を与えた。彼は、思いの丈をすべて友人に吐き出した。募っていた恨み、我が子を捨てずに育ててくれた両親への思い、行くあてのない感情。重く、鋭い苦痛の数々。

友人は、涙ぐみながら青年の話を聞きながら背中をさすって、彼の蟠りをすべて吐き出させた。青年が落ち着くと、青年はどこに住むのか、これからどうするのか話し合った。工場には家を失った労働者が入居できる住居舎があるという。友人は、次の日仕事を休み、青年がその住居舎に入居できるように手続きを開始した。住む処を失った青年に、手続きが終わるまで彼の家に居させてやるのだった…。


それから、青年は工場内施設の労働舎へ住むことになった。友人の家からは遠く離れてしまい、彼らの心もそれに比例して隙間が空いたように思える。彼と関わることが少なくなった。

そしていつ頃からだろう、友人の顔を見ることがなくなった。良くは覚えていない、確か街が失業者であふれかえった、あの時期ぐらいからだ。


闇に混沌を覚えるものも居れば、安らぎを求めるものも居る。何に安心や信頼を求めるかは個々の感受性によって変わってくるが、異常な存在を信仰することを人はカルトや狂気と呼ぶ。カルトを信じなければ、心を保てない人もいる。道徳に反する価値観を信じようとする人がある。彼らは、全て闇を見て、覚え、感じ、頼る。


あれから三か月がたった。二か月までは街に出かけ、ゴミを拾って一日20(単位不明)の収入を得て、日雇いの重労働に従事していた彼だったが、もうそれは不可能だ。悔しさや惨めさを弱り切った精神に労働による身体への苦痛はあまりにも重かった。二か月間、以前よりも下の地位の社会層で生きる中で、冷たい社会と精神状態に、彼の心はへし折られた。最底辺で、生き這いつくばってでも己を見下す社会に抵抗した青年の最後である。敵わぬものへの余計な抵抗をすれば、自らを滅ぼすのだと周囲に知らしめ、強いものへ楯突くなと教訓を残しただけである。弱音を吐く心に負けた彼は、さらに自分を追い詰めるようになった。しかし、彼が自殺しようとしなかったのは、死を恐れたからだった。死を選ぶことが人としても終わりであって、自らの意志でくたばらないことだけが、この世・社会に報いる最終手段であると、あまりにも馬鹿馬鹿しい哲学を持っていた。生き続けることは出来そうにない心理状況と、死への恐怖に挟まれ、彼は、異常の袋小路に追い込まれていく。一か月前から彼は遂に部屋から出られなくなった。殻の中に籠った彼は、世界との関わりを絶った。洞窟に潜む夜行性の蟲が太陽の光を嫌うように、青年も光を嫌う。夜の闇から明け、朝の射光が希望に満ち満ちた生命力を街に降り注ぐあの瞬間、希望をもたらすものは何だろうか。それは明るさ、差し込む命の光である。青年は、自分を保っていた未来と、それに対する希望が全くの虚構であった現実の前に、思い知らされたわけである。これは、羞恥ではない。己の浅はかさへの嫌悪である。

一日を暗闇で過ごし、寝て起きて考え事して、碌に物を食べず、欲求に従わない生活を続け居ているうちに、人間は正気を失って、狂気に陥る。狂気の深淵へ落ちていった人々は自分は正気だ、気を取り乱しているだけだと言うものの、普通の人間の判断基準によれば、パラノイア以外の何でもない。


青年が、何かの視線を感じて顔を上げたとき、背筋が凍り付いた。初めて幽霊を見た、あの興奮と恐怖を思い出すほどの、奇怪な存在を彼は目にした。青年が見たものは…。彼のいる部屋と隣り合わせになっている部屋の隅に何かがいたのだ。どこからか感じた視線はそのナニカから放たれたものであるのは確かだ。それ以外に生気が存在しない暗い空間が広がっている。ナニカだけが、部屋の闇に溶け込んで見える。薄暗い角の影と同化する本体と無数の黒い脚。名状しがたいほどの漆黒の暗闇の中に、無数の目玉。黒と紺の無限の空間は、緑と紫のガス星雲がお互いに主張し合い、光彩の美しさが醸し出す神秘と広大なる宇宙への畏怖を覚える、小宇宙の模型と錯覚する細かな輝き。感情を含まぬ無機質な視線の冷徹さと、見てしまった怪異の不可解さに、恐怖を覚えるのが普通の人間の正しい対応である。では、青年は…?社会に尊厳を相殺されてきた人間が、正しい価値観を保てるならば文学的悲劇など起こりえないのだ。青年は既に人ならざる感性と思考回路を備えていた。

