後編あるいは実践編

***


「まずは職業訓練所に向かい職業に就くが良い、今一番人気の職業は盗賊だ」

「盗賊が職業と呼ばれる時点で終わってるし、盗賊が一番人気になるのは異世界転生じゃなくて羅生門だろ」


***


 無理矢理に剣としゃがみ弱キックの世界に転生させられた蛇菊魅じゃきくみ 得夫えるおは草原で目覚めた。

 周囲には鏡も無ければ、水もなく、あるものと言えば石と花ぐらいで後は渺茫たる緑の絨毯がどこまでも広がっている。

 己の姿を確認することは出来ないが、体に違和感はない、ワルハチーレの言った生前に近い肉体というのも嘘ではないようである。

 ゴワゴワした服の感触が気になるが、現代日本の水準を期待するほうが間違っているだろう。

 そのようなことを蛇菊魅が思っていると、突然に頭の中で声がした。


「この声が聞こえるか、蛇菊魅」

 落ち着いたアルトの声色、ワルハチーレのものである。

 頭の中に響く声――テレパシーなど素直に受け入れられるものではないが、これから起こるであろうことに比べれば、納得することは比較的簡単である。


(……聞こえます)

 蛇菊魅は頭の中で聞こえる声に対して、頭の中で言葉を思考することで応じる。

 テレパシーに応じたことはないが、頭で聞こえる声ならば頭の中で発信することも出来るのだろう。


「もしもし……聞こえていないのか?蛇菊魅」

(だから、聞こえるって言ってるだろうが)

「聞こえるなら、言葉に出して聞こえると言え」

 周囲を見回し、声を潜めるように蛇菊魅が言葉を返す。


「……聞こえます」

「なんだ、聞こえているのか」

「テレパシーと言っても、実際に声を出す必要があるのか……」

 誰もいないから良かったが、スマートフォンも持っていないのに一人で言葉を発するのには気恥ずかしさがある。


「テレパシー?なんのことだ?」

「いや、頭の中に声がしてるだろうが」

「それはお前の頭の中に通信装置が埋め込まれているからだ」

「えぇ……」

「転生したばかりのお前の補助のためだ、感謝しろよ」

「道徳教育って受けたことあります?」

「ふん……幼い頃に受けた道徳教育は今も私の心の中にはっきりと刻まれている、おそらく今すぐに道徳の試験を受けても満点が取れるだろう」

「道徳を点数化する姿勢は道徳と正反対の位置にあるんだよなぁ」


 蛇菊魅は通信中のワルハチーレを、小学一年生の道徳の授業にぶち込んでやりたいという気持ちでいっぱいになったが、頭を振って無理矢理に気持ちを切り替えて会話に集中する。

 そもそも、剣としゃがみ弱キックの世界に人間を転生させる時点で人間の倫理観が通じる相手ではないのだから。


「それで補助っていうのは」

「お前の知る言葉で言うならばチュートリアルと言ったところか、まっとうな生活が送れるように道筋をつけてやる」

「それは…………ありがとうございます」

 蛇菊魅が感謝の言葉を述べるまでに僅かならぬ逡巡があった。


「とりあえずは戦う力を手に入れることだ」

「戦う力ですか」

 蛇菊魅の言葉にワルハチーレは満足そうに「うむ」と言うと、厭な言葉で結んだ。


「まずは職業訓練所に向かい職業に就くが良い、今一番人気の職業は盗賊だ」

「盗賊が職業と呼ばれる時点で終わってるし、盗賊が一番人気になるのは異世界転生じゃなくて羅生門だろ」

「なにを誤解しているか知らんが、盗賊と言ってもあれだぞ。最初のスキルで万引きを習得する方だぞ」

「正解じゃねーか!」

「まぁ、確かに人間の尺度では盗賊という職業が気になる部分もあるかもしれんが、冷静になって盗賊職に就くことによる能力値補正を考えてみろ」

「……冷静になって考えたら職に就くことで能力値補正が発生するのはおかしいなぁ……と思うんですが」

 だが、このことについては深く考えないことにした。

 異世界ファンタジーにはジョブのようなシステムでゲームのように自身の能力が補正されるものがある、そういうものと考えれば盗賊になることで何かしらの補正が発生するのも、馴染めはしないがおかしなことではないのだろう。そもそもダメージ計算式がおかしいゲームのような世界であるのだ。


「盗賊というと、素早さ補正とか器用さ補正とか……」

「まぁ、大まかに言ってお前の言う通りだ。するとどうなる?」

「そりゃ……早めに行動出来たり、罠を解除できたり……」

「違うだろう?もっと大切なことについて考えてみろ」

「大切なこと……こんなこと考える場合なんだろうか……将来……」

「違う、大切すぎることを考えるな。適度にもっと大切なことについて考えろ」

 そもそも盗賊について考えたくないし、それが自分の就職先になりうることを考えるのも嫌であるのだが、蛇菊魅は少しだけ目を閉じ――そしてイヤな考えに思い至った。


「足が速い、つまり脚力がある……つまり、キックの威力に補正がつく……とか?」

 そんなわけがあるはずがない。

 話を聞く限り、キック一強世界であるのに――それに更に補正が乗るなどということがありうるはずがないというか、そもそも速度は別に脚力だけを表しているわけではないし、脚力だって別にキック力を表しているわけではない。

