偽教授接球杯Story-4

 ※こちらは偽教授接球杯Story-3の続きとなっています。

  まずは以下のリンクからStory-3を読んだ後こちらをお読みいただけると幸いです。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893829031/episodes/16816927859155735859

 



 はぁ、ともう一度、深く息を吐きだす。大丈夫、大分冷静にはなってきた。

 だが、まだ足りない。私は“あの時”と同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。

 体温の戻らない白く細い腕に、私は躊躇なく嚙みついた。ただ噛むだけではない。犬歯を突き立て、自分の肉を食い破らんばかりに強く、強く噛む。


「~~~~っはぁっ」


 口から離した腕は、出血するどころかほんのわずかに赤くなる事もなかった。ただ歯によって穿たれた穴が残っただけである。

 

 “死者は傷つかない”


 全ての負傷を、死に至るまでの段階と定義するならば当然の事だ。死という終着点に行き着いた以上、頭を砕かれようが全身を裂かれようがそこから先に進むという事はあり得ない。

 ぐじゅぐじゅと、まるでビデオを巻き戻すかのように腕の穴が塞がっていく。だが中途半端に残っている痛みが私がまだ完全には死んでいない事を証明していた。

 痛みと視覚情報によって、私は完全に正気に戻る。さっきまでの恐怖心も高揚感も掻き消えた。ここにいるのは、生きながらにして冥府に立ち入った正気の狂人だけだ。

 

「状況を整理しよう。私はうまく半死人となり、冥府にやってきた。だがこの館に閉じ込められ、外に出る事は叶わない。理由は、おそらく私が用意されていた食事に手をつけたからだ。あの羊皮紙から考えて、この館にいるのは最低でも2人。だが今のところ私に接触してくる様子はない」


 考えがまとまらない時に考え事の内容を声に出すのは私の癖だが、今回は姿を見せない相手に向けての牽制の意味も込めていた。

 羊皮紙の内容からして、私の存在が歓迎されていないのは明らかだろう。いつでも走り出せるよう神経をとがらせながら相手の出方をうかがう。だが館は不気味なまでに静まり返り、聞こえるのは私の呼吸音ばかりだ。

 ……どうやら相手に動く気はないらしい。ならば、相手の気が変わる前にやれることはやっておかねば。

 ドアノブに手をかけ、食事のある部屋へと戻る。ドアを開けた瞬間耐えがたい臭いが鼻を刺すが、どうしても確認しておかなければいけない事が1つあった。

 紫色に変色したローストチキンを掴み、持ち上げてみる。


「……やっぱりか」


 この料理群は、。その証拠にローストチキンは掴んでもしっかり元の形を保ってる。腐っているように見えたのは、強烈な臭いと料理全体の禍々しい色合いのせいだった。料理自体が食欲のそそられない色に染まっているうえ、紫色の得体の知れないソースがふんだんにかけられている。

 

"よもつへぐい"。


 冥府に関する文献を漁っていた時に目にした言葉だ。黄泉の竈で煮炊きした穢れた料理を食った者は現世に戻れなくなる……だったか。現世ではまず見られないであろう目の前の料理群は、まさしく黄泉の食べ物というにふさわしいものだった。


(だとすればなおさらこれを口に入れるわけにはいかないな……。私はただ半死人になったのではない。生きて現世に帰り、冥府と現世を繋ぎ合わせる。それが私の使命だ)


 新たに決意を固め、部屋から出ようとしたその時だった。


「―—⁉」


 強い力で頭を掴まれ、そのままゆっくり振り向かされる。振り向いた先では、宙に浮いたパンがこちらの方へ浮遊してくるところだった。


(まずい、無理やり食わせる気か⁉)


 頭を押さえているのとは別の見えない手が口をこじ開けようとしてくる。目と鼻の先にまで近づいたパンが、これまた別の手によって細かくちぎられ始めた。

 必死に抵抗するが手の力は強く、とても振りほどけるものではない。さらに悪い事に、体を抑えるつける手の数はだんだんと増えていく。


(このままではダメだ……! なにか、なにかこいつらから逃げる手段は……そうだ!)


 動かせる右手をポケットの中に突っ込み、ロザリオを固く握りしめる。一か八かの賭けだったが、電流が体を流れるような衝撃と共に見えざる手たちが一斉に体から離れた。

 その隙を逃さず部屋を飛び出す。玄関までいっても元の場所に戻されるのがオチ。なら向かうべきは階段しかない。


(しかし、何故いきなり……?)


