海底にねむる夢

葛野鹿乃子

海底にねむる夢

 陽の光を通して揺れる水面の網が、海底の白い砂に、黒い岩に映っている。

 淡い青を溶かし込んだような海の底に、小さな魚が軽やかに通り過ぎていった。

 水を纏う独特な、浮いたような感覚がする。私は身体をいっぱいに使って底へ底へと潜っていく。砂や岩陰に落ちた色々な種類の貝殻を拾って、腰の麻袋に入れていった。

 ホタテ貝、桜貝、巻貝。白い貝、茶色の模様が入った貝、綺麗なビーズのようなオレンジや青、ピンク色の貝殻。割れていない貝殻だけを拾う。

 岩陰で何かがぴかっと光った。

 その岩陰に手を入れて探ってみると、金色の小さなコインを見つけた。

 どうしてこんなところにコインが落ちているのだろう。わからなかったけれど、それも貝殻と一緒に麻袋に仕舞った。いくつか採ったところで一気に海面へ浮上した。

 海面の境界を割るように顔を出して、思いきり息を吸う。

 天から降り注ぐ強い日差しが、私の濡れた顔をあたたかく包む。

 額を拭って陸へ上がった。海水を思いきり吸って重く、身体に貼りつく衣服の裾を絞る。今日は天気もいいから外を歩いていればすぐに乾くだろう。

 岩場で少しだけひなたぼっこをしていると、海からフローネが上がってきた。

 海焼けした健康的な浅黒い肌から、たくさんの水滴が滴っている。私と同じように衣服の裾をぎゅっと絞ってから私の元へやってくる。

「セネット、どう? 今日の収穫」

「今日は五つか六つくらい」

「あたしは八つ」

 白い歯を見せて笑うフローネには、収穫を自慢するような雰囲気も、そんなに貝殻採りが上手くない私を卑下するような眼差しもない。

 明るくて、友達も多くて、貝殻採りも上手な彼女は、素直で爛漫とした子だ。

 家が近所で、幼い頃から私と仲良くしてくれる友達だった。

「加工所まで一緒に行こう」

 フローネとは、いつもこうやって貝殻の加工所まで行く。

 海で採った貝殻を、小物や装飾品に加工する工場は町の生命線だ。

 町の人が海で貝殻を採る手足なら、加工所は町の心臓のような場所だ。採ってきた貝殻が、この町でしか作れないコップや小物入れや、アクセサリーになる。貝殻の形を利用した独特なものもあれば、虹のようにきらきらした表面のお皿や小物入れになったりもする。

 それらが商品となって、大きな町へ運ばれて売られていく。そうしてはじめて、海しかない小さなこの町に血が通う。町はもうずっと、そうやって生計を立ててきたのだ。

 真っ白な建物と、階段ばかりの町をフローネと二人で上がっていく。

途中、町の広場で紙芝居をやっているところを見かけた。町の子供たちが集まって、紙芝居の絵をじっと見ている。お話を語るおじいさんのよく通る声が耳に入る。

「……そうして、世界中の宝物を積んだ船は、海の底へ沈んでしまいました。今も、ずっと深い暗い海の底に、その宝物は眠っているといいます……」

 私はちらっと紙芝居へ目を向けた。私も幼い頃は、よくこの話を聞いた。世界中の宝物を集めて積んだ海賊の船が、この近海に沈んでいるという言い伝えがあるのだ。ただのおとぎ話だと考える人と、きっと宝物はあると信じていたい人で分かれている。

