第60話 大きな翼でまだ見ぬ世界へ
宿をチェックアウトしてベルクの村を後にした俺たちは、次の目的地を目指して、五日前にエレナの魔法を受けて楽して登った山に再び挑んでいた。
「ねえ、ハルト、エレナ、はやくはやく~」
全身を使って手を振るルーのお尻からは、欠けた先を隠すようにピンクのリボンが結ばれた尻尾が揺れていた。
尻尾を衆目に晒して大丈夫なのかと思ったが、どうやらこの世界には今のルーのような人外の耳と尻尾を持つような亜人種も数多くいるようで、彼女のように尻尾を持つ人がいても気にする人はいないという。
これならルーとの旅も問題なく過ごせそうだが、その前に一つ大きな問題があった。
「はひっ……はひっ…………ちょっと…………待って」
先を行くルーやエレナに大分遅れて、俺は生まれたての小鹿のように足をプルプルさせながら山を登っていた。
正直なところ、俺は山登りというものを舐めていた。
この前登った時は、カッコつけて次は自力で登ってみせるなんて言ったが、あの時の発言……なかったことにしてもらっていいですか?
そう思った俺は、エレナに前と同じ魔法をかけてもらおうかと思ったが、見上げる先には既に彼女の姿はなかった。
「…………マジですか?」
思わず呟いた言葉に応える声はなく、俺は愕然としながらも置いていかれるわけにはいかないと、必死に足を動かし続けた。
何度もくじけそうになる心に鞭を討ち、牛より遥かに遅い速度ながらもどうにか山の中腹で佇んでいるエレナに追いつくことができた。
「…………あれ?」
そこで俺はエレナが大人の姿になっていることに気付き、何事かと彼女に声をかける。
「エレナ、大人の姿になってるけど……ここに何かあるの?」
「ん? おおっ、ハルト。よく頑張ったな。ここが次の目的地じゃぞ」
「ええ、ここが……」
そう言われて周囲を見るが、目に見える範囲には剥き出しの岩があるばかりで、集落はおろか、食べられそうな草木の一本すら見つけられなかった。
「見る限り何もないけど……ここに何かあるの?」
「いや、何もないさ。それこそ人の目もな」
「んん?」
エレナが何を言いたいのかさっぱりわからない俺は、早々に諸手を上げて彼女に尋ねる。
「ごめん、何が言いたいのかわかんない。これから何処かに行くんじゃないの?」
「そうじゃ、この辺を巡るのも悪くないが、次はちょっと遠出を……せっかくじゃから次は海を超えようと思っての」
「海を……ということは船に乗るの?」
だったら山を登るんじゃなくて、降りるべきじゃないのか?
そう思ってエレナを見ると、彼女は唇の端を吊り上げてニヤリと笑う。
「ハルト、忘れたか? ワシ等には今、とっておきの足があるということを?」
「とっておきの足って……まさか!?」
エレナが言おうとしたことに気付いた瞬間、俺たちの周囲だけ急に陽射しが遮られて暗くなる。
影の形に既視感を覚えて顔を上げると、
「ハルト、やっと来た。おそ~い」
グリーンドラゴンの姿になったルーが、大きな翼を羽ばたかせて上空に浮かんでいた。
ゆっくりと俺たちの前に着地したルーは、そのまま地面に伏せの姿勢を取って、丸いパッチリとした黄色い瞳をこちらに向ける。
「ほら、早くルーの背中に乗って。早く次のおいしいもの食べに行こ」
「…………」
まるで冒険ファンタジーの主人公みたいな展開に、俺は暫く呆然としていたが、
「ほれ、ハルト」
先にルーの荷物を持って背中に乗ったエレナが、微笑みながら手を差し出してくる。
「国を、大地を変えれば、これまでとは全く違う食材と料理に出会えるぞ。さあ、次の味を求め旅立とうではないか」
「…………うん、行こう」
エレナの誘い文句に思わず笑みを零した俺は、彼女の手を取ってルーの背中へと登る。
人間の姿とは違い、硬くてゴツゴツした鱗に覆われたルーの背中におっかなびっくり座った俺は、長い首を巡らせてニコニコとこちらを見ている彼女に声をかける。
「ルー、乗ったよ」
「わかった。それじゃあ行くよ~」
俺からの言葉を受けたルーはゆっくりと身を起こすと、翼を大きく広げて大空へ向けて一気に飛び上がる。
「おわっ!?」
そのままぐんぐんと上昇する速度が思った以上に速く、ルーの背中に必死に掴まっていたにも拘らず、俺は態勢を崩して落ちそうになる。
だが、次の瞬間、暴風のように吹き荒れていた周囲の風が嘘のようにおとなしくなり、俺の体がまるでルーの背中の一部になったかのように吸い寄せられる。
「えっ? ええっ!?」
一体何事かと目を白黒させていると、俺の手が温かいものに包まれる。
「ハルトよ、安心せい」
思った以上にすぐ近くから聞こえた声にハッ、と顔を上げると、エレナが俺を落ち着かせるために手を握ってくれていた。
「このワシがいる限り、万が一にも落ちるようなことはあるまいよ」
「エレナ……」
不思議なことに、エレナの顔を見た途端、俺は自分が平静を取り戻していることに気付く。
そうだ。俺にはどんな時でも必ず守ってくれる銀の賢者様が付いているんだ。
きっとこうしてルーの背中に安定して座っていられるのも、かなりの速度で飛んでいるのに一切風の影響を受けていないのも、全てはエレナの魔法のお蔭だろう。
そのことに気付いた俺は「もう大丈夫だ」とエレナに伝えるように、握られた彼女の手の上にさらに手を重ねて微笑む。
「ありがとう。俺……エレナと旅ができて最高に幸せだよ」
「……フッ、相変わらずハルトは急じゃの」
エレナは一瞬だけ恥ずかしそうに視線を逸らすが、すぐに俺の目を見て微笑む。
「ワシもじゃ。ワシもハルトと旅ができている今が最高に幸せじゃ」
そう言ってエレナは、俺の肩に体重を預けるように顔を寄せると、耳元で甘い声で囁いてくる
「これからも最高に美味い料理を期待しておるぞ」
「ハハッ、それについては任せてよ」
俺たちは至近距離で互いの目を見て頷き合うと、手を取り合ったまま正面を見据える。
前方にはこれまで滞在していたガレリア大陸の終わりが見え、陽光を受けてキラキラと光る青い海が見えていた。
あの海を越えた先には、どんな食材や料理が待っているのだろう?
これまでは長閑な風景が多かったから、この世界の一番賑わっている都市や、見たこともない動植物で溢れかえった秘境にも足を運んでみたい。
どんな場所でもエレナが、ルーが一緒にいてくれるなら、全力で楽しめる確信が俺にはあった。
そしていつか、この世界の美味しいものを食べ尽くした暁には、得た知識を惜しみなく使った最高の料理をエレナたちに振る舞いたいと思った。
その為にまずは海の向こう側にある新大陸に渡り、新しい料理との邂逅を果たそうではないか。
異世界を巡るおいしい食べ歩きの旅は、まだこれからも続くのだから。
銀の賢者と行く、異世界のんびり食べ歩きの旅 柏木サトシ @kashiwagi_314
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