第5話 想いはゆっくりと訪れる

 二人の馴れ初め話は、聞けば聞くほど本当にドラマみたいで。あまりに鮮やかで、運命的で、とても身内の出来事に思えなかった。

「……」

 手元の、半分ほどになった自分のコーヒーに目を落とす。

 ただ、この世界はドラマではない。どこまでも現実だ。

 付き合ったら終わりではなく、結婚してさえ終わりではなく。時には片手一つで縁を切れてしまうのがこの現実という世界で。

 それって……それならば……。

「何でも聞いていいんですよ」

 私の顔を見たミヤサカさんが、カウンターに頬杖をつきながら微笑む。

 私の胸にあるのは、踏み込むどころか土足で荒らすような、そんな疑問だというのに。

 それでも背を押してくれるミヤサカさんの言葉に、私も腹をくくった。

「では……失礼を重々承知でお聞きしたいのですが」

「はい、なんでしょう」

「バイ……ということは、男性じゃないといけないわけじゃない……んですよね?いえ、二人に別れてほしいとかそういう意味ではなく……」

 つい、言葉が淀む。言葉を一つ吐くたびに、二人の尊厳を踏み潰しているような気持ちになる。

「はい。仰る通り、僕も純も、女性を好きになることもあります。過去には女性との交際経験もあります」

 けれどそんな私に反して、ミヤサカさんは何でもないことのように答えた。そのことが、私の気持ちを少しだけ慰めてくれる。

「……貴方と純は、『親友』と『恋人』のどちらも選べたのに、わざわざリスクを背負ってまで恋愛感情を選ぶ理由ってなんだったのでしょう」

 二人がバイだと聞いたとき、浮かんでしまった疑問。

 男性同士への偏見のリスク。

 血の繋がった実子を持てないリスク。

 現状、日本国籍で結婚ができないリスク。

 そのせいで、気持ち以外に枷を付けられないという、リスク。

「『親友』ではなく、あえて『恋人』というステータスを選ぶ理由は、何だったのでしょう」

 二人のことを反対するつもりはない。でも、知りたい。

 ミヤサカさんはぱちぱちと瞬きをして、それから腕を組んで首を傾げた。

「うーん……ずっと一緒に居たいから、では納得できないってことですよね」

「恋人は、こじれて別れたらそこで終わります。ただ一緒に居たいだけなら、むしろ『親友』の方が都合がいいこともあります」

 恋人から親友に戻ることが絶対に無いとは言わないが、戻れないことの方が多い。

 なんて考え方、可愛くないにもほどがあると自分でも思うけれど。

「まあ確かにそれはそうなんですよね。でも僕、恋人が良いんですよ。理由……理由かぁ……」

 ミヤサカさんは腕を組んだまま目を瞑って天を仰ぐ。

 良い人だな、と思う。今日だけで何度も思った。

 一方的に困らせているのに、酷いことを言っているのに、嫌そうな素振りを一つも見せずに悩んでくれる。

「……すみません。本当に、二人の事を反対しているとかじゃないんです」

「分かってますよ。心配なんですよね」

 顔をあげると、ミヤサカさんと目が合う。ミヤサカさんは、小さく眉を下げて笑った。

「そうですね……忌憚なく申し上げるなら、僕達は『親友』じゃ出来ないことをします」

 ミヤサカさんはそこで一度言葉を切ると、ゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぎ始める。

「僕にとって、恋人と恋人以外の違いはその一点で……そういう意味では僕が純に告白をしたのは、彼に触れたくなったからです。好みだから、気が合うから、一緒にいると楽しいから……その先を共有できたらもっと楽しそうだと。でもその時は、フラれたらフラれたで、それでも良かったんです。気持ち悪いから近づかないでほしいと言われたらそれまでだと思いましたし、『友達』がいいと言われたらそうするつもりでした。『恋人』というステータスも、彼の隣という場所も、最初から価値があったわけではありません」

 綺麗事を捨てた彼の言葉は、人によってはロマンがないと言われるのかもしれないけれど、捻くれた私には、むしろ分かりやすくて良かった。

「デートを重ねて、笑ったり、喧嘩したりして、一緒に暮らすようになって、その内に少しずつ彼への情が強くなって、少しずつ貪欲になって……それで僕達の間から『友達』の可能性が消えていって、ようやく『恋人』であることに価値が生まれたんです」

 氷で少し薄くなったコーヒーをすべて飲み切る。空のロンググラスが二つ、カウンターの上に並ぶ。

「ミヤサカさんは……この先、純にフラれたらどうしますか?」

「それはもう、みっともなく縋り付いて、別れないでほしいと懇願します。どうしてもダメだったら、ストーカーにだけはなりたくないので、彼との繋がりを全部断って、自分の荷物全部捨てて、住む場所も変えて……それできっと、向こう一ヶ月は泣いて暮らします」

 それは流れるような即答だった。まるで、今まで何度も想像してきたかのような。

 羨ましいと思った。

 そんなにも人を愛することができるミヤサカさんのことが、羨ましい。

 私もそんな風に、彼との別れを悲しめたら良かった。惜しめたら良かった。そう思ってようやく、ほんの少し胸が痛んだ。

「……じゃあ、ミヤサカさんはタバコやめないとですね」

「えっ!?」

 スモーカー仲間だと思ったのに!という感情がありありと顔に出ていて、思わず吹き出す。

 だって仕方ない。長生きして貰わないと、うちの弟が悲しんでしまう。

「最後にもう一つだけ聞きたいんですけど、純のどこがそんなに好きなんです?」

「うーん、そうですねぇ」

 うーん、なんて首を捻って見せながら、全然悩んでいるようじゃなくて、答えは彼の口からすぐに出た。

「沢山ありますが、やっぱり一番は予想がつかないところですね。もうほんと、何考えてるのか全然分からないんですよ」

 そう言って、何を思い出したのか可笑しそうに笑うミヤサカさんは、今日一番いい顔をしていた。

 ああ、まったく、本当に。

「ご馳走様でした」


***


 ミヤサカさんとの思わぬお茶会から一夜明けて、今日。

 スマホが震えて、珍しい名前が表示された。

 二年前にスマホを変えて以来白紙だったメッセージ欄に、絵文字の無い文章が一つポツンと浮かんでいる。

『翔吾が良い男だからって惚れるなよ』

 翔吾、とは多分、ミヤサカさんのことだ。あの人の下の名前、教えてもらってないけれど。

 それにしても、二年ぶりのラインの内容がそれなのか。

 と思いつつ、あのミヤサカさんが相手なのだし、気持ちが分からないでもない。

 少しの間考えて、私はスマホに文字を打ち込む。

『勝てない土俵に上がるほど暇じゃない』

 送信すると、すぐに既読がついた。

 私はスマホをベッドに放る。スマホは沈黙したままで鳴らない。

 画面の向こうの弟の顔を想像してみる。

 全然想像つかなくて、ちょっと笑えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

弟の彼氏 加香美ほのか @3monoqlo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