第2話 サンタクロースになりました。

 目が覚めた。

 ぱっちりと開いた視界には見慣れた天井があって、全開になったカーテンは余すことなく直射日光を部屋に、ひいては俺の顔面に招き入れていた。

 十二月二十一日は雲一つない良い天気だった。

「じゃなくて! え? えぇっ?」

 掛け布団を蹴り飛ばし、パジャマの上着を脱ぎ捨てて、俺は慌てて鳩尾を確認した。

 けど、そこにあるはずの風穴は綺麗さっぱりなくて、適度に引き締まったマイボディーがあるだけだった。

「……夢?」

 そう考えるのが妥当だ。

 いくら首を傾げても、どう家に帰ってきて、着替えて、カーテンを閉めずに寝てしまったのかを思い出せはしなかった。けど、でも確かに俺は生きている。間違いなく致命傷だったのに、痕跡すら見当たらない。

「讃太、起きなさい。朝ご飯できたわよ」

 困惑してたところで見事に不意打ち。ノックなしでドアが開き、お袋が入ってきた。

「ちょっ、ノックぐらいしろよ」

「うるさいわね。何年あんたの母親やってると思ってるのよ。今さらあんたの半裸見たくらいでまったく気にしないから安心なさい」

「俺が気にするんだよ」

 沢野真利。

 今年で三十八になるというのに、そうは見えないほど若々しいお袋である。クセのある長い髪をポニーテールという形で強引にまとめ、爛々と輝くつり目三白眼とキラリ光る八重歯が特徴的だ。上は真っ赤なシャツ一枚、下は黒いジャージで素足。年中無休でそのスタイルを突き通すのが若さと美容の秘訣なんだとか。

 その性格はもはや言うまでもないが、サバンナよりサバサバしている。湿度ゼロパーもいいところだ。

「年頃ぶっちゃって。だったら彼女の一人でも連れ込んでみなさいっての。母さん、そういうドッキリだったら大歓迎だから」

「それが母親の言う台詞かよ」

「母の寛容さを知りなさい」

「大雑把の間違いだ。いいから早く下行けよ。すぐ行くから」

「はいはい、可愛くない息子だこと、うっへっへ」

 本日一回目の親子会話終了。

 まったく、朝からテンション高いお袋を持つと疲れるな。

 しかし、そうだとしても今朝はいつも以上のハイテンションだった気がする。なにか良いことでもあったんだろうか?

「まぁ、どうでもいいけどな」

 頭をばりばり掻き、俺はため息混じりに着替えを始めた。

 が、ここで俺はもうちょっとばかり考えるべきだったんだろう。

 何故お袋のご機嫌が良いのかを。

 そして、そうなる理由は数限られていることを。

 気がついたところで事実は変えられないにせよ、あるいは心の準備くらいはできたんじゃないだろうかと思う。

「ーー?」

 異変に気がついたのは部屋を出て階段を下りているまさに今だった。

 俺の鼻腔をとてつもなく甘ったるい香りがくすぐったのだ。

 実家がケーキ屋をしているのだから当たり前なのだが、匂いは店からではなく居間からしている。売れ残りを食べるという習慣がありはするけど、どうもこれは今朝焼いた匂いだ。微かに芳ばしい。

