跋 きみがため

 茂る新緑の隙間から、まぶしい陽射しがこぼれる。

 その陽射しに炯眼を細め、再び書物を取った手が、ふと止まった。


「こんな時間に、珍しいな」


 言われた男は地に膝をついたまま揖礼する。


「麗らかな初夏の午後、いかがお過ごしでしょうか」

「挨拶はよい。らくにせよ。――どうした」

「はい。皇子殿下がたが、それぞれ見事にお答えを出されたので…御存じかとは思いますが、念のため、ご報告に」

「そなたは、どう思った」

 少しの間の後、男は答えた。

「青の皇子は、日頃より耳目を張りめぐらしておいでです。真っ先に『五国正史』を借りにこられました。赤の皇子は、ご自分の肌で不穏な空気を察知し、直接、あの異邦人にも接触されました」

 武骨な大きな手が、傍らの書物を取る。

「古語で書かれたこの本に興味深い記述があった。内容は予想していたものだったが…確信が持てたな。紅は、それに自ら気付いた」

「青の皇子は、私の正体を見抜かれました」

「そうか…」

 大きな籐椅子の上で、大柄なその男は、逞しい体躯を気持ちよさそうに横たえた。

「藍は知略家で完璧な優等生だが、器があまり大きくない。万事に綺麗すぎるのだ。紅はどうしようもない甘ったれだが、器の大きさが未知数だ。そして、行動力と運気を持っている」

「甲乙つけがたいことにございます」

「ふん、甲乙もない、まだヒヨっ子よ。しかし、時代の流れはヒヨっ子の成長を待たぬからな」

 地に膝を付いたまま、男は微かに笑んだ。


「ときに、あの者はどうだ」

 急に話の角度が変わり、男は一瞬考えたが、すぐに頷いた。

「つつがなく。仕事にも慣れ、自ら本の配達などを始めております」

「本の配達?」

「忙しさゆえ華月堂まで足を運べない女官たちに、本を貸し出し歩いているのでございます」

 一拍の間ののち、くつくつと低い笑い声が起こった。近年では笑うことなど珍しくなった主に、男は驚く。

「そうか。後宮ここに慣れてくれたならば、それでよし」

 機嫌よく言うと、束の間、主は紫瞳の炯眼を閉じる。

 それを見守る男は、誰にともなく呟いた。


「そう、時は動いていく――無情なほどに」




           ~其之二『五国正史』 完~

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