第4話

     *

 毎年娘の誕生日には、彼女のいきたいところをまわり、最後はここに立ち寄るのが習わしだった。―――いつも夕暮れ。

 黄葉の盛りや、暖かくなってからの週末は、大いに人出がある神宮外苑のイチョウ並木も、厚手のコートが手放せない今頃では、そんな風景が幻になる。

 フロントウィンドー越しの絵画館にしばし据えていた視線を引きはがすと、エンジンを切った。

 開けたドアから途端に侵入してきた寒気が、そろそろ五〇に手の届きそうな躰を刺す。だが、煙草二本ぶんだけの時間だから、と、ジャンパーが入るトランクは開かず、遊歩道への柵をまたいだ。

 と、

「あの」

 呼びかけの音が足をとめた。

 あげた目に映ったのは、暖かそうなダッフルコートの若い女だった。―――が、「女の子」といったほうが的確か、と思ったのは、

「さっきはありがとうございました」

 という、俺に向けての弾むような、少し高めの声を聞いてからだった。 

「え……」

 おそらく鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたであろう俺に、

「あれ」

 彼女はふり返りながら指差した。

 そこには俺のタクシーから二台置いて、あのフィアットが。

「入れてくれて」

 戻した顔は、恐縮ではなく、喜びの色を浮かべていた。

「……あ……いえ……」

「こっちのほう、来なれないもので、車線間違えちゃって。カーナビのいう通りにいったんですけど」

「……はあ」

「カーナビも古いからかしら?」

「あ、はあ……。でも、あの……どうしてうちの車だと……」

「ここ歩いてたら、あのナンバー見つけて」

 と、彼女の指は、今度は俺の車の後部を示した。

「バックミラーで見たとき、印象的だったから」

「……ああ」

 思わず苦笑が洩れた。

 それはまるで営業車らしからぬナンバー。もちろん偶然で割りあてられた数字ではある。が、俺にとっては皮肉な響き。

「ここ、いいところですよね。免許とったら絶対車でこようと思ってたんです」

 すっかり葉の落ちたイチョウの木を見あげながらいう彼女は、魔女を思わす鷲鼻が目立ち、美形の部類とはいい難い。ただ、くったくのない笑顔と話し方は、相手にリラックスをもよおさせるのではないか。―――だが、今の俺には残念ながら……。

「でも、まだ免許とってそんなに乗ってないから、ここまで怖かった~」

 続いた彼女の口調は、どこか楽しげにも聞こえる。

「ここから見る絵画館の景色、車の中から見るのとなんだか違う気がしますよね」

 俺に戻すことなく方向を変えた面は、

「どっちかっていうと、車の中からのほうが好きかな」

 ほがらかに継いだ。

 こっちもなにか返さなくては、と考えて出たのが、

「マニュアル車は、大変でしょ」

 そんなことだった。しかも、自身でもわかったおどおどとした台詞運びが、情けなかった。

「はい。ほんとはオートマがよかったんですけど、どうせぶつけるんだから、古くからあるうちので練習しろって」

 変わらない柔らかな笑みが、ここで俺に返った。

 が、途端、それをかき消した彼女は、

「あ、休憩中ですよね。すいません」

 襟元までのショートヘアーを揺らした。

「あ、いえ……。こっちも一日、ほとんど会話なんてないから……」

 だからなんだというんだ……と突っ込む頭は、自然とジャケットのポケットへ手を滑り込ませ、煙草をつかみださせた。

「あ、ベンチででも」

 と動いた口に、自分で驚いた。

 なにいってんだ、俺は……。

「いいんですか?」

 ぱっと晴れた表情が、心拍を急上昇させた。

「ええ……」

 心拍とは逆に、俺の顔は急下降した。

 自分でいっておきながら ……。

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