第4話 ドラマは突然に訪れる

 そうだ、ミヤサカさんは会話をしたいと言っていたのだった。

 けれど、一体何を聞けばいいのだろう。

 手元のグラスに視線を落としながら、聞きたいことを考える。

 聞きたいこと。知りたいこと。

「じゃあ……ミヤサカさんってお歳は?」

 踏み込んでいい、と言われたところで、早々簡単にできるわけがない。結局口から出たのは、当たり障りのない質問だった。

「二十九です」

「あっ、歳上だったんですね」

「はい、実は」

 弟より、ではない。私より、だ。

 弟の恋人、ということで勝手に歳下だと思い込んでいたけれど、実際は私よりもさらに二つ上で。弟から数えれば四つ上だ。

 でも考えてみたら、これからオープンするカフェの店長なわけで。その立場から考えると、むしろ若い方だ。

「その歳でお店を持つなんて、すごいですね」

「いえ全然。資金繰りとか難しいことは他所に任せてますし、僕はメニューのことと一緒に仕事する店員のことだけ考えていればいいんで、楽な立場ですよ」

「いや、すごいですよ」

 と、日本人らしいやり取りをしたところでまた話が止まってしまって、私は何を話そうかと視線を巡らせる。

 住んでいる地域。休日の過ごし方。趣味。

 初対面同士がするような、波風の立たない話題ばかり思い浮かんで消える。ミヤサカさんも、そんな話をしたいわけじゃない。

 純とミヤサカさんの話。私が聞いておきたい話。

「ほんと、何でも聞いていいんですよ」

 ミヤサカさんはブラックのまま、ストローも差さずにロンググラスに口をつける。カラン、とコーヒーの中の氷が音を立てた。

「僕、もう結構ユキさんのこと好きなんで。デリカシーとか気にせず安心して踏み込んでください」

「あ、今のでミヤサカさんへの信頼度が少し、いえかなり落ちました」

「え!?……あっ!誤解!誤解です!」

「たらし、なんですね」

「違います!周りには彼氏持ちなの公言してたので、つい……!」

 あわあわと言い訳を重ねるミヤサカさんを尻目に、アイスコーヒーを飲む。その間ミヤサカさんは目を瞑りながら「あー」とか「だから」とか首をひねって、それからようやくいい言葉を見つけたのか目を開いて私の方を見た。

「嬉しかったんですよ、僕」

 そう言って彼は自分の言葉に一つ頷くと、「嬉しかったんです」と繰り返す。

「あの日、突撃お伺いした日、あんなに失礼な訪問で、急なカミングアウトで……純は大丈夫だって言ってましたが、僕は追い返されても仕方ないって思っていました。それなら良い方で、最悪、純とユキさんの縁切りもあるかもしれないと。でもあの日、ユキさんはちゃんと話を聞いてくれました。驚いていたのに、僕らのことに向き合ってくれました。それがすごく、嬉しかったんです」

 だから僕はユキさんのことを好ましく思ってます、と笑みを含んだ言葉が続く。

 あの日のことを素晴らしい、感動的な出来事のように語る彼に、あまりに純真な受け取られ方に、一種の目眩が起きた。

「それ、勘違いです。あれはそんな、大層なものじゃないんです」

 受け入れたなんて、そんな大層なものじゃない。そんな綺麗な心じゃない。

「ミヤサカさん、ご兄弟はいますか?」

「いいえ、一人っ子です」

「なんていうか、姉と弟ってこんなものなんです。家族だけど、遠いというか……。お互いにもう良い大人ですし、人様に迷惑かけていなければそれで良いんです。交際相手が女子アナだろうと、キャバ嬢だろうと、あなただろうと、私にはだいたい同じことで……ほとんど他人事なんです」

 育てた恩があるわけでもない。それなりに大事に思っているけれど、責任もない。

 兄弟姉妹とはつまるところ、家族という枠の中にいる対等な他人で。家族ではあるけれど友人より遠いような、気にはかけても干渉はしないような、そういう何かで。

 法を犯していない限り、人を悲しませていない限り、何をしようと相手の勝手だと飲み込むだけだ。

「だとしても、ユキさんには話を聞かない選択もあったと思います。でもそれをせず、話を聞いてくれたことが嬉しかったです」

 そう言って笑うミヤサカさんに、見て見ぬふりをしていたあの日の私が痛みを訴える。

 それは、彼の経験だろうか。あるいは、弟がこれから経験する未来だろうか。

 話を聞いただけで嬉しいと、それが純の見ている世界なのだろうか。

「二人のこれからについてを話していた時、まずはユキさんに伝えたいって、純が言ったんです。両親より、姉弟の方が付き合いは長くなるからって」

 その言葉に、少し驚く。

 正月と盆にしか顔を付き合わせなくて。それ以外じゃ連絡もほとんどとっていなくて。

 だというのに、純が私のことをそんな風に考えてるなんて思いもしなかった。

「大切に想われてて、少し嫉妬しました。まあそれ以上に純のことが好きになりましたが」

 ミヤサカさんが冗談っぽく笑う。

 私だってそうだ。純を想ってないわけじゃない。純の幸せを願ってないはずがない。

「……ミヤサカさんは、純とどこで知り合ったんですか?」

 二人の馴れ初め。

 歳も職種も違う二人がどうして出会ったのか。どうやって恋人になったのか。

 二丁目とかアプリとかだった場合、下手をすると生々しい話に繋がりそうで、踏み込むことに少し緊張する。

「知り合ったきっかけは、彼の骨折事故にたまたま居合わせたことですね」

 けれど返ってきた言葉は予想しないもので、というかそもそも知らない情報が舞い込んできた。

「……コッセツジコ?」

「えっ、聞いてません? 純、去年の春頃に歩道橋の階段から滑り落ちて腕の骨を折ってるんですけど……」

「えっと、いや、知らない……ですね」

 去年の春、と言うことは、少なくとも盆と正月の二回、顔を合わせている。が、そんな話、弟から一言も出なかった。

「ええ……こわ……」

 つい素で呟いてしまう。

 骨を折ったことが怖いのではない。それを報告してこないあいつが怖い。

 と言うか、何をやっているんだあのバカは。

「滑り落ちてくる純をたまたま階段途中にいた僕が止めまして。腕をやってるみたいだったので救急車呼んだら、念の為と僕もそのまま一緒に運ばれまして。あっ、僕は無傷でした」

「それは……愚弟が大変ご迷惑を……」

 思わず頭を抑えると、ミヤサカさんが慌てたように手を振った。

「いえいえ、今ではドラマチックな出会いだったと笑い話です。で、当時勤めてた喫茶店にお礼に来てくれて、そこで話してたらお互い気が合ったので、連絡先を交換しました」

 確かに、その後付き合っていることを考えれば随分と運命的な出会いだ。

「それから何度か遊んで、どんどん仲良くなって……ただ、純、見た目も性格もめっちゃタイプだったので、このままだと好きになっちゃうなぁってすぐに気付きまして。不毛な片思いは趣味じゃないので、三回目くらいにさくっとカミングアウトしました。『僕はバイだから、君のことは恋愛対象になるし、割とタイプ』って正直に包み隠さず。そしたら『あんたはまだ友達だけど、俺もバイだから勝手にしろ』って言われまして。それから二ヶ月、必死にアタックして交際をもぎ取りました」

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