縄痕の荒召(クワズチノアメ)

白木錘角

偽教授接球杯Story-2

 こちらの話は偽教授様主催の「偽教授接球杯」参加作になります。こちらの企画では偽教授様と交互にエピソードを書くという形式を取っているので、まずは偽教授様執筆の偽教授接球杯Story-1を以下のリンクからお読みください。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054893829031/episodes/16816700429531560495







 異様、そういう他ない光景だった。

 部屋の中心に据えられた楕円のテーブルのそばには椅子が1脚。つまりこの料理を食べるのは1人だという事だ。だがたった今給仕されたばかりかのように湯気を立てる料理達は、どう見ても1人の人間の胃に収まりきる量ではなかった。

 決して小さくないテーブルを埋め尽くさんばかりに皿が並べられ、その皿1つ1つに料理が零れ落ちる限界までのせられている。中には隣の皿の料理に支えられる事で落ちないようバランスを取っているものもあり、うかつに手を出せばテーブルの上と床が大惨事になるであろうことは容易に想像できた。


「……」


 ごくり、と生唾を飲む音が静かな部屋に響き渡る。

 “こんなところ”にある洋館。人の気配がまるでしないにも関わらず、明かりが灯り出来立ての料理が用意されている。どんな木偶でくでも不審に思う状況だろうし、少しでも鼻が利く者ならこの部屋を見た瞬間にきびすを返し逃げ出すはずだ。

 だが本能は往々にして理性に勝る。雨風に晒され続けた体はとっくの昔に限界を迎えており、腹は食物を求めるようにキリキリと痛み続けている。足の感覚もだんだん薄れはじめ、このまま休まなければ自分が歩いているかどうかさえも分からなくなるだろう。

 それにここから逃げたところで、待っているのは吹きすさぶ風と冷たい雨だ。今の弱り切った体と心ではそれに耐えられるはずもない。

 足を引きずりながらテーブルに近づき、巨大なローストチキンに押しつぶされたトマトの輪切りを一切れ抜き取ってみる(これだけで料理の山全体がわずかに揺れた)。

 そっと舌にのせ、そして飲みこむ。ドレッシングの酸味とトマトの甘さが程よく融け合い、心地よい味わいを残した。

 ……旨い。使われていたトマトとドレッシングはおそらくどこにでも売られているものだ。だがそれらを恐ろしいまでの精度で混ぜ合わせ、組み合わせる事で互いの良さを最大限まで引き出している。まさしく調理の妙とでもいうべきものだ。

 たった2つの材料からですらここまでの味を生み出せるのだ。もっと多くの材料を使った料理ならば、一体どれほどのものを作り出せるのだろう――?

 次の瞬間には、目の前のローストチキンに歯を食い込ませていた。両手でそれの端を押さえつけ、獣のように食いちぎる。はねた油が、涙と混ざって頬を伝った。

 周りからは陶器の砕ける音がしていたが、そんなものを気にかける必要などなかった。何せテーブルの上にはまだ、十分すぎるほどの量が残っているのだから。

 ローストチキンを食い散らかした後は、行儀よく並べられた白身魚のムニエルに目をつける。その後はパンが浸された赤いスープに、その後はマトンに、その後は…………。



 気の済むまで料理を貪り腹を満たすと、充足感と共に羞恥心が湧き上がってきた。

 極限状態だったとはいえ、先程の様子はとても人には見せられない。もし知人や家族があれを見たのならどのような反応をするのだろうか?

 そこまで考えたところで、知人や家族などもういないことを思い出した。否、より正確にいうなら知人や家族だった人間ならいる。だが彼らに会う事はもうないだろう。

 ワインで満たされた大皿を、せめて人間らしく飲もうと持ち上げて顔を上げたところ、首の痕がヒリヒリと痛んだ。風雨の中を走っている時には気にもならなかったが、首筋に触れてみると線がはっきり一本、首の周りに刻まれているのが分かった。


(……あいつは、見ていたのだろうか)


 友人が自分を置いて走り去る姿を見ていたのか、それともその時にはすでに意識が混濁していたのか。できれば後者であってほしい。それがお互いにとって最善のはずだ。





「……⁉」


 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 目の前に、大きな建物がそびえ立っていた。立派な建物だった。今だから分かるが明り取りは縦に4つ、さらにそれぞれ左右に3つずつ同じものがあることが見て取れる。明かりがついているのは縦の4つだけであり、他は暗闇と同化し中の様子をうかがい知る事はできない。

 それは間違いなく、今の今まで中に居て食事を食べていた建物だった。

 何が起こった? 今までの出来事は一瞬のうちに見た幻覚だったのか?

 だが腹はもう情けない声を上げてはいないし、足の疲れも若干和らいでいる。つまりさっきまでの出来事は紛れもない現実だったという事だ。

 ならば結構。体力が回復した今、こんな得体の知れない屋敷に近づく必要はない。どこか適当な穴ぐらか樹の洞でも見つけ、そこで嵐が過ぎるのを待てばいい。

 だが無意識に動いた手は取っ手を掴み、扉を開ける。中に入り、扉を閉める。それはまるで先程の行動をそのままなぞらされているようだった。

 しかし奥から漂ってきたのは食欲をそそる芳香ではなく、鼻を抑えたくなるような不快な悪臭である。何かが腐ったような刺激臭が、妙に生暖かい空気の中に充満していた。

 正面の階段を避け、後ろに回り込む。悪臭は扉の前につくといっそう強くなった。

 扉をそっと開けてみる。見えたのは大きな楕円のテーブルと1脚の椅子。だがその上に敷き詰められていたのは湯気の立つご馳走ではなく、腐敗臭を放つ塊だった。形容しがたい色になった料理の残骸は元がなんだったのかも分からない程に形を崩しており、皿からはみ出したところが糸を引きながらデロリと床に垂れている。

 ふと、テーブルの一角に羊皮紙があるのに気づいた。黒のような茶色のような紫のような色で満たされたテーブルの中で、真っ白なそれは否が応にも目を引く。

 なるべくテーブルに近づかないよう全力で手を伸ばし、羊皮紙をつまむ。

 そこには老人が書いたような震えた筆跡で文が綴られていた。


 ―—馳走キエタ――


 ―—なぜ消えた――


 ―—盗人タベタ――


 ―—なぜ食べた――


 ―—腹がスイテタ―—


 ―—腹なれば食べられない――


 ―—腹すればタベラレナイ――


 ―—腹に物を詰め込ませろ――


 ―—タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ

   タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ

   タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ

   タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ

   タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ

   タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、タベロ、


 限界だった。羊皮紙を投げ捨て一目散に出口へと走り出した。耳の中では「タベロ」という声がこだましていた。


 

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