生ける存在としての気配を感じさせない怪物が、俺を襲うために現れたのか、敵意はないのか、あいつの本能は。


怪異は、突如として現れた。彼の閉じこもった隔たりを超えて、彼の部屋の片隅、狭い部屋の電灯の光すら届かない薄暗い隅に黒い無数の脚を伸ばしている。目は、ただ一方向だけを向いて、時折眼球を動かした。終わりのないスパンの途中で静止した目は、この次元の存在だけでなく、何層にも重なる次元レイヤーの先をただ一心に見つめているようでもあった。


怪物の前で迂闊に動くようものなら襲われてしまうかもしれないと思った青年だったが、半日を過ぎれば、警戒心もなくなった。こちらには気づいているが、半ば虚ろな目で何かを熟視しているだけで、俺を喰おうとする素振りを見せなかった。どうすれば良いのか分からなかった彼は、害のない怪物を追い出すことも、何かしらの関りを持つこともせず、怪物を部屋の角隅に住まわせて、そのまま生活に満たない生活を続けるのだった。夜、一日座り込んで、寝転がって、食べたいときに手探りで支給品を貪って生きる廃人に、寝る必要もなかった。疲れなど感じない。身体的疲労など。スモッグの発生で、夜の闇はさらに深くなる。人間は、全くの文明活動を止めて就寝の休息を取り、代わりに汚れた粉塵からこの世に現れる魑魅魍魎が跋扈する時間だ。部屋にいる怪物の仲間だと思わしき存在が、外で女性のように甲高い声で鳴いた。コヨーテや狼に似た遠吠えの中に、何かに対する悲しみと怒りをのせて叫んでいる。彼の部屋にもその恐ろしい声は届いていたが、部屋の怪物は反応を示さなかった。青年はふと思った。この怪物は、自分のようにシステムから見捨てられてしまった存在なのではないか。

彼は、話しかけようとした。しかし、口を開けても出てくるのは、喉のつぶれた老婆の呻き声だった。誰とも話をしないうちに、話すテクニックを忘れていた。喉を広げ、何とか声を絞り出した。

「お前は、俺と同じ境遇なのか」

「………」

水道の水が滴る音だけが、その場に聞こえてくる。何も答えない怪物。ほぼ沈黙。音の有る沈黙。強い風が建物に吹き付けて、吹き込む音、屋根の一部ががたがたときしむ音。しかし、彼には、分かり合えないはずの怪物の気持ちの何かを知ったような気になったのだ。冷たい空気に、一気に熱波を送ったときのような、瞬間的温もりを覚えたのである。この怪物には何かしらの原因があって仲間から除け者にされているに違いない。この彼の勘違いが、超えてはいけない常識のボーダーラインを超えて、人間の狂気の心髄へ近づいて行くことを引き起こしたきっかけになる。彼は、何かを知った気になって怪物との対話を試みた。彼は、彼の人生を語った。語り尽くした。虐げられた経験、彼の体験と怒り・くやしさ、境遇の酷さ、社会の冷たさ。頭をよぎる、試練の数々。苦しみを噛みしめて生きて来た彼の短い半生を思う。

闇は、そこにあった。彼は、縋る藁を間違えた。


連絡が付かなくなった旧友。彼はどこで何をしているのだろう。非情なる現実に直面した青年は、昔からの付き合いだった人さえも疑う。噂では、青年が務めていた工場の親会社のリストラ計画に携わったと聞く。まさかと思っていた。しかし、彼が首を切られてから一切会いに来なくなった。旧友が青年を裏切った罪悪感を覚えて顔を合わせられなかったと考えれば…。疑心暗鬼になれば、歯止めは効かないのだ。

旧友に残る良心が、彼から別れてこの部屋に、青年への心配と罪悪感からやって来たのではないか。あの闇の中に覚えた安らぎに似た感覚は、この世界に存在した唯一の良心と触れ合った時の安心感によるものに近いように思える。怪物は、救いようのない自分に差し伸べられた神からの救いの手だ………。色々真面目に考察した彼は、いつの間にか眠りについていた。頭の記憶中枢から、雑念が消えてゆく。微かな光を求め、霧の中を進んだ知性が、目にしたのはただ一つの美しいシナプスだった。

薄暗い夜は、更に漆黒を深めこの日の終わりを告げるだろう。


起きたとき、いつも重くて起き上がれない体が、軽く、目覚めたての清々しさを感じられた。人生で初めての感覚だ。雲で隠れて、現れることのなかった全ての母『太陽』が顔を出し、朝の光が、窓に差し込んでいるのが見えた。思わず興奮した青年は、発狂しながら外へ飛び出た。

「光が見える!光が見えるうううう!!」

「神よ、希望とはこのようなものなのですか!!!」

「ありがとうございます!!!感謝しきれません!!ありがとうございます!!!」

豊富な生命力、朝の新緑、希望の始まりを告げる温かい風。汚染され草すら生えず、生気を感じられない大地が一変し、様々な命の温床と化している。彼は、喜びのあまり、外を駆け回った。見えた希望、暗い時代が明けて新時代の訪れ。そして彼の人生が再び動き出すその時を、迎えに行くために。


