風の止んだ日 2(終)
住宅街に帰ったゼンはKの所に走りながら途中で会った隊員に声をかけで行った。「いたか」「八時の方向に」「状況は」「隊長が向かわれました」
朱色はとても目立つ。思ったよりも見つかるのが早かった、と包帯の下で口を曲げた。
ゼンは紫色の腕章をつけた初老の男性を見つけると急ブレーキをかけた。二班の最古参。Kが隊長になる前は一小隊を率いた実力のある威厳の持ち主だ。
「私の権限で……」
言い終わる前に彼はそれ以上喋らなくて良い、と制止した。
「分かりました。全部隊を通常任務に戻らせます」
ゼンはせっかく治してもらったのに喋りすぎて血の滲んだ右頬を抑えて頷いた。右の掌が真っ赤に染っている。
「恩に着る」
彼はあまり喋りたがらないゼンの傷を見て、無意識に祈り血を止めていた。ゼンは部下ではあるが同時に恩師でもある彼に、右拳を胸に叩きつけ感謝を示すとまた全速力で走り去って行った。
「遅いよゼン」
「いつ来ても遅いと言う!」
Kに見つかりじりじりと後退りする黄緑髪の少年の後ろからゼンが現れた。少年の右腕にはやや色あせた朱色の腕章があった。全身汗ぐっしょりで、まるで頭から水を被ったようだった。
「さて、君が事件の犯人ということでよろしいですね?」
「違う!」
少年は両拳を握り地面に唾を吐き捨てるように大きな声を上げる。手には汗を握り、小さく震えていた。嘘を隠そうとしていることは明白だった。
「隊長、副隊長! 僕はそんなことしてない、信じてくれますよね!」
彼がやったという証拠はない、目撃情報も無ければ彼と一家の繋がりも分からない。客観的に見て、彼が人殺しをする十分な理由が見当たらない。
しかし二人は彼がやったことを確信していた。数時間前ティルがKに報告をした時既に、こうなることを予測していた。
「ええ……信じていますよ、嘘をつくような子ではないとね」
ゼンは腰に刺してある細剣に手をかけ、親指で刃を少し引き出した。バチッという静電気の音にゆっくりと振り向き、ゼンの閉じたままの目に怯えた。どうして仲間のはずの僕を殺そうとしているのだと小さく首を振り後退りする。
「隊長」
「うん」
後ろでKが胸に右手を当て祈るのと正面のゼンがレイピアを抜くのはほぼ同時だった。
ゼンは円く振り抜いたレイピアに全体重を乗せて五メートル先の少年を突く。剣は距離を半分に縮めただけで届かないが、剣からその何十倍もの太さの稲妻が走り腹に大きな風穴を開けた。真後ろに吹っ飛んだ少年はKが作った黒い障壁に叩きつけられ意識が飛ぶ。
すかさずKの右手から紫色の光が出て彼を包み込み、徐々に回復していく。手加減しているため傷よりも先に意識が戻り、口から赤い泡を吹きながら石畳を赤黒く汚してのたうち回る。その両手を二人の足が同時に踏みつけた。
「貴方の小さな脳でも流石に二区の法は覚えているでしょう。『殺人は裏切りと同じように最も重い罪である。』例外は相手がエキドナの人であったときだけです。貴方が殺めたのは貴方が守るべきユニオンの民、ですよね?」
「これから君へ、罰を与える」
無理やり仰向けにされた少年を高身長の重役が口を結び目尻を吊り上げて見下した。足の下の彼は踏まれた腕を引き抜こうと身をよじらせた。しかしびくともしない。
「貴方がやりましたね」
「違う、僕は」
異を唱えようとした少年の右足が焼けて消し飛んだ。再び襲う強烈な痛みに声にならない叫び声を上げ、瞳孔が上をむく。しかしその数秒後には治癒が行われ、足も意識も元に戻っていた。
「貴方がやりましたね」
「悪いことはしてな、ッ!」
ゼンが地面に突き立てた細剣が首の皮を一枚切り、そこから流れた稲妻に身体が大きく跳ねた。
「貴方がやりましたね」
「でも!」
雷鳴
「貴方がやりましたね」
「先にやったのは僕じゃ!」
轟音
「貴方が、殺りましたね」
「……はい」
少年は幾度も死ぬ程強い雷をくらい、満身創痍で熱い石畳に磔にされた。昔Kが与えた腕章もネクタイも真っ黒に焼けてしまった。左胸につけてあった名札ももう読めない。彼の名前は無い。
「隊長……僕の話を聞いてください」
「嫌です」
彼はKの拒否をいつもの弄りのひとつだと思いこんでお構いなく話そうとした。
Kの口元は全く笑っていない。きつく結んで次喋った時は死刑宣告をする時だというように黙っている。
「あの三人は君の家族だろう」
代わりにゼンが口を開いた。自分以外口を開くことが出来ない殺気を放って少年の言葉を奪った。
「僕を思い出して欲しかった、か?」
頷く。唇が小さく震えている。
ゼンもKも彼の動機が分かっていた。両親や弟すら自分のことを覚えていないことに絶望したのだろう、そして、自分の存在を証明するために犯罪者となった。分かっているが同情してなどいない。
どんな理由があったとしても、彼らが罪人と同じ土俵に立つことは無い。物語の主人公の気持ちを推測することは出来ても同じ思いをすることは無いように一線を引いている。
「……僕の居場所はどこにあるんですか」
ずっと沈黙を保っているKの頬が痙攣した。今更縋られても救う気などない。彼が大切にしているのは治安維持部隊員であって罪人では無いのだ。
「無い」
ゼンの真っ直ぐな言葉がせめてもの救いを求めた少年の心を砕き割った。なんだかんだ優しいことを知れたはずなのに、隊長も副隊長も部下に対する態度とはかけはなれていた。
「朱色が家の色だと言いましたが……それは貴方が罪を犯すまでの話。貴方は部隊の一員ではなく、ユニオンにとっても不要の人物。神が判断をするまでもありません」
言い終えるととてつもなく大きな雷鳴が二区全域を揺らした。余韻が消えた後には黒い炭のような塊が煙をあげて息絶えていた。
二人はそっと足を塊から退かした。踏まれた手首だけ微かに肌色が残っていたが、それも直ぐに焼けて爛れていった。
「行こう」
「ああ」
淡々と仕事を終えた二人は朱色の社へ歩いていった。
帰る途中、二人は少し立ち止まって振り返った。拳を胸に当て、背筋を伸ばして直立する。治安維持部隊の隊長、副隊長としてではなくただのKとゼンとして。
「何がいけなかったんだろうね」
手足を消して浮遊しながら呟く。
「さあ……」
手を下ろしてKの横に並んだ。
「彼をまだ微かに覚えていた」
全員を覚えようとしているゼンを尊敬するように横目で見て、そんな気のない自分を恥じて黙った。
「君は覚えなくていい、君の心も守るのが私の役目だ」
「うわ、恥ずかしくないの? そのセリフ」
あはは、と茶化して笑う。つられて笑う。
「四班を解放してくる」
「よろしく。あの人達には家だと思ってもらえるように頑張ろうか」
朱色の風 コルヴス @corvus-ash
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