 理性はそう考えている、だが本能は答えを知っている。

 背中にじんわりと汗がにじみ、蛇菊魅は知らず内に手を組んでいた。

 祈りとはそのようにして生まれる、無駄であるとわかっていても。


「正解だ、脚力も力だからな」

「何でも一つの箱に纏めようとするなよ!!」

「そうしてこの補正の結果、世界の若年層の七割は盗賊になった」

「残りの三割の方の倫理観にありがとうございます!!」

「おいおい、さっきからお前は盗賊に対する偏見持ちすぎてはいないか?盗賊と言っても五割ぐらいは財産ではなく人の命狙いだぞ?」

「転生させるなら俺じゃなくてそれ聞いてよかったぁ……ってなる奴にしてくれよ」

 話を聞けば聞くほどにこの世界に対する絶望しか湧いてこなかった。

 大地を踏みしめる足取りは重く、柔らく生い茂る草ですらそれを受け止めるには荷が重い。

 その時である。


「キャアーッ!!」

 絹を切り裂くかのような女性の悲鳴。それに続いて複数の男たちの下卑た笑い声。

 その声を聞くや否や、蛇菊魅は走っていた。

 そう走らない内に、声の主を発見することが出来た。

 馬ごと横転した馬車に、それを取り囲む複数の男達。男の一人は黒く痩せた馬に乗っている。

 倒れた御者や、執事らしき男を庇うように少女がファイティングポーズを取っているが、その手に握るはずの剣は地面に落ちている。


「貴様ら……この私を誰と心得ている」

「ヘヘ、どちらのお嬢様だろうなァ……お前ら知っているか?」

「ウヒヒ……知らねぇっス、これから殺す人間のことは特に」

「グフフ……昨日の飯を食ったかどうかすら知らねぇオデが知ってるわけねぇど」

「残念だったなぁ、俺ら死体の周りで屈伸を複数回繰り返し盗賊団の中にお前のことを知ってる奴なんて誰もいねぇってよ」

 少女の目には命を懸けることも辞さない信念の炎が燃えているが、それとは対象的に盗賊たちは酷薄な笑みを浮かべている。

 獲物をいたぶる時に獣とはそのような笑い方をする。


「あ……女ってことはわかるな、いくらで売れるかは知らねぇけどよ、へへ」

「クズ共が……」

 その様子を蛇菊魅は幸いにもまだ気づかれていない内に発見することが出来た。

 とてもではないが、許せぬ光景であった。


「幸運だったな蛇菊魅、気づかれぬ内に逃走するが良い」

「なに?」

「それはそうだろう、何の力も持たないお前が複数の盗賊と戦えるものか。弱ければ奪い尽くされる……その教訓を持ち帰って、職業訓練所に急ぐことだ」

 ワルハチーレの言うことは当然のことである。

 異常なキック補正を抜きにしても、一人一人が武器を持ち、体格も蛇菊魅より優れた男たちに勝てる道理はない。

 だが、蛇菊魅の足は盗賊たちの方に進んでいた。


「俺は徳溢れまくり小学生を助けて死ぬような格好つけた自分が割と好きなので……」

 何が出来るかはわからないし、何も出来ないかもしれないが、それでも複数対一を黙ってみていることは出来ない。


「その提案は蹴らせてもらいます!」

「ふん……命知らずの愚者め」

 発せられた内容とは裏腹にその言葉はわずかに喜色を帯びていた。


「おい、クソ煽り盗賊団共!」

「あぁ?誰だァ……そちらのお嬢様の援軍でございますかァ?勇ましくございますねぇ……ヘヘ」

 蛇菊魅を見た盗賊たちは笑う。

 武器を持たず、体格に優れているわけでもない。

 その上、勇ましく自分を見せようとしているが、体の震えを隠せているわけでもない。

 獲物が増えれば、獣は笑う。


「なんだ君は……」

「なんだというか……助けに来ましたというか……」

「気持ちは嬉しいが、危険だから気持ちだけ持って立ち去って欲しい……私は心中の相手を増やしたいわけではない」

 少女の拳により強い力が入る。

「いや、まぁ……頑張るんで……はい……」

「へへ……じゃ、そちらのお嬢様を殺す前に、お前を殺すとするかァ……そこの勇敢なお坊ちゃまと最初に遊んでやりたい奴は誰だァ?」

「ウヒヒ……じゃ、俺がやりまスわ」

 軽薄な笑みと共に、盗賊の一人が蛇菊魅の前に躍り出た。

「弱キックがいいッスか?中キックがいいっスか?それとも強キック?たっぷり死体蹴りしてやりますよォ?」

 それと同時に、蛇菊魅がズボンを脱ぐ。


「は?尻を出して命乞いッスか?」