 これは、相当機嫌が良くないと起こらない現象だ。

 なんとなく足取りが重くなった。

 一抹の不安が脳裏を過ぎったが、いやそんなことがあるはずないと無理に思考を中断し、俺は居間へと足を踏み込んだ。

「いやぁ、マリちゃんのご飯はいつ食べても絶品だね。また腕上がった?」

「もうケン君ったら、朝ご飯で大げさよ。ご飯と味噌汁、あとは簡単なおかずしかないんだから」

「いやいや、こういうシンプルなものほど味は誤魔化せないもんだよ。特にこの苺ショートケーキは世界を狙えるね」

「え? でもそれ材料自体は昔から変えてないわよ」

「何言ってるんだい。隠し味の量が格段に上がってるじゃないか……愛という名の隠し味がね」

「ケン君素敵! 抱いてっ!」

 そこ食卓は、我が家ではおかずと分類されるケーキを軽く凌ぐ甘さで満たされていた。

 こんな光景を初めて目の当たりにした奴は、おそらくツッコミどころが満載過ぎてどこから切り込めば良いか迷うだろう。

 けど安心してくれ。

 物心つく前から幾度となく見てきたが、いまだに俺でもどうツッコミを入れるかを迷っているのだ。

 とりあえず、最悪の予感が的中してしまったので、一番気になったことから聞くことにした。

「どうして、親父がいるんだよ」

 俺の親父。

 名前を沢野健司という。

 歳はお袋より二つ若い三十六歳で、ボサボサの短髪と無精ヒゲ目立つが、顔立ちがそこそこ良いのでワイルドな外見に見られがちだ。服装も薄汚れた繋(上下が繋がった作業服)を愛用していて、開いた胸元からは逞しい肉体が垣間見える。

「おう讃太か。やっと起きてきたなお寝坊さんめ。早くしないと飯が冷めるぞ」

「讃太、近いうちに弟か妹ができるかも知れないから、よろしく頼むわね」

「せめて会話を統一しろ、バカ夫婦」

 頭いてぇ。

 今日の学校、頭痛を理由に休もうかな?

「最初の質問に答えろよ。どうして親父がここにいるんだ」

「? ここが俺の家なんだからいて当然だろ」

「さも当たり前な顔して言うな。仕事はどうしたんだよ仕事は」

 親父は運送関係の仕事をしている。詳しくは知らないが、クリスマスのシーズンは特に忙しいらしく、家にいたためしがないのだ。

「ああ、それなんだがな、やめることになった」

「はぁっ?」

「か、勘違いするなよ、別に讃太の為じゃないんだからな」

「そんなわざとらしい台詞が聞きたいんじゃねぇ。理由を言え理由を」

「やっぱ駄目か」

「駄目すぎるだろ、色々と」

 決めた。今日は学校を休もう。

 ゲーセンで今日という日を潰して、なかったことにしよう。

「まぁまぁ、落ち着いて讃太。急に本当の説明をすると結構ショックがでかいからって、ケン君なりに気を遣っているのよ」

「いや、今でも十分ショック受けてんだけど。というか、お袋は親父が仕事やめるってことについてどう思ってるんだよ」

「私? 私はケン君が今日から一緒にお店を切り盛りしてくれるってことに幸せを感じてるわ。キャッ、言っちゃった」

 いっちょまえに恥じらいを持っているらしい。両手で顔を覆って身をくねらせる姿は、三十路を過ぎた実の母でなければそこそこ微笑ましいものだろう。

「お幸せに。俺は気分が悪いから学校休んで寝ることにするわ」

「待て待て、まぁこっち来て座れよ。まだちゃんと話してないだろ」

「いいよ、親父のリストラになった話しなんてわざわざ聞きたくもないし」

「お前に関係があると言ってもか?」

 わずかにトーンの下がった親父の声に、俺の足はぴたりと止まっていた。

「興味湧いたか」

「……少し」

 手招きされ、俺は仕方なく自分の席に座る。

 それを合図に、親父もお袋も座り直し、わざとっぽい親父の咳払いで場の空気が少し緊張したものに変わった。

「実はな讃太、お前はもう死んでいる」

「あべし?」

 俺はいつ親父に秘孔を突かれたのだろうか?

「っておい、いきなりふざけるなよ親父。マジな説明をするんじゃななかったのか」

「だからマジなんだって。お前は死んで生き返った。いや、生まれ変わったっていうのが正しいかもな。ハッピーバースデー」

「ますますわかんねぇよ」

「じゃあ訊くが讃太、お前昨日の夜のこと、これっぽっちも覚えてないのか?」

「昨日のこと?」

 図星だ。

 ちっとも覚えていない。

 脳内の記憶に残っているのは、思い出すのもバカバカしいあの夢くらいだ。

 気味の悪い悪魔と遭遇して、サンタのコスプレしたオッサンと殺し合いをして、終いには殺されたなんていう、奇妙かつ生々しい、ただの夢。

「……待てよ」

 殺された。

 つまりは、死んだ。

 死んで、生まれ変わって、今日を迎えた?

