剣で蹴る異世界転生
春海水亭
前編あるいは理論編
***
「お前は剣としゃがみ弱キックの世界に転生することになった」
「生前国一つ潰した奴が行く地獄か?」
***
あの忌まわしき十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックに狙われて生き延びた人間は歴史上に誰一人として存在しない、奇跡的に生き延びたと考えるよりは当然のように死んだと考えるべきであろう。
だが、永遠の眠りにも目覚めというものはあるらしい。
蛇菊魅は気がつくと、質の悪いオフィスチェアに座っていた。
周囲を見回す。オフィスデスクが整然と並んでいる。もっともオフィスデスクの上に積まれた書類やファイルに関しては整然とは言い難いデスクの方が多い。
壁に備え付けられた黒板や、その横にある時間割を見ていると――どうにも小学校であるとか中学校の職員室にいるように思えるが、そのような場所に呼び出される覚えはない。
しかし奇跡的に生き残って職員室に呼び出されるよりは、あの世が職員室のような場所をしていると考えた方が道理に合っているように蛇菊魅には思える。
とりあえず時間割でも見てみるか、と蛇菊魅が立ち上がりかけた――その時である。
「遅くなってすまない、私がお前の死を担当するワルハチーレだ」
扉が開き、部屋に入ってきたのは上背のある眼鏡を掛けた女性であった。
手足はすらりと伸び、その指先は必要以上に痩せているわけでも肥えているわけでもない。
均衡の取れた身体を包むのは何の変哲もないジャージであったが、おそらくそれは彼女にとって最も相応しい装束であるように思えた。
「……やっぱ俺、死んだんですか」
「その割には落ち着いているな、大抵の人間は取り乱すものだが」
ワルハチーレは蛇菊魅の隣のオフィスチェアに座り、その身体を少しだけ蛇菊魅の側に寄せ、蛇菊魅の前に何枚かの書類を置いた。
わずかに爽やかな柑橘系の匂いが香る。死の匂いとはこのようなものか。
「まぁ……覚悟はしてました、十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックですから」
「ああ、確かに十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックではしょうが……十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラック!?」
「十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックですが……俺なにか変なことを言いましたか?」
「いや、十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックは変であれよ!」
ワルハチーレがデスクに置いた書類の一枚目を引っ掴み、上部にまじまじと目を通した。
『蛇菊魅 得夫(じゃきくみ えるお) 享年十八歳 死因:轢死』
死者のプロフィールが書かれているようであるが、そこには十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックの文字はない。
「なんなのだ……十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックとは……」
「俺が十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックが徳溢れまくり小学生をターゲッティングする直前に十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラック誘導装置を使って俺が徳溢れまくり小学生の代わりに死んだことはいいじゃないですか、大切なのは俺が死んだこと……そうじゃないんですか?」
「いや、十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックより大切なものはそうそう無いような気もするが……徳溢れまくり小学生!?そして誘導装置!?いや……いい……お前の死よりも大切なことは後で上司に聞く」
気を取り直したワルハチーレが書類と呼吸を整え、蛇菊魅に向き直る。
「まず蛇菊魅得夫、お前は死んだ」
ワルハチーレの言葉に、蛇菊魅は微かに頷く。
「はっきり言われると……やっぱりへこみますね」
「魂は輪廻を繰り返す、お前にとって救いとなるか苦しみとなるかはわからんが、お前は再び人間に生まれ変わる」
「あの世みたいな場所って無いんですか、天国とか地獄とか……」
「ある、が……永遠はお前には関係ないことだ、せいぜい次の世界で己の魂を磨くことだな」
「次の世界?」
「お前の知る言葉で言うならば異世界……そう、お前の知る道理が通じぬ世界ということになるな」
「ワルハチーレさんが十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラックを知らなかったみたいにですか」
「言っとくがお前の世界は道理が通じぬというか、高速超えて音速道路が通じとるようなものだからな?」
少々顔をこわばらせながら、ワルハチーレが資料をめくる。
納得したように何度も頷き、それで少しズレた眼鏡を直すと、椅子から立ち上がった。
「喜ぶが良い、蛇菊魅。お前の生前の善い行いが認められ……お前は今の記憶と生前に近い肉体を与えられ、中々に過ごしやすそうな異世界へと転生することとなった。お前たちの言葉で言うチートのようなものは与えられないが、第二の生を送るには十分だろう」
読んでみろと言ってワルハチーレは蛇菊魅に書類を渡すが、蛇菊魅の名前以外は見たこともない言語で書かれていて読むことが出来ない。
