第3話 再会は突然訪れる

「…………ミ、ヤサカさん?」

「こんにちは、奇遇ですね」

 まさかこんなところで会うとは思っていなくて、私はタバコを持ったまま固まってしまう。

 一方のミヤサカさんも、顔に笑みを貼り付けたまま気まずそうに視線を彷徨わせている。

 そりゃそうだ。まだご挨拶しただけの彼氏の姉と急にエンカウントしたら、さぞ気まずいことだろう。

 そんな彼の姿にだんだん平静を取り戻す。

 こちらが気を利かせるべきだな、と思って、手元のタバコを灰皿に潰そうと手を伸ばすと、「あの……」と声をかけられた。

「出来ればこれ、純にはナイショにしててください」

 手元のタバコを指さしてから、ミヤサカさんはバツが悪そうに口角を上げる。

 言われて思い出す。そういえば、弟はかなりの嫌煙家だった。

 『自分から不健康になる意味がわからない』『金と命の無駄だ』『それってイライラの後回しだろ』と、タバコを吸う私にもよく顔を顰めていた。

「あー……じゃあ私の事も内密に」

 そう言うと、ミヤサカさんは目を丸くして、それから「そうですよね」と言って笑った。

 共通の秘密は、人との距離を縮めるもので。さっきまで気まずそうだったミヤサカさんの空気が柔らかくなる。

「いやぁ、純から脅されていたのについ吸ってしまって……」

「脅されて」

「僕のタバコを純の五百円玉と交換されたと思ったら、ボックスごとタバコを水に沈められまして。『今からお前がタバコを買う度に俺のただでさえ儚い財布が寒くなると思え』……と」

 我が弟ながら、なんとも斜め上の脅し文句だ。というかそれは、脅しとして成立しているのだろうか。

 それが通じると思っている弟も、仕方なく出先でこっそりタバコを吸っているこの人も、人が良いというか、ズレているというか。

「一応僕も、禁煙したいとは思っているんですが……気付くと吸っちゃってるんですよねぇ」

「それすごく分かります」

 煙たがられたり不健康になったり財布が寒くなったり、あとは女のくせにと言われたり。面倒なことのほうが多いのに。

 はぁ、と二人分の白いため息が宙を舞う。

 お互いに一本が吸い終わり、舌に残る煙に名残惜しさを感じながら吸い殻を灰皿に捨てる。

「ところでユキさん、このあとご予定は?」

 今度こそ家に帰ろうと、そう思っていたところにミヤサカさんの声が割り入った。

「いえ特には」

「もし良ければ、コーヒーでも飲みませんか?」


***


 近くに車を停めてるので、と言う彼について道を歩く。

 姉と、弟の彼氏。

 なんでこんな事になっているのだろうか。それも、彼氏に振られて一時間もせずに。

 もしかしたら禁煙を破ったバチかもしれない。

 私の複雑な思いとは裏腹に、ミヤサカさんはにこにこと機嫌が良さげだ。

「今日ほんとうに暑いですねぇ」

「今年の最高気温更新するらしいですよ」

「はー、通りで」

 そんな当たり障りのない話をしながら、ミヤサカさんはゆっくり歩いてくれる。彼より二十センチ近く背の低い私が、靴ずれのせいでいつもよりも遅い私が、早足にならずに済む速度で。

