これが最後の晩餐

@aksk5

The Last Supper(これが最後の晩餐)

東京に住む私は、田舎に戻れない。今流行りの病の感染源として疑われるからだ。

地元はそういうところに敏感。いろいろとリスクも高いので、我慢して家にいる。

一方で、彼は、自分の地元に帰った。所用があるからという理由。家でじっと過ごすことになった私にとってみれば、これは羨ましい。でも、体も重いので、まあ、いっか、とも思う。

12月31日は街が静か。もう何もすることはない。テレビを観て、カウントダウンをして、年が明けるのを待つのみ。これが最近の私の年末。いや、私達、夫婦の年末。もう長いこと一緒にいるので、同じことを繰り返すことにも慣れていたし、また今年もその流れだということを、と当然のことのように思っていた。


年越しそばは、緑のたぬき。彼は、カップ麺の中でこれが一番うまいよね、と言う。私も同感。こういうところも気が合うし、楽で好き。今年は、自分の分だけコンビニで買う。

もうすぐ年明けだな、と思いながらお湯を注ぐ。この部屋に一人は寂しいし、その上にこんなに寒いんだなと気づく。もう一枚上着を羽織る。温かい湯気が心を和ましてくれる。今年もこれを食べられる喜びを感じる。

そろそろ出来上がりかな、と思っているときに、電話が鳴る。テレビ電話だった。

「何しているの?」夫からの電話。実家にいるとのことなので、「義母さんたちは元気?」と尋ねる。「元気だよ」と言うが、特に本人たちの登場はなし。私と夫の実家の関係はそのようなもの。悪くはなく、寧ろ気をつかってもらっていると感じる。テレビ電話の向こうに、人影が写った。きっと、お義姉さん。

「そば、食べるところなんだけど」と言うと「俺もだよ」と言って、緑のカップ麺を見せてくれた。実家なのに、自分はいつものカップ麺を買ったらしい。変なの。「やっぱこれだよね」、と言ってニコニコしている。可愛いな。

テレビ電話越しに、一緒にそばをすすった。会話はいつも隣にいるときと同じ、他愛無いもの。彼は「今年ラスト飯だね、最後の晩餐」と言いながら笑う。遠くにいるけど、年の最後をいつもと同じように過ごしていることが嬉しかった。

「こうやって2人で過ごすのも最後だね。」

ぼそっと私が呟くと、彼はその意味が分からなかったようで、一瞬戸惑い「何だっけ?」と尋ねる。

こういう鈍感なところが嫌いだ。もっと物事に敏感になってほしい。後輩だったら、仕事の出来ないやつだと呆れていただろう。同じ職場でなくて本当に良かった。

「え、わからない?」と私も尋ね返してみる。「?」と困惑した顔のまま、彼はじっとしていた。その姿を見ていると、少し寒気がした。

私はそばをすする。丁度、かき揚げがいい塩梅になっている。私は、ちょっとしっとりしたくらいのかき揚げが好き。出汁がじんわりと侵食していく様子は見ていて飽きない。けれど彼は、これをサクサクのまま最初に食べる。正直、この部分の趣味は合わない。ただ、お互い、合わせようとは思わない。

「まあいいや」と私は言う。「カウントダウンが始まるよ」と言って、テレビに合わせてカウントダウンを始めた。電話越しの彼と共に「10、9、8・・・」とカウントダウンをし、ゼロになった瞬間に、明けましておめでとう、とお祝いの言葉をかけあった。

「今年もよろしくお願いします!」彼が言う。

「で、2人で過ごすのも最後って、どういう意味だっけ・・・?」と不安そうに聞き直す彼。答えがいまだにわからず、気になっているらしい。

「わからないか・・・」とちょっと落胆する私。まあ、こういう鈍感なところは、今後に期待なのだが、しっかりしてほしい。

「来年は3人になるからね、って意味だよ。」と伝えると、ぱあっと顔が晴れやかになっていく彼。「そういうことね!ふふふ!そうだね、楽しみだなあ。」と楽しそうに話している。

私は、そばと、赤ちゃんで膨れたおなかをさすりながら、来年の年末も、こうやっていつも通り過ごせることを願った。

少し咳が出るので、温かくして寝よう。



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