「でも、だってアレは夢のはずだ。そうじゃなきゃおかしいだろ」

「夢じゃないんだよなぁこれが」

 俺のなけなしの否定を、親父はあっさり肯定した。

 口元はニヤニヤしているというのに、目は笑っていなかった。

「お前は昨夜の帰り道に十二月の悪魔と出会い、クリスマスをメチャクチャにする代わりに力を得るなんていう物騒な契約を交わしたんだ」

「十二月の悪魔?」

「クリスマスを意識し、嫌悪や憎しみを抱く人々の思いの塊ーー負の力をもって生まれる悪魔だ。クリスマスに対して良くない感情を持つ者の前に現れては取り憑き、力を与え、クリスマスに悲劇と不幸をもたらす。心当たりあるだろ?」

 ありすぎる。

 思い出すのも憚れる、あの不審者だ。

 あいつが親父の言う十二月の悪魔という奴で、クリスマスに対して良くない感情を持っていた俺の前に現れたというわけだ。

 いや、それにしたって、今思い返せば恐ろしいできごとだ。

 悪魔に憑かれていたときの俺は、クリスマスやサンタクロースを潰すことしか考えていなかった。そのこと以外は全部どうでもよく思えて、サンタクロースをーー人を殺すことに対して全く抵抗がなかったのだ。

 良心の呵責なんて皆無だった。

「契約したとは言ったが、実際は途中でサンタクロースが割って入ったから契約はちゅうぶらりん。仮契約みたいな状態だったわけだ。だから悪魔は本来の力を発揮することができなかった。悪魔にしてみたらとんでもない誤算だったわけだ」

 そこで、親父は一度だけ深く息を吐いた。

「ただ、サンタクロース側にも誤算はあった。悪魔が本来の力を発揮できないのをチャンスと思い、事を焦っちまった。仮契約ってことは反対に言えばいつでも解約可能ってことで、奴はそれを利用した。とどめの際に間一髪でお前との契約を断ち、難を逃れた。で、生身の人間に戻ったお前はサンタ渾身の一撃をまともに喰らって致命傷。死ぬ羽目になった。これがサンタにとっての誤算だ」

「待てよ。何が何だかさっぱりだ。それに、どうして親父がそんなこと知ってるんだよ」

「そりゃあ、俺が昨日お前をボコボコにしたサンタクロースだからだ」

「は? そんなはずないだろ。親父だったらコスプレしてた……って?」

 言いながら気づく。

 昨夜巡り会い、死闘を交わしたサンタクロースの顔を、俺はどうしても思い出せなかったのだ。

 さらに言ってしまえば、顔を見たのかさえ覚えていなかった。

「そんな、どうして?」

「無理もないさ。言うなれば一種の魔法だ。人の認識を極限にまで反らす。隣に立っていても気づかない。気づいたとしても誰だかまではわからない。色々と鋭いお子様には気付かれちまうけどな」

「待て。いや待てよ。もし、もしもだぞ。親父の言うことが本当だったと仮定して、俺がこうして生きているのはどう説明してくれるんだよ。死んだんだぞ? まさかサンタは死人も蘇らせることができるなんて言わないだろうな」

「言わねぇよ。いくらサンタクロースでも神様じゃないんだ。死んだ人間の蘇生はできないさ」

「じゃあ」

「ただし、不幸中の幸いがあった。お前がサンタクロースである俺の息子だったことだ」

「は? それとこれとでどんな関係があるんだよ」

「察しの悪い奴だな。いいか、サンタクロースの力なんてもんは人様にひょいひょいやれるもんじゃねぇんだよ。でも、お前には俺の血が流れている。つまりこの世でもっとも俺に、サンタクロースに近い存在だ。ここまで言えばわかるだろ?」

 その親父の言葉に、俺の中でカチリとパズルのピースが埋まるような感覚が起こった。

 俺の親父が実はサンタクロースだったなんてふざけた正体で、今はその仕事を辞めて家にいる。死んだ俺は生まれ変わった。ーー何に?