 駐車場につくと、青い乗用車が一台止まっていて、ミヤサカさんは流れるように助手席のドアを開けてくれた。

 これは女性にモテるだろうな、と思う。

 エスコートされてきゅんとする弟、というのはあまり想像ができないけれど。

 運転席にミヤサカさんが座って、エンジンを入れる。五年くらい前に流行ったJ-POPとまだぬるい空調の風が車内を流れる。

「実は、ユキさんとはもう一度ちゃんとお話しないとって思ってたんです」

 車を出しながら、ミヤサカさんが言う。

「前回はほら、なんだか奇襲みたいになっちゃったんで」

 奇襲みたい、というか正しく奇襲だった。聞くまでもなく、純の発案なのだろうけれど。

「話……と言っても、あれ以上は踏み込んたお話しができませんよ」

 傷付けずに当たり障りなく、なんて器用な方ではない。差別したくない気持ちはあるけれど、偏見がないと言い切れるほど聖人でもない。

「良いですよ。踏み込んでください」

 道の先から目をそらさないまま、ミヤサカさんは温和に笑った。

「じゃないときっと、分からないでしょう?」

 カチカチ、とウィンカーの音が車内に響く。車が大通りから逸れて脇道へと入る。

「気づかってくれる気持ちは嬉しいです。でも、遠慮をさせたくてお伝えしたわけじゃないんです」


***


 十五分ほど走って、車が停まる。

「着きました。ここです」

 黒色の屋根にホワイトの壁。『ゼブラ』と書かれた看板が入り口ドアの上にかかっている。

 モダンでおしゃれな店構えの喫茶店だった。

 ただ、今日は定休日なのか『クローズ』の札がかかっていて、窓もブラインドが下げられている。

「やってないみたいですね」

「ええ。でも大丈夫ですよ。僕の店なんで」

 思わぬ言葉に驚いてミヤサカさんを振り返ると、彼はいたずらっぽい顔で「驚かせたくて」と笑った。

「車を停めてきますので、中で待っていてください」

 ドアの鍵を手渡され、車を降ろされる。

 不用心なのではと思いつつ、私じゃなくて純が信頼されているんだなとも思う。

 中に入ると、暗い店内にはモノトーンで統一されたテーブルや椅子が整然と並んでいた。

 壁際にはまだビニールのかかったままのインテリアやダンボールが積まれている。

 裏口の方から足音がして、パッと店内に明かりがついた。

「散らかっててすみません。プレオープンの準備中なもので」

 カウンター席に案内されて、シマウマ柄で縁取られたメニュー表を手渡される。

「どれでも好きなものをご馳走しますよ。あいにく、フードメニューは準備がないんですが」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 そこには見知った銘柄のコーヒーもあれば、知らないものもあって、飲み方もカフェオレからウィンナーから種類が多い。

 紅茶も扱っているようで少しそそられたが、口を付けなかった紅茶のグラスが脳裏に蘇り、やめた。

「……ブレンドコーヒーの、アイスを」

 やっぱり定番が一番かな、と、メニューの一番上に書かれたそれを注文する。

「ミルクとお砂糖は?」

「じゃあ、ミルクだけ」

 そう伝えると、ミヤサカさんが小さく笑みをこぼす。

「やっぱり、好みも似るんですね」

 すぐに弟の話だと分かったけれど、すぐに頷くことはできなかった。

「そう……かもですね」

 実家にはコーヒーの常備がない。姉と弟で喫茶店に行くこともほとんどない。純がどんなコーヒーの飲み方が好きかなんて、私は知らない。

「少しお待ち下さいね」

 ミヤサカさんはカウンターの奥に立つと、慣れた手付きでコーヒーを淹れる。

 お湯が沸く音。湯が細く豆に降り注ぐ音。ドリップした雫が落ちる音。

 静かな喫茶店に、コーヒーを淹れる音だけが響くコーヒー独特の苦い香りが鼻をくすぐる。

 グラスにコーヒーを注ぐ音。氷が割れる音。ミヤサカさんがこちらを振り返る足音。

「お待たせしました」

 シマウマ柄のコースターに、コーヒーの揺れるロンググラスが静かに置かれる。隣にはミルクカップが添えられた。

「ありがとうございます、いただきます」

 ミルクを入れて、マドラーを回す。褐色に白が溶けて、やわらかな亜麻色に変わる。

 ストローに口をつけ一口飲むと、マイルドな苦さが乾いた喉を潤した。後からコーヒーの香りが追いかける。

「……美味しい」

 それは社交辞令ではなく、本心からの言葉だった。

日頃コーヒーに拘りがあるわけではないけれど、それでもこれは美味しいと思う。

 香り、だろうか。

「お口にあって良かった」

 ミヤサカさんも自分のコーヒーをカウンターに置くと、隣に肘をかけて体を預けた。

「……さて、何からお話しましょうか。何が聞きたいですか?」

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