…長くは続かなかった。

建物、高炉、山脈を超えた地平線の向こうから、黒と赤と茶色、毒々しい攻撃的な色が幻想を侵食してくる。混沌が幻想世界を包み込んだ。闇がやって来る。あの世界の希望、唯一の良心、多眼多足のあの怪物が青年目掛けて向かってくる。息を飲む青年。初めて見た怪物は美しく、かつ堂々と威厳があった。青年に向けて数千何万本の白く鋭利な歯が並ぶ口を開いた。口内では、分厚い舌がのたうち回り、粘液性の高い涎が滴っている。口腔より奥に見える終わりなく深い闇は、星々は滅亡した宇宙に残る真空のような空間。怪物は、彼を喰った。


鮮明になる意識、今起こった物事を冷静に見つめられるのは、自分が死と生の境目を一時的に漂っているからだ。生きていた先ほどまでの希望など、死を迎えるまでの刹那では何の意味も持たない。これから向かう死の世界には黄泉の国、天国、そんな理想郷は死にはなく、精神の闇に延々と落ち続けるばかり。救われず死んだ者の魂が、行きつく先は虚無の無限地獄だとは誰も知らなかった。何もない闇の中で、生きていた頃の走馬灯を思い、後悔と報われぬ人生に嘆くばかりだ。嘆くばかりで、そのループは終わらない。死なんてそんなものだ。

社会で生きるのが辛いと言えるのは余裕があるものだけだ。泥沼に引きずり込まれるか抜け出すかの競り合いをしているものには、本当の絶望は分からない。相対的絶望。泥沼の中で、身動きすら止め、呼吸器に泥が詰まって死ぬのを待つ人生を、泥沼と戦うものは絶望と呼ぶ。あの者達がこの世界から相殺された犠牲者であり、気を緩めれば彼らのように社会の仕組みに利用されて絞り取られる。その人生の行く果ては、底なし沼の底を見て、永遠の闇に取り込まれ死んでその場に拘束されるだけ。

彼は悟った。死ぬことは絶望ではなかったのだと。何としてでも息をしていたいと泥の中で藻掻いた生前は、多くの人が思うように死は絶望だと思っていた。しかし、死後の精神世界を見て、自分が全くの勘違いをしているのだと分かった。

ある人は、死は救済と言う。本当に救いようのない者へ、輪廻転生によって新たなるチャンスを与えよ。しかし、人は、その人のまま死ぬ。死後も変わらず、永遠の時をあなたとして生きるのみ。

政府の救済法は、その観点から評価すれば、目的も表現も正しかったと結論に至るだろう。社会に残るくたばり損ないどもを助けるふりをしてどん底に叩き落とし、確実に死へ至らしめるのだから。生きる者たちの世界に執着し、明けることのない闇の中を傷つきながら進むならば、その生き方に救いがないのは知っていたが、死を直面するまでは、無駄な一生が合理的で、人類永劫正しい生き方であると思っていた。助かることのない泥沼から這い上がろうとする、それは、ただ浪費の人生。人間を止めるための精神的な修行であって、一切努力もせず、救世主が訪れを待つ生き方の方が幾分ましである。社会的地位が、他者から与えられた使命で、そこから動くことは一切許されないシステム。それに抗いたくなるのが、人の性と言うもの。その人の性がもたらす下らぬ執着が、どん底へ落ち込む片道切符。死が絶望ではないのだ。死から逃げ新たなる希望を求めてただ無意味な努力を続け、苦痛の試練を受け続けることが本当の絶望だったのだ。俺は、混沌とした死の闇の中で、永遠を過ごす。時間の概念を超越した漆黒の中で、生きていた時代を思って悔やみ、今希望を求めて底なし沼で救いを求める者達を憐れむばかりだ。天か、神か、秩序か、死か、絶対的な存在の仰せのままに、闇よ万歳、全てシナリオ通り、全てに救済を与えたまえ………………


死んだ。安らかにとはほど遠く、生きるものの世界から見放され、彼は死んだ。


無料貸し出し期間終了の通達と、振り込まれぬ家賃を取り立てるために、このプレハブの管理人が弁護士と会計士を引き連れて青年の部屋に入った。カビと埃の匂いに負けぬほど、死と心の病の匂いが強烈に鼻をついた。電灯は、遂に力尽き部屋はただならぬ闇に包まれていた。部屋の最も遠い角、この部屋を借りて住んでいた青年が、うなだれて死んでいるのを彼らは発見した。