 私はどっちだろう。あったらいいなという思いと、そんな夢のような話があるのかなという思いが半々だった。フローネも紙芝居を見ていた。

「懐かしいね、あの話」

「フローネは、あの宝物の話、信じてる?」

「うーん、鵜呑みで信じることはできないけど、あったらいいなとは思うよ」

 フローネは控えめに笑う。フローネの笑顔は、海の岩陰で見つけたあのコインみたいだ。

「あ、そうだ。私さっき海の中でこんなの見つけたんだ」

 私は麻袋の中からコインを取り出した。まだ海水で濡れている。

 それをフローネへ見せた。フローネは目を丸くして、ぱっと明るく笑った。

「なに、これ? どうしてコイン? すっごいきれい」

 見せて、というので、コインを彼女の差し出された手のひらへ載せた。

 彼女はそれを陽に透かすようにしてかざした。夜の星のように光っている。

「どうしてこんなものが海に落ちていたのかな」

 フローネは無邪気に喜びながら、コインを裏にしたり横にしたりして眺めた。

「加工所で聞いてみようよ。大人なら何かわかるかも」

 フローネはコインを私に返した。

 町の象徴でもある、貝殻の形の屋根が加工所の目印だ。一番大きくて、町のどこからでも見渡せることができる建物だった。

 加工所の扉を開けて中へ入ると、貝殻を加工する機械の音が耳を打った。貝殻採りたちはここで採った貝殻を職人に加工してもらう。

「セネットにフローネ、今日の収穫はどうだった?」

 職人のひとりが私たちに気づいた。

 まだ水を吸った麻袋の口を開いて、中の貝殻を台座の上に並べていく。

「あたしは五つくらい。フローネは八つもあるのよ」

「でも、今日はセネットが海で変わったものを見つけたの」

 私は最後に袋の中からあのコインを取り出して、台座に置いた。

 職人の目の色が変わった、と思った。

 彼は、コインを拾い上げるとぎらついた目を眇めた。気さくで優しい職人の雰囲気の違いに、私とフローネは不安そうな顔を見合わせた。

 その職人はコインを持ったまま他の職人のところへ走っていった。職人たちを集めて何かを話していた。ただならぬ雰囲気だ。何だろう。あのコインが何だというのだろう。私はコインを拾った手をもう片方の手で掴んだ。

 やがて職人たちが揃って私たちの前までやってきた。大人の男女合わせて十数人いる。普段は優しい職人たちが、みんな犯罪者でも見つけたような顔をしていて背筋が寒くなった。

 ひとりが、コインを見せるように持った。

「セネット、これは、一体どこで見つけたんだ? 海のどの辺りだ?」

 重苦しい語調で問い質され、私は喉が震えるのを感じた。

「あ、あの、海底の傍の、岩陰がたくさんあるところ」

 あの辺は貝殻採りたちがよく行く場所だ。そう言うだけで全員が場所をすぐに理解した。

「海底傍の岩陰だ。報せてきてくれ」

 そう言われた職人の男がひとり、コインを手に加工所を飛び出していった。

「どうしたの? あのコインが何かあるの?」

 フローネが尋ねる。彼女の様子があまりに無邪気だからか、張りつめたような空気が少し和らいだ。

「いや、もしかしたら、すごいものを見つけたかもしれなくってな」

 フローネは私の両手を取って飛び上がった。

「大発見かもしれないってこと? すごいね、セネット!」

「ま、まだ決まったわけじゃないよ」

 そうは言ったけれど、私の心臓は期待で跳ね上がっていた。

 そのうち町長さんとその息子さんが加工所までやってきた。

 町長さんは、昔は海に貝殻採りに出ていた浅黒い肌のおじいさんだ。海にはもう潜れないけれど元気そのものだ。そんなおじいさんを心配して、町長としての仕事を手伝っているのが、もう四十くらいの息子さんだ。

 二人とも目尻に皺を作って嬉しそうに笑っている。

「セネット、これは本物の金貨だ! これ一枚で町の者が数ヶ月は暮らせる!」

「親父、もしかしたら他にも海に落ちているかもしれないぜ」

 息子さんも興奮した様子だった。

「そうだな。海に潜れる者全員であの辺りを探してみてもいいかもしれん」

「さっそく町のみんなに報せよう!」

 大人たちはみんな盛り上がって、加工所を飛び出していった。

 それから、町は何かが取り憑いたみたいになった。

 海に潜れる者はみんな潜って金貨を探し始めた。女性たちは家事も子供の世話もやめて海に潜り、職人たちも貝殻の加工をやめて海に潜った。陸上で八百屋を営む人も、酒場を開いている人も、学校の先生も、みんな仕事をやめて海に潜った。金貨の価値をよく知らない子供も、珍しいものを採ることに熱中して潜っていた。