「あの……読めないんですけど」
「おっと、そうだったな……すまない。この世界の言語知識はお前の新しい肉体の方にあったんだった」
ワルハチーレはそう言って頭を下げた後、
「まぁ、端的に言うと――」
何一つ聞き違えの出来ないようなはっきりとした言葉で言った。
「お前は剣としゃがみ弱キックの世界に転生することになった」
「生前国一つ潰した奴が行く地獄か?」
地獄は蛇菊魅には関係のないことであるとワルハチーレは言ったが、その胡乱な響きは何らかの刑罰のそれに近い。
「何故だ、お前たちの言葉で言うファンタジー世界だぞ?」
「剣はわかるんですよ」
「ああ、そうか」
納得したようにワルハチーレは手を叩く。
「しゃがみ弱キックというのはな、しゃがんだ状態で弱いキックを――」
「いや、しゃがみ弱キックの意味がわからないわけでもないんですよ」
蛇菊魅の言葉に怪訝な表情を浮かべるワルハチーレ。
「何がわからないと言うんだ」
「しゃがみ弱キックがわからないんですよ」
「だからしゃがみ弱キックというのは」
「いや、そういうことじゃないんですよ」
蛇菊魅はしゃがみ弱キックの説明を繰り返そうとするワルハチーレを制し、頭を抱える。
「普通こういうのってさぁ、剣と魔法の世界とかじゃないんですか?」
「魔法ってお前……まぁ、確かに銃と絶対の死を司るゴバチョフデス黒魔法の世界はいくらでもあるが」
「絶対の死を司るゴバチョフデス黒魔法はいくらでもあるなよ!いや!絶対の死を司るゴバチョフデス黒魔法ってなんだよ!そもそも!その絶対の死を司るゴバチョフデス黒魔法と並び立つ銃がなんなんだよ!」
「銃とゴバチョフデス黒魔法の世界に転生したら、お前なぞ二秒でめにょ……だぞ」
「何もわからないけど、おそらくめちゃめちゃイヤな死に方なことだけはわかる……」
「まぁ、お前に選択権はないが……おとなしく剣としゃがみ弱キックの世界に転生しておくことだ」
「……わかりました」
諦めたように、蛇菊魅が言う。
どうあがいても、剣としゃがみ弱キックの世界に転生する事実が変わることはなさそうであるし、事実が変わったら変わったでめにょという死に方をしかねない。
「じゃあ、なんで剣としゃがみ弱キックが並び立っているか教えてもらっていいですか?」
あらゆる災害や貧困、そして十六トン暴走轢殺無免許飲酒運転武装トラック、それらが存在する事実を変えることは出来ないが、その世界でどう生きていくかを学ぶことは出来る。それと同じことだ。
新たな世界を受け入れて学ばなければならない。
「足には手の数倍の力があるから、キックはパンチの数倍の威力がある。わかるな?」
「まぁ、わかります」
「足は手の数倍の力があるから、手に武器を装備した状態だと武器を装備した手の数倍の威力のキックが出せる……これもわかるな?」
「いきなりわからないんですが」
「足は手の数倍の力がある以上、手で放つことが出来る最強必殺技の威力を参照に、キックの威力が算出されることもわかるな?」
「計算式が間違ってることがわかりました」
「剣を鍛えるだけ鍛えて、発生の早いしゃがみ弱キックで相手を仕留める、それ故に剣としゃがみ弱キックの世界……わかったな?」
「修正の予定はあるんですか?」
「は?仕様だが?」
無慈悲な事実をワルハチーレが告げた瞬間、蛇菊魅が蝉のようにオフィスデスクにしがみついた。
「地獄じゃねーか!!!!!」
「地獄ではない!!おそらく楽しい!!やってみたら、結構面白~!ってなるはずだ!私も見てて面白いしな!!」
懸命にしがみつく蛇菊魅と、その背中を掴んで引きずり下ろそうとするワルハチーレ。人目には滑稽に見えるが、人生をかけた命の綱引きであった。
「見てて面白い場所はやってる側にとってはたいてい地獄なんだよ!!」
「先っちょだけだ!先っちょだけ当ててみろ!一撃で相手の体力五割以上削れて楽しいぞ!!」
「バランスぶっ壊れてんじゃねーか!!!」
「演出面も凄いぞ!!しゃがみ弱キックを相手の脛に打ち込んだのに首が吹っ飛んだりもするんだぞ!!」
「それを楽しいと思える奴が行く世界ならやっぱり地獄じゃねーか!!!!」
「わかった、私も少し話を盛った部分がある……本当はしゃがみ弱キックだけじゃないんだ!ちゃんと強キックもジャンプ中キックも活躍している!」
「それで、わー良かった!異世界転生しよ!とはならんだろ!元の世界に生き返らせろとは言わんから、もうちょっとまともな世界に転生させてれよ!!」
「しかし、私の権限だと銃とゴバチョフデス黒魔法の世界か、もふもふふっかふかアニマルと――」
「もふもふふっかふかアニマルが良いです!」
「もふもふふっかふかアニマルとそれを貪り食らう夜焉暴虐獣グオンデズラウムの世界だが」
「俺が知らないだけで転生って地獄に堕とすって意味があるのか?」
そう呟く蛇菊魅にはワルハチーレの姿が見えてはいなかった。
押して駄目なら引いてみろ、そして引いて駄目なら押してみろ。
自身を引っ張る力から解放された蛇菊魅が振り向くと、そこにはしゃがみ姿勢のワルハチーレが構えていた。
「あぁ……思いっきり蹴られますか?俺」
諦めたように、蛇菊魅が言った。
死からは逃れられないように、生から逃れることもまた、出来ないのか。
普通の世界が良かったが、どうやら不可能らしい。
「蹴る?違うな」
蛇菊魅が最後に見たものは、何かしらの魔法陣が浮かぶワルハチーレの靴裏だった。
「お前は
如何なる異能か。
その蹴りを受けた瞬間、蛇菊魅の姿はこの部屋から消滅していた。
だが、ワルハチーレだけは蛇菊魅の魂の行き先を確信している。
かくして、
剣としゃがみ弱キックの世界で彼を待ち受けるものは果たして――
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