「讃太、今日は学校休め」

 ニタリと笑う親父を見て、俺は目眩を感じた。

 親父め、何が不幸中の幸いだ。

「サンタクロースの仕事、教えてやるよ」

 不幸中の不幸じゃねぇか。


***


 かくして、俺は親父の言いつけ通りに学校をサボり、どういうわけか黒塗りベンツの後部座席に乗せられていた。

 前もって言っておくが、素直に従ったわけじゃない。

 親父から『サンタクロースの仕事、教えてやるよ』の発言を聞いて、俺はすぐさま逃走を計った。が、リビングから玄関に出るドアに手を伸ばしたところで背後からお袋のスライディングタックルが炸裂。寸でのところでかわすことに成功したが、同時に最短の退路をその身で塞がれてしまった。残るはキッチンを介しての玄関だが、抜け目なく親父が守っていた。

 南無三と心で叫び、俺は最終手段である窓からの脱出を試みた結果。失敗に終わった。

 敗因は見知らぬオッサンだ。

 いや、いきなり何言ってるんだコイツと思われるだろうが本当のことなんだからしょうがない。

 窓から飛び出した先に、見知らぬオッサンが両手を広げて俺を待ちかまえていたのだ。

 スキンヘッドで、

 黒いスーツとグラサンを身につけていて、

 筋骨隆々の巨漢だった。

 何よりも印象的だったのは鼻の頭が赤かったところだろうか。冬も本番なこの季節に人様の庭でずっと突っ立っていたのなら寒さで赤くなったんだろうけど、それにしたって赤すぎやしないかってほど赤かった。

 兎にも角にも、必死の抵抗も虚しく縄で全身ぐるぐる巻きにされた俺は、(笑いを堪えて)涙を流しまくるお袋に見送られて家をあとにしたわけだ。

 ちなみに、俺を見事捕獲してくれやがった正体不明のオッサンは現在ベンツの運転席で黙々と運転に専念している。その隣の助手席では、俺をこんな目に遭わせた悪の権化、もとい親父が豪快なイビキをかいて寝ていた。その神経の図太さがちょっぴり羨ましく思えるのは血筋のせいだろうか?

「着きやしたぜ、旦那」

 家を出発してかそうかかっていない、せいぜい二十分程度のところでベンツが止まった。

 初めて聞いた謎のオッサンの声は低くて、ドスが効いてて、その台詞と外見も相俟ってなんだかヤのつく職業の人なのかな? なんて思ってしまった。

 いやいや、人を外見や声で判断しちゃいけないよな。

 このオッサンだって、ちょっと強面系だけど、きっと心は菩薩級の慈愛に満ちたいい人に違いない。そうに決まっている。

「おめぇらっ! 旦那と若がご到着だ。お出迎えしねぇか」

「「「「お待ちしてやしたぁっ」」」」(近所迷惑レベルの大合唱)

 ベンツのドアが開くとそこはとても大きな屋敷の門前で、門から屋敷までの長い距離にびっしりと強面系の人たちが並んでいて、よく訓練された兵士みたく深々と頭を下げていた。

「んお? 着いたか。じゃあ行くぞ讃太」

「ちょっと待て親父ぃ! 説明しろ。ここはどこであんた一体何やってんだ? 俺に何継がせるつもりだ?」

「うむ、我が息子ながらいい反応だ。お前もそう思うだろ松崎」

「ええ、この日のためにと若ぇ衆に出迎えを訓練させた甲斐があるってもんで」

 松崎と呼ばれた赤鼻のオッサンは親父の振りに親指を立てて笑っていた。

「安心しろ讃太。見た目はアレだが、運送関係の堅気商売だ」

「堅気とか言ってる時点で信用できねぇよ」

「まぁまぁ、そんなこと言わないでくださいよ若」

「若とか言うな!」

「じゃあ若旦那で?」

「別に旦那の有無に不満があるわけじゃねぇ!」

 俺は後部座席でまな板の鯉みたくびちびち暴れる。まぁ文字通りそれは無駄なあがきで、運転席から降りた松崎のオッサンに軽々と抱えられた。

「うし、じゃあ行くか。目的の部屋まで結構距離があるから話しは移動しがてらしよう。あんまり暴れて松崎を困らせてやるなよ」

「その前にこの縄ほどいて人並みに扱え」

「そうだな。話すこともたくさんあるからどれから話せばいいか悩むな。松崎は何から話せばいいと思う?」

「どの道全部話すんでどれでもいいかと」

「おいおい、そう言うときにどれでも~~とか、どっちでも~~とか答える奴は女の子からモテないんだぞ」

「俺の話を聞けい!」

 松崎の肩で叫ぶ俺に、親父はやれやれと肩をすくませてため息を吐く。

「あのな、言うまでもないからスルーしてたんだ察しろよ。アレか? 世界は自分中心で回ってるとかそんなイタイ妄想に取り憑かれているのかお前は?」

「俺は親父やお袋よりは自己中でないと断言してやるよ。このイタイ親父」

「ほほぉう、その状態で俺に喧嘩売るとはいい度胸してるじゃねぇか。マリちゃんはともかく俺のことをバカにしたのは許せん。万死に値する」

「そこは嘘でも前者と後者を逆にしとけよ。あんたが我が家で一番の自己中だって認めてるようなもんだぞ」

「ふっ、わかってないな讃太。俺は自らを貶めることによって、マリちゃんを守ってるんだぜ」

「最低に変わりないけどな」

「オーケーボーイ。もう言葉は不要だ。ボコボコにしてやるから覚悟しろ。松崎、讃太を降ろしてやれ。もちろん縄はそのままな」

「下衆の極みだコレ!」

「お前に親父様の偉大さを教えてやる」

「すでに姑息さしか出てねぇよ」

 俺と親父がギャーギャーと騒いでいるうちに、松崎は俺を地面に降ろし、指示にはなかった縄まで解いてくれた。

「おいおい松崎、縄はそのままだって」

「旦那、久々に若と話せてテンション上がってるところ恐縮ですが、時間がありやせん。縄で縛って逃げられないようにしていた理由もちゃんと話せば、若も逃げようとはしないでしょう」

 松崎の諭すような発言に、親父はむっとなった。

「あのな松崎。讃太はまだ俺がサンタクロースだったっていう話を聞きはしたがほとんど信じちゃいない。力の定着について話しをしたところで大人しくなる保証はどこにもないんだぞ。これでもし手遅れになったら……お前、どう落とし前つける気だ?」

「そんなことにはなりやせん。旦那はもっと若のことを信じるべきです。少なくとも、今の旦那の真剣さを見た若は、逃げる気が失せたようですし」

 俺を見る松崎のオッサンはしたり顔。

 悔しいがその通りだった。

 時間がないとか手遅れになるだとかいう言葉ももちろん気になった。けど、いつもへらへらしている親父があからさまにピリピリ不機嫌になっている。生まれて初めて見たかも知れない親父のその顔の方が、俺は気になったのだ。

「らしくないとこ見せちまったな。ああもう、さっさと行くぞ。話しは歩きながらだ」

 頭をバリバリと掻き、舌打ちをして親父は足早に歩き出す。

 その後ろに松崎のオッサン笑顔のままぴったりついていく。

 俺の周りにはもう誰もいない。ちょっと離れたところに強面系のお兄さんたちが待機しているが、逃げようと思えば逃げきれる距離だ。

「ま、待てよ」

 でも俺はどうしても逃げる気にはなれず、親父たちを慌てて追いかけることにした。

「いいか、お前が俺の言うことを全部鵜呑みにする従順でもの凄いバカ素直な息子だという前提で話しをする」

 俺が追いつくなり親父は話しを始めた。 

 否、喧嘩を売ってきた。

「せっかくだから力の定着についてから話してやる。今朝も話した通り、お前は昨夜十二月の悪魔と仮契約を交わして俺と戦い、最終的にちょっと死んだ。それを救うために俺はサンタクロースの力をお前に移植し、お前は一命を取り留め……もとい取り戻した」

「そうらしいな」

「でもな、正確に言ってしまえばお前はまだサンタクロースにはなっていない。その力を得た器に過ぎないわけだ。これがどういう意味かわかるか?」

「さっぱりわからん」

「サンタクロースの力というのはクリスマスを人々が意識し、希望や期待を寄せる想いの力だ。十二月の悪魔とは真逆だな。簡単に言えば正の力というやつで、クリスマスが近づけば近づくほどその力は強くなる。現段階で瀕死の人間を生き返らせるほどの力だ。クリスマスになれば倍を凌ぐ。力を定着させないままでいると、お前はクリスマスを迎えることなく力に飲み込まれて消滅する。それが明日なのか明後日なのか。俺にもわからんが、善は急げって状況だ」

「……は?」

 クリスマスを思う気持ちで、俺が消滅する?

 俺は一体、どこまでクリスマスというイベントに呪われているのだろう?

「安心してくだせぇ若。そんなことにならないよう旦那とワシがついてますから」

「そう言うことだ。なに、やることは至ってシンプルだ」

「なら良いけど、具体的には何するんだよ」

「それは目的の部屋に着いてから話す。その方がお前にとってもわかりやすいだろうし、手っ取り早い。他に何か聞きたいことは?」

 聞かれた時点で、俺たちはようやく屋敷の玄関に到着したところだった。見た目いかにも和風な引き戸が自動ドアだったことに関しては聞かないでおこう。

「じゃあ、サンタクロースの仕事っていうのは具体的に何をするんだよ?」

「至極単純。十二月の悪魔に憑かれている人を救い、十二月の悪魔を倒し、クリスマスを守ることだ」

「はぁ……って、いやいや待てよ。うっかり納得しそうになったけど、サンタクロースの本懐って良い子にプレゼント配るとかじゃないのかよ」

「それはもう大昔の話しだぜ。今じゃ親やボランティアとかがその役目を果たしているからサンタクロースはお役ご免というやつだ。そもそも、十二月の悪魔の源である負の力を減少させるためにプレゼント配ってたって言われてるくらいだし、サンタクロースの立ち位置は今も昔もクリスマスの守護者というわけだ。おわかり?」

「なんとか」

 理解しただけで納得したとは言い難いけど。

 もともとのイメージがプレゼント配ってる平和ボケしてそうなジジイなんだ。それをどこぞの戦闘民族みたいな血生臭いオッサンにいきなり切り替えるのは無理があるだろう。

「あれ? 松崎のオッサンは?」

 それが一体いつからだったのか、俺と親父の間を歩いていたはずの松崎が消えていた。

「ああ、先に行って準備してるってよ」

「準備?」

「お前に力を定着させるにはどうしてもあいつの力が必要だからな。そのための準備だ。まぁ、もう着いたから見た方が早いな」

 そういう親父の前には通路の突き当たりで、不自然なほど存在感のある電話(かなり昔の、指で回して番号入力するアレ)が小棚に置かれているだけだった。

「讃太、腰抜かすなよ」

 なにやら得意げに言いながら、親父は指でダイヤルを回して数字を入力していく。

 だが悪いな親父。

 このパターンはすでに読めている。

 あの電話はおそらく隠し通路を開くための鍵に違いない。おおかた隠し通路を出現させて俺を驚かす魂胆だろうがそうはいかない。すでに心の準備は万全だからな。

「ここ、落とし穴形式だから」

「は?」

 親父が何を言っているのかを理解する前に、俺の立っていた床がパカンと開いてなくなった。

「はああああぁぁぁぁ!?」

 俺は重力に逆らうことなく、暗い縦穴を悲鳴とともに真っ逆さまに落ちた。

 これ血の通った人間のする所行じゃないよな?

 しかも意外に深いし!

 すでに三秒くらい落下してるし!

「死ぬ死ぬ死ぬ!」

 俺の脳内は恐怖と不安でアドレナリン的な何かを分泌しまくり、パニックがどこぞの国のストリートパレード並に盛り上がっていた。

 もはや自分でも何を言っているのかわからないが、それだけ錯乱しているのだと察してもらえれば幸いだ。

「あぶぅっ!」

 そして、一体どれほどの高さから紐なしバンジーをしたかわからないまま、俺の身体は地面に激突することによって終わりを迎えた。しかも顔面から。

「……いだい」

 でも、痛いだけだった。

 普通だったら死んでいてもおかしくないのに、当の俺自身はどこも折れていないし、鼻血すら出ていなかった。

「ようやく認識できたみたいですね、若」

 暗闇の中、どこからか松崎の声が聞こえた。

 どこにいるのかを反射的に見回して、さらに気がついた。

 明かり一つない真っ暗な場所だったのに、うっすらと周囲の光景が見えるようになってきたのだ。暗所に目が慣れたとかいうレベルじゃないのは俺でもわかった。

「しかし、そいつぁ力の定着にはおよびやせん。言うなれば力の影響程度でしょう。力の定着に成功すれば、こんな場所でも真っ昼間みたいに明るく見えるでしょうし、スナイパーライフルで脳天撃たれてもピンピンしていられるでしょう」

「それはまた、化け物みたいだな」

 違う。

 みたいじゃなく、化け物なんだ。

 人間の姿をしただけの、別の何か。

 自分はもっと図太い神経の人間だと思っていたけど、どうやら案外繊細だったらしい。その事実が今の自分とずれていて、妙に滑稽に感じた俺は自嘲していた。

「そいつは違います。力というのはとんでもなく純粋なもんなんですよ。映画や漫画とかでも言ってるでしょう。力というやつは悪いことに使えば悪魔や化け物になる。でも、良いことに使えばヒーローにもなれるんです。それに若に宿った力は正の力。若は間違いなくヒーローですよ」

「松崎」

 松崎のその言葉に、少なからず俺は救われた。

 見た目は厳ついけど、とてもいい人だと思った。

 これから松崎さんと呼ぼう。そう思って振り返りーー俺はすぐさま前言撤回することにした。

「さぁ若、始めましょう」

 にこやかに笑いかけてくる松崎。

 そんな彼は、何故かトナカイの着ぐるみを身に纏っていた。

「……何を始めるんだよ?」

「決まってるじゃないですか。若の力を定着させるんですよ」

 ああそうか、そうだったよな。

 てっきりホームパーティーか何かの予行演習でもするのかと思った。

「まあいいや。で、俺は一体何をすればいいんだ?」

「なぁに、簡単ですよ。これからワシが若をボコボコにします。若はひたすらそれに耐えてくれればいいんです」

「いきなり物騒だな」

 トナカイコスをしてギャグ要素満載にはなっているが、松崎の体格はかなりいい。腕の太さだけでも俺の倍は軽くある。それに引き替え、俺なんて不良という肩書きに反して喧嘩経験はほとんどない。いわばなんちゃってヘタレ不良と言ったところだ。

「安心してくだせぇ。できる限り手加減しますし、若は防御してもらっても構いません。それで、ワシの攻撃を受けても立っていられるようになれば力の定着は完了です」

「そんなんでいいのか?」

「ええ、ワシの攻撃を受けて立っていられれば、力の定着はできているという十分な証拠になりやす」

 親父の言ってたことだからあまり信用してなかったけど、どうやら本当にシンプルみたいだ。

「じゃあ、行きやすよ」

「お、おう」

 松崎のかけ声に反応して、俺は身構える。

 対する松崎はおかしな格好をしていた。

 いや、トナカイの着ぐるみを着ていることじゃなくて、姿勢、フォームが変わっていたのだ。

 両手を床につけ、頭は低く、膝は片足を深く曲げてもう片方はピンと伸ばしている。さながら陸上選手のクラウチングスタートのようだった。

 何考えてるんだ?

 そんな俺の疑問や戸惑いはしかし、瞬きをした直後ぶっ飛んでいた。

 正確