後編
* * *
ようやくエアコンが効いてきた気がする。
緑川が買ってきたのは「赤いきつね」と「緑のたぬき」だった。私はお湯を沸かして、その二つに注ぐ。赤と緑。その二つに、世の中がクリスマスシーズンで賑わっているのを思い出す。
けれどもここにあるのは、ケーキではなくて、うどんとそばだ。
「お前、社蓄してんな?」
「うるさいな、ぶっちゃけこれが普通よ?」
向き合う形で、私達はローテーブルにうどんとそばを並べて、完成を待つ。
「辞めちゃえば?」
メイクはさっきようやく落とした。私が泣いていた跡もない。でも緑川には、見えてしまっただろうか。
「簡単に言うなよ」
「緑のたぬき」は「赤いきつね」より早く出来上がる。私が蓋を開ければ、何だか懐かしさも覚える香りが立ち昇った。
「……でもあんたみたいに旅ができたらな」
私は思わず呟く。
緑川がどうして外国にいたのか。それは自分探しの旅をしていたからである。
――緑川が日本を発った時、私は初めて旅の理由を聞いて、素直に「なんだそりゃ」と思った。
ベタと言うか、言葉は悪いけど馬鹿というか。
でもSNSでいつも元気そうにしている彼女を見て、いつの間にか私は羨ましくなって、少し、ほんの少し、嫌にもなった。
すると緑川は蓋を取りながら、
「……あんたなら、何か見つけられるかもね」
私はぴたりと、そばに伸ばしていた箸を止めた。
あまりにも聞いたことがない、感じたことがない緑川の声だった。いつも元気そうだったから。大学で単位が取れなくて再履修になった時もこんな声を出さなかった。就活で一つも内定がもらえなかった時だって。
つと顔を上げれば、緑川はお揚げの乗ったうどんを見ている。
「あんた、真面目だし、頑張り屋だし、あたしと違って」
緑川は少し変わった雰囲気のある子だった。そういう人間というのは、日本社会ではなかなか居場所が見つけられない。だから彼女はきっと外に出たのだろうけど、外でも何も見つけられなかったのかもしれない。
「あたしもあんたみたいだったら……いやそうなら、最初から就職してるか~あはは、就職できてたらなぁ」
「……緑川なら、案外うまくやっていけるかもね」
いまこそへこんでいるように思えるけれども、緑川はいつも前向きだし、考え方も柔軟だから。
「ま、就活乗り越えなきゃ話にならないんだけどね? あたし、それができなかったわけだし?」
「私だって、外国行きたいなんて言っても、そんな勇気もないし、あれこれ工夫もできないし?」
いつの間にか、私達は笑い合っていた。
まるで女子高生のようで、私はまた少しだけ泣きたくなってくる。
不意に緑川が言う。
「何にせよ、今日泊まれる場所があってよかったわぁ」
「いつでも来なよ」
思えば、緑川が返事を待たずに家まで来てくれたことが嬉しかった。
ちょっと身勝手だったかもしれないけど、緑川はここが居場所だと感じたのかもしれないし、私だって、いま、居心地がいい。
「あ、そうだ、天ぷら、半分ちょーだい! お揚げ半分あげるから。交換しよ!」
緑川はそう言いつつ、お揚げを箸で半分に分け始める。
「いいけど?」
私も、まだサクサク感が残っている天ぷらを半分に分け始める。
――ああ、そういえば、高校生時代、雪の降ったあの日も。
『そんなに言うなら、お揚げ、半分ちょうだいよ』
あの日は私から言った。「赤嶺」なのに「緑のたぬき」だなんて、とずっと喋る続ける緑川に対して、私から言い出したんだった。
『あんただって「緑川」なわけだし、天ぷら半分あげるから、交換よ?』
真っ白い世界を前に、つゆの染みたお揚げを齧った。天ぷらを齧った。
私達二人を見つめていたのは、緑川が作り上げた雪だるまだけだった。
『私も雪だるま作りたかったんだけどな』
『なあんだぁ、あたしは雪合戦いれてもらいたかったな』
『言えばよかったのに』
『あんたこそ言えばよかったのになぁ』
『でもなんか、いま満足しちゃった』
『あたしも!』
あの時も、いまも、交換したのはお揚げと天ぷらだけじゃない。
* * *
大晦日って感じだし、神社に行こうよと言い出したのは、緑川だった。
「時差ボケってよりも、普通にボケすぎてる」
「まあまあ」
クリスマス目前、深夜の住宅地はとても静かで、ひどく冷え込んでいた。けれども私達は、まるで女子高生に戻ったかのように、きゃっきゃと神社を目指す。とはいえ常識は持っているので、騒がない。小さな神社についてお願いごとをするときも、鈴は小さく鳴らした。
「何お願いした?」
「幸せになれますように」
緑川に聞かれて私は返す。
「うーんベタ」
「あと仕事辞められますように」
「おっ、辞めるの?」
いまなら仕事を辞めても、その後なんとかできるような気がした。
緑川は元気だったわけだし。
「あんたは?」
「うーん、なんとかなりますように」
「なんとかって」
「まあ日本戻ってきちゃったし、仕事探しかなぁ……ちょっとはあんたみたいに頑張ってみるか」
きっとうまくいくような気がした。
また困ったのなら、二人で食事でもしたらいい。
おしゃれなレストランやバーや居酒屋なんかじゃなくて、あの時を思い出させてくれる、あの味の。
――ちらちらと、白いものが夜空から降り始めていた。
「最悪、雪降ってきちゃった」
口ではそう言ったものの、私は笑顔を浮かべていた。
【終】
赤嶺さんと緑川さん ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya
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