篁さんは名探偵じゃない

陣野ケイ

篁さんは名探偵じゃない

 「ねえねえ、ねーえ!」


 下校を促すチャイムが鳴り、教室のみんながそれぞれ帰り支度を始める中。

 屈託のない明るい声に私は顔を上げた。


「ねえ、ちょっと付き合ってくーだーさい!」


 そう言ったのは三日前に転校してきたばかりのたかむらさん。

 紹介の時に先生がみんなに向けて説明してくれたとは思うものの、どこから引っ越してきたのかは忘れてしまった。割と遠いところだったような気はするけれど。

 全体的に地味な私には、ふわっとした低めのツインテールに加えセーラー服の上にいかにもガーリーなピンクのカーディガンという彼女の出立ちは眩しい……というか、近くにいられると気恥ずかしい。


「そぉーんな変な顔しない! 何もトツゼン愛の告白しようってんじゃないし。それとも忙しい? 猫の手でも借りたいくらい? あたしの手ぇ借りる?」


 にゃー、と猫の手ポーズをする篁さんに教室のあちこちからくすくすと笑い声が起きる。

 初日から確かこうだった。篁さんは底抜けに明るくて他人との距離をすぐ縮めてしまう人みたいで、姿形も可愛ければ声も大きいから話しかけられるだけで周囲の目が一斉に注がれる。

 それが大丈夫な人もいればだめな人も勿論いて、悪い人じゃないしむしろいい人なんだけど、みんなから好かれるような人じゃないってのが私から篁さんへの印象だった。

 私がなんとも言えない気持ちでため息を吐いたのと篁さんが「決まりねえ!」とニッコリ笑ったのは同時。


「んじゃついてきてくーだーさい! ばっちりエスコートしてあげっから!」


 返事を待つことなく篁さんの中では決まったらしい。

 あーあと声に出すことなく嘆息して、教室の天井を見上げた。




◆◆◆




 猫の真似をして見せていたかと思えば、今度はウサギのように飛び跳ねながら数メートル前を行く篁さん。

 ふわふわのツインテールが上下するのをぼんやり眺めながら、少しずつ薄暗くなっていく空の下を学校裏の林のほうへ向かって歩いていく。

 ……いや待って、これまずいよね?

 私は眉を顰めた。だってこの先の林って。


「そわそわしてるー?」


 絶妙なタイミングで篁さんが振り返った。私は思わず目を見開く。


「してるねえ。途中何回か立ち止まってたし、今もあたしとなーんとなく目が合わないもんねえ」


 ぱきりと木の枝を踏む音がする。篁さんも立ち止まって、身体ごとくるっと向き直った。

 ツインテールが翻る。


「あたしさ、転校してきて最初の日に隣の席の子に聞いたの。三ヶ月前、この林の奥で女の子の変死体見つかったんだってね。うちの学校の子の」


 ほとんど沈みかけの西日をバックに篁さんはにんまり笑っていた。

 笑った形をしてるだけの、感情が見えない顔だった。


「怖かっただろうねえ」


 ローファーの足先が落ち葉を蹴る。


「ねえ、どう思う? 乱暴されて首絞めて殺された女の子の気持ち、想像つく?」


 にわかに荒くなった息に、私はどうしようと狼狽える。なんでそんなことここで言うの。

 転校生ならそりゃ確かに噂で聞くかもしれないけど、でもならどうしてなんで。ここに連れてきて。その話を。今ここで。

 だめよ。

 


 足元で木の葉が蹴散らされる。

 動物みたいな声をあげて、が篁さんに突進していく。


 ——ああ、あの時も。

 あの時もこうだったの。

 手伝って欲しいことがあるって、そう言われたからついていっただけだったのに。

 だめ、だめ、同じことになんてならないで。私は必死に叫んで手を伸ばす。今まで何も触れなかった、どんなに「この人だ」と横で喚いても誰にも聞こえなかった声と手を。


「やさしいねえ」


 篁さんの声に、はっと我に帰る。

 気付けば私の手は先生の足を確かに掴んでいた。私だけじゃない。他にもいくつか、先生を引っ張る手が見える。自分には見えない何かに纏わりつかれ、先生は混乱に引き攣った顔で何事か喚き立てるだけ。

 篁さんに目をやれば、彼女は場違いなくらいふんわりした笑顔で「私」を見ていた。


 やがて無数の手は先生の身体を何処かへ引き摺り始める。恐る恐る私が手を離しても、もう先生は動けないみたいだった。

 私が連れ込まれた林の奥は、絵の具で塗りつぶしたみたいに真っ黒い。日が落ちたせいだけじゃない、だろう。

 ずるずるとその中へ飲み込まれていく先生を薄く細めた目で見送ってから、篁さんはもう一度私を見た。


「しんどかったのに、助けようとしてくれたね。ありがとねえ」


 何か言わなくちゃと思ったけど、やっぱり声は出ない。さっきは出てたような気がしたんだけど。

 代わりに首を振った。篁さんは今度は申し訳なさそうに眉を下げる。


「あたしにできるのこれだけなんだ。名探偵とか、そんなカッコよくなくてごめんねえ」


 ピンクのカーディガンの裾をぎゅっと握る手が震えている。私はもう、それだけでよかった。

 そう思った途端になんだか頭の中がふわふわしている。見えてる景色も霞んでいく。

 成仏するってやつなのかな。


 彼女に私がどんな姿で見えているのかは分からない。そのことに何も触れないでいてくれることが、そのまま答えなのかもしれない。けれどせめて少しは、覚えていてくれるくらいに綺麗に見えたらいいなと。

 願いを込めて笑ってみせたのを最後に、視界も思考も真っ白に包まれた。




◆◆◆




 寒さも本格的になってきた冬の午後。

 ピンクのカーディガンにツインテールの女子高生がバス停のベンチにひとり、スマートフォン片手にぼんやりしている。

 不意に目に飛び込んできた画面の文字列。

 とある公立高校の男性教諭が学校近くの林の中で廃人状態で見つかったらしい、という噂。


 少女は悴む手を合わせ、白く細い息を吐き出した。

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