 手たちは私が部屋から出ようとした瞬間に襲い掛かってきた。部屋から出るのがダメだった? ……いや、違う。それなら一度目の時には何もしてこなかったのと矛盾する。何か、事態が起こった――?

 階段を1段飛ばしで上りながら背後を見ると、宙に浮いた料理が大挙してこちらに向かってくるのが見えた。料理の乗っている皿がぶつかり合う度に、カチャカチャと耳障りな音を立てている。傍から見ればシュールな光景だろうが、こちらとしては全く笑えない。あれに捕まってしまえば今度こそ現世には帰れなくなる。

 妙に肌がひりつく。まるで嵐の前のような、巨大な何かが迫ってきているかのような嫌な感覚だ。さっきまではこんな感覚全くなかったのに。まさか、これが透明な手たちに強硬策を取らせた原因なのか?

 2階、3階を通り過ぎ4階につく。どうやらここが最上階らしい。目の前には他とは雰囲気の違う重厚な扉が1つ、そして背後からは迫る料理達。……どうやら覚悟を決めるしかないらしい。

 重い扉を開けて中に滑り込み、すぐさま鍵をかける。扉の外からはしばらく叩く音がしていたが、諦めたのか食器の鳴る音が遠くなっていった。


「ふぅ……」


 とりあえず危機は去ったらしい。大きく息を吐いた私は、暗い部屋の中に誰かが立っている事に気づいた。


『久しぶりだね』


 その人物は、水の中にでもいるかのようなくぐもった声で言う。それを聞いた瞬間、私の体から一瞬で熱が奪われていくのを感じた。


『会いたかったよ。もっとも、こんな形での再会は望んでいなかったけど』


 暗闇に慣れた目に映る光景が、思い違いであってくれと願う私を嘲笑う。

 しわだらけのコートを羽織った長身の男、少し疲れたような笑みを浮かべる片眼鏡の彼は、紛れもなく私と同じ志を持ち――そして、私が見捨てた共同研究者だった。


「そんな、なんで……」


 私が半死人になろうとしたのは今回が初めてではない。10年前、半死人になり現世へと戻る理論を構築した私たちは、2人で半死人になろうとした。今回と同じように、冥府への距離が最も近いと算出されたこの山で、半死人になったあと最も体の損壊が少ない首吊りで。だが私はできなかった。直前になって、臆病風に吹かれたのだ。もし理論が間違っていたら、私たちは無駄死にだ。1人残っていれば、例え失敗でも次につながる。そう言い訳をして、私はその場から逃げ出した。彼をおいて。


「すまない、あの時は――!」


『いいんだ。今ここにいるという事は、君はまだ志を捨てていないんだろう? 僕はそれだけで嬉しい』


 彼がこちらに歩み寄ってくる。


「教えてくれ! この館は一体何なんだ! それにさっきからしているこの感覚は……⁉」


 彼が私のすぐ前に立つ。彼の右手が緩慢に動き、コートの中に入れられた。


『大丈夫。僕が今知っている事は全部教える。だけどその前に――』


 全ては一瞬だった。彼の右手が突然動きを速め、コートの中から黒く濁った何かを取り出す。彼は何と、それを私の口めがけて突き出してきた!


『これヲ食べてモラオうか……!』


 咄嗟に両手で彼の腕を掴み動きを止めるが、それでも腕の動きを止めるのでやっとだ。さらに彼は空いた左腕を使い、私を扉へと押し付ける。その力は生前の彼からは想像もできないほどに強かった。


「そ、んな……!」


『あノ時逃げ出したツミ、今こそ償エ!』


 腕の力がどんどん強くなる。固い扉と背骨が擦りあわされ、鈍痛が走る。

 彼が不意に顔を近づけてきた。間近で見る首元には真っ赤な縄の痕が刻まれている。彼の吐く息からは、あの料理と同じ臭いがした。


(ここまでか……。けれど、彼に引導を渡されるならそれも……)