 私とフローネは潜らなかった。熱狂するような他のみんなが怖かったのだ。

 私たちは二人、加工所の隅の休憩所でじっとしていた。普段は職人が仕事の手を休めて憩うベンチに、身を寄せ合っている。

 初めて見る誰もいない加工所は、いつもよりずっと広くて冷たい。いつもは機械の大きな音が響いていたのに、今は糸がぴんと張られたみたいに静かだ。

 貝殻を採りに海へ潜ると怒られ、金貨を探せと言われる。

 私たちは海へ行くことをやめた。毎日潮の香りを嗅ぎながら海で貝殻を採ってきたのに。

 フローネはオレンジのビーズを糸に通す作業をしていた。簡単なブレスレットを作っているらしい。明るい彼女が、困ったような、浮かない顔をしているのも初めてだ。

「みんな、どうしちゃったんだろう。貝殻で作ったものを売れば、今までと同じ生活ができるのにね」

 私は町中の狂騒が怖かった。唯一フローネがいつも通りで安心できる。

「でも、金貨は一枚で町の人が数ヶ月は暮らせるって言っていたよね。お金をいっぱい手に入れて楽な暮らしがしたいんじゃないのかな」

 海に潜ったり、貝殻を加工したりしなくて済む。働かなくても暮らせたら楽かもしれない。

 でも、町は貝殻を取ってずっと暮らしてきた。海と寄り添う暮らしをやめて、日中何をして過ごせばいいのだろう。

 海に寄りかかるように暮らしている私たちの暮らし。

 今まではうまく行っているけれど、もしいつか貝殻が採れなくなったら? それを思うと、安定した暮らしができるようになるのは安心なのかもしれない。

 私はフローネと一緒に海に潜って貝殻を採るのが好きだからそう思う。家族を養う大人や、仕事が大変な人、海が危ないと思う人。町には色んな人がいるから、きっと私の考えが正しいわけじゃないんだ。

 でも金貨の価値は誰にとっても同じだから、みんな海に行くのだろう。

 その日も町中が海に行ったけれど、私が見つけたもの以外の金貨は発見されなかった。

 町の人たちは落胆して、金貨を探す人の数は次第に減っていった。

 町の熱狂が冷めていったのかもしれない。海は静かになり始め、町の様子は元通りになっていった。町のみんなは目当てのものが見つからなくてつまらなさそうにしていた。

 いい暮らしができるかもしれない夢が叶うかもしれなかったのに実際はそうならなかったのだから、不貞腐れるのも仕方ない。

 私もフローネも、他の人も、また貝殻を採るために海に潜るようになった。

 日差しで焦げそうな水面を越えて海の中へ。

 あたたかな地上とは一変、深い青の底へと私は潜っていく。

 ホタテ貝、桜貝、巻貝。白い貝、茶色の模様が入った貝、綺麗なビーズのようなオレンジや青、ピンク色の貝殻。割れていない貝殻だけを拾う。

 前にコインを見つけた岩陰にやってきた。岩陰を探っていくが、貝殻以外は見つけられない。もしかしたら、またコインを見つけられるかもしれないと思った。

 でも何もない。海はいつも通りだ。水面から差し込む光が揺らいでいる。岸壁やその合間の底で青い光の波がゆらゆらと揺れている。

 光が当たった岸壁の底が一瞬光った。

 私はその一点に向けて潜った。狭い谷底へ降りていく。この先へ降りていく人はほとんどいない。少し怖いけれど、光ったものの正体が気になった。

 底は深かった。降りても降りても底が見えない。岸壁に囲われた谷間は薄暗い。その谷間に挟まれるようにして、大破した大きな船が引っかかっていた。

 それは昔話に出てくる宝船のようで、船尾だけでもかなりの大きさだった。

 私はその船に腕を伸ばそうとした。しかし、岸壁に辛うじて引っかかっていたのか、船は泡を上げて海の底へと崩れるように沈んでいってしまった。

 落ちていく船の中から、金色の砂粒のように何枚ものコインが散らばって一緒に落ちていく。私はそれらを掴もうとするが、近づいては危ないと思って腕を伸ばしただけだった。

 伝承は数多の宝を積んだまま、夢を抱えて沈んでいく。

 星のように瞬きながら、コインもともに海底へと散りばめられていった。

 海の底の、夢が沈んだ砂の下に。

 きっと今日も、とてもきれいな星が光っている。

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海底にねむる夢 葛野鹿乃子 @tonakaiforest

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