 盗賊の言葉を無視して、蛇菊魅は次に上着を脱ぐ。

「えっ?」

「はぁ?」

「キャアーッ!」

 盗賊達は困惑し、少女は己の手で目を塞いだ。


「考えたな、蛇菊魅」

 頭の中にワルハチーレの声が響く。

「素早さ補正が力にも係ることを考えれば、最早防具すらただの重荷。これからのトレンドは全裸武器による力速全振り瞬殺だ」

 それと同時に馬に乗った盗賊もまた、盗賊たちに向けて叫ぶ。


「お前らも服を脱げ、これは……戦いに革命が起きるかもしれねェぞ!」

 天才は天才を知る。馬に乗った盗賊だけが蛇菊魅の行動を見て、ワルハチーレと同じ答えに至っていた。


「全裸で武器だけ持つ夢の時代が訪れるぞ!これは!」

「悪夢だろ」

 手で石ころを拾い上げながら蛇菊魅は呟く。

 全裸で向かい合う蛇菊魅と盗賊達。


「身体が軽いッス……しかも力がみなぎる……戦いの到達点って感じッスよ!」

「オデ……真っ当に鍛える以外に強くなる余地があったど……」

 風になびく盗賊の玉袋を狙って、蛇菊魅は石を投げつけた。


「ンデェーッ!!!」

 投石が命中した盗賊は僅かに硬直するが、蛇菊魅の手は止まらない。

 蛇菊魅が十六個ほど石を投げ終えた頃には、急所を破壊された盗賊の首が吹き飛んでいた。


「オ、オマェェェェェ!!!よくもオデの永遠ズッ親友ダチをォォ!!」

 雄叫びを上げながら向かってくる盗賊の玉袋に蛇菊魅は石を投げ続ける。

 発生する硬直。

 蛇菊魅が十六個ほど石を投げ終えた頃には、急所を破壊された盗賊の首が吹き飛んでいた。


(……蹴りの範囲外から石を投げ続けてたら、なんか上手く行ってしまった!!!)

 ワルハチーレの情報から、この世界の住民は異常なまでに蹴りにこだわるということはわかっていた。

 ならば、飛び道具はどうだろう。

 それはほとんどヤケクソのような発想だった。

 蛇菊魅に確信と呼べるものは一握りも無く、ただ少女を助けようと思っただけである。

 キックの威力が異常な計算式で算出される以上、服を脱いだ方が強くなれる。

 ならば、自分が服を脱ぐことで相手の脱衣を誘導し(しかし、蛇菊魅が促すまでもなく敵の首領の方が他の盗賊たちに脱がせてしまった)、相手に弱点を曝け出させたところで、石を投げ続ける。

 作戦と言うにはあまりにもお粗末であったが、謎の硬直が味方したおかげで成功した。

 おそらく、この世界は作りがかなりおかしい。


「よくも部下共を……テメェーーーーッ!!!俺が馬に乗った状態で放つ速さ補正が掛かった馬キックで死にやがれぇーーーーッ!!!」

「それどういう計算式が発生するんだよ!!」

(……クソ、と言っても馬の急所は狙いづらいし、首領は服を着たままだ……南無三!!)

 馬が走り出そうとした瞬間に蛇菊魅は石を投げ続ける。

 発生する硬直。

 蛇菊魅が三百個ほど石を投げ終えた頃には、馬が倒れ首領らしき男の首が吹き飛んでいた。

(服脱がせた意味ねぇなぁ……)

 盗賊を全滅させた蛇菊魅は服を着直した。

 まったく、世にも奇妙な戦闘であった。


「……服を着たので、目を開けてください」

 耳を赤くしながら、少女は蛇菊魅を見る。

「そんな、盗賊たちを武器も持たずに一人で全滅させるなんて……」

「正直、俺もそう思っています」

(クソRPGとクソ格ゲーの融合みたいな世界で助かったが、未来を思うと何も助かってねぇ)


「私の名前は姫騎士ジェリカ=フクスウケイ……まずは貴方の力を見くびった謝罪をさせて頂きたい」

 そう言って、ジェリカが深く頭を下げる。

 そして、蛇菊魅が言葉を発するよりも言ったのだ。


「どうか、世界を救うために貴方の力を貸して頂きたい!邪悪なる魔王が復活しようとしているのだ!!」

「いや……流石にその提案は――」


***


 そして蛇菊魅が二十万個ほど石を投げ終えた頃には、魔王の首が吹き飛んでいた。


「――蹴らなくて良かったなぁ……」


-終-

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剣で蹴る異世界転生 春海水亭 @teasugar3g

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