管理人は

「またここで死にやがった。ここは、自殺するための施設ではないんだぞ、迷惑な社会廃棄物(ゴミ共)だよ。せめて家賃を払ってからこの部屋を安置所にするんだな」と言う。

弁護士、会計士は、吐き気を抑えつつ、遺体に手を合わせるのだった。

青年の遺体は悲惨だった。路上で命を終える本当の不運なホームレス達よりも弱弱しい生前を回帰させるほど哀れみ深い死にざまだったのである。皮膚は骨に貼り付き、ほほの肉はなくなって窶れ、ミイラと呼ぶに相応しい乾物だったことは明言する。死因は、栄養失調か、煙による肺炎と合併症だと思われる。それだけでは説明できぬほど、痛々しい身体的、精神的苦痛を味わった痕跡が見て取れる。だがしかし、彼の体は惨めなほどにやせ細っているというのに、彼の顔には微笑が浮かんでいた。何か、これからの世界の展望に期待を託し、死にゆくものが残した、希望。嬉しさ、悲しさ、期待、希望…。

紙細工のように軽くなった笑う青年の死体と四か月に溜まったゴミは、ゴミ収集車は適当に詰め込まれた。彼は、死してもなお、人の威厳を存する死者として正しき方法で埋葬される手順の元へ運ばれていった。




『親愛なる友へ

連絡が遅くなってしまって申し訳ない。君が職を失ってから直ぐに僕は、隣街に左遷させられてしまった。大型リストラ計画を組織内で唯一反対していたから、邪魔者だとされて左遷させられたんだ。救済法で、弱者支援の世論が高まっているのに、経費削減に為に労働者(特に下級労働者)を解雇するのはおかしいからね。この正義も通用しなかった。残念だ。僕も悔しくて、悔しくて、己の及ばなさが結果的に、君に苦しい思いをさせてしまったんだから。

本当は、隣街への左遷のことを事前に話しておきたかったが、引継ぎ等の作業と飛ばされた先でも雑務が多く処理に時間を取ってしまった。君の居る街に戻るにも列車で片道は16時間も掛かって、会いに行きたかったがそう簡単には行けなかったんだ。今、隣街で過ごして良く分かったことがある。はっきりと言おう、君の街はだめだ。邪悪で満ちている。君への差別を見て来た僕だから言えるんだ。対して、僕が今いる街は人の社会地位ではなく、能力で人を採用する先進的な風潮がある。生まれ育ったあの街で暮らしているときはそんなこと感じなかったが、隣街との空気感との違いに戦慄したよ。そこで、一つ君に提案がある。僕の居るこの街へ移住し、この街で手に職を付けるのはどうだろうか。君の街よりも断然暮らしやすいだろう。あの閉塞的な社会に暮らしてると息が詰まるからね。まず、他者を見下す人々の多い街に執着もないだろう?今居るところから動くのは勇気がある。でも、君は、その最悪な環境にいて、良いことがあっただろうか。僕だって、最初は何が起こるのか分からなくて怖かったよ。でもね。あの環境から抜け出して、開放的な社会の良さを知った。君も、自分の社会的地位に由来する人生への制約を取り払った社会で生きるべきだ。あまり心配をしなくていいよ。僕を信じてくれ。人生が台無しになりそうな親友を助けないわけにはいかないだろう?生活が安定するまで、僕の家に居ればいい。この封筒に隣街の駅までの切符と、僕の家の住所を記した地図を同封してある。僕は、君の到着を待ってる、必ず来てくれ。

君の友人より』


受取人死去のためこの手紙は、公害の被害を隠ぺいするために抹消される肺炎患者の黒く汚れた肺、今朝の失業者・ホームレスらの路上死体、企業の極秘文書、不正取引決算用紙と共に焼却所兼簡易火葬場へ運ばれた。華氏451度の炎、高温の熱風をもってしても、この手紙は燃えることはなかった。死体の骨の髄液までカラカラになるまで加熱され、社会の暗黒面が大量の灰とカルシウムの混合体に生まれ変わっていったなかで、その手紙は焦げ跡一つとして見られなかった。灰は、そこから20キロ離れた山脈の裾に広がる埋立地に運ばれ埋められる。埋め立て地には、土壌内の灰に残存した有害物質が、土壌の水分に溶けだし、地面には紫、ピンク、赤、緑、黄色の紋様が浮かび上がりおどろおどろしい光景を作り上げている。毒耐性菌すら殺すほど異様な無機質性の中に、芽生えた奇跡、植物の若葉。地中に埋められた唯一の光、手紙の真上の地点で、有害物質の不気味な染色汚染を許さず、凛と咲いていた。雲の合間から、太陽光がその地点だけに降り注いでいる。





この物語は、フィクションである。舞台の街と隣街、全国娯楽協会、救済法、偽善団体、工業団地、埋立地、全て存在しない。しかし、青年とその友人、そして怪物は、思った以上に存在する。

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