『反応しないで聞いてくれ』


「えっ……?」


 彼の声の調子が変わる。冥府の底から響くような恐ろしげな声から、先程までの柔らかい声に。


『10年前、僕は今の君と同じようにここにきて、そして料理を食べさせられてしまった。今や僕は"彼ら"の一員だ。だからこうでもしないと、彼らに気づかれるからね』


 言われてみると、何人もの気配が周りに集まってきていた。おそらくはさっきの透明な手の持ち主たちだろう。


『この館の主の正体は分からない。ただ1つ言えるのは、あいつは現世と冥府を行き来する事のできる稀有な存在だ。そして、奴は人の魂を奪い、この館に縛り付けて奴隷にしている』


 彼の声が憂いを帯びる。


『僕らは好きでこんな事をしているんじゃない。だけど、奴の機嫌を損ねれば死ぬより恐ろしい目にあわされる。だから僕らは焦っていたんだよ。奴が帰ってくる前に君に料理を食わせなきゃって』


 なら、さきほどから感じているこの気配は……。


『そう、奴がもうすぐ帰ってくる。新しい奴隷を見るためにね。けど今ならまだ逃げ出せる。そのロザリオが鍵だ。僕の事は気にせず、逃げるんだ!』


 そう言うと、彼は自らポケットの中のロザリオを握りしめる。衝撃が走り、彼が呻き声を上げながら手を離したのと同時、私は窓に向かって走り出した。

 周りの気配が一斉に襲い掛かってくるが、ロザリオをかざして牽制。そのままロザリオを強く握りしめ、窓から外に飛び出す!

 何か膜を破るような感覚の後、私は館の外に出ている事に気づいた。いつのまにか雨は止み、赤い月が雲間から覗いていた。


(逃げよう。あの場所へ……!)


 自身が首を吊った場所。冥府と現世の距離が最も近い場所に向かって走り出す。

 死んだばかりの頃は闇雲に走っていたが、周囲の地形は事前に頭に入れている。走っていけば5分もかからないだろう。

 

 だが。


 館のある方向から、凄まじい叫び声が聞こえた。何人もの人間の断末魔を1つに合わせたかのような、悍ましい声。その鳴き声を理解するより先に、全身が総毛だつ。

 気づかれたのだ。

 木々をなぎ倒す音を背後に聞きながら走る。走る。悍ましい叫びが、鼻をつく悪臭が、こちらを見据える冷たい眼差しが。近づいてくる。


 しかしに追いつかれるより早く、私は目的の場所についた。

 何かを悟ったのか、怪物が再び絶叫する。

 だがもう無駄だ。私はロザリオを地面に思い切り突き刺す。瞬間、眩い光が広がり全ての景色を塗りつぶしていった。



 終わったのだ。これで私は現世に……。


「がっ――⁉」


 光の中から伸びてきた爪が私の肩を切り裂いた。

 光がおさまっていく中、現れた怪物の顔は邪悪な笑みで歪んでいた。まるで見せつけるように牙を鳴らし、全身の目を動かしている。

そうだ。彼が言う事が本当だとしたら、こいつは現世と冥府を行き来できる。逃げ場など何処にもない。


「……まだだ」


 こんなところで終わってたまるか。私の使命は……まだ終わっていない!



 残された使命、それは――現世と冥府を繋げること。


 ミシリと音がした。それを聞いた怪物が首をかしげて辺りを見回す。

 そして次の瞬間、。一拍遅れて事態に気づいた怪物が絶叫する。必死に手足を動かすが、その手足も即座に崩壊していく。


「冥府と現世を繋ぐゲート……その発生場所にお前がいたのは偶然だったが、これであいつも救われるのだろうか……」


 絶叫が徐々にか細くなっていき、最後はノイズになったところで怪物は完全に消滅した。

 出血する肩を押さえ、立ち上がる。皮肉なことにこの痛みが、現世に帰ってきたことの何よりの証明になっていた。


「あ……」


 遠くにあの館の姿が見える。館はしばらくそこにあったが、やがて光と共に消滅してしまった。これであそこに囚われていた魂たちも、あるべきところへ帰れるだろう。


「さて……私も戻るとするか」


 半死人の立証と冥府と現世を繋ぐゲートの生成。これは私の計画の一部にしか過ぎない。私の寿命があと何年あるかは分からないが、それまでに死を乗り越える方法を見つけ出さなければならないのだ。これはそのための足掛かりに過ぎない。


 死を、生を、人が完全にコントロールするその日まで、私は研究し、進み続ける。死ぬまで、いや死してなおも。



               <終>

 

 


 


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縄痕の荒召(クワズチノアメ) 白木錘角 @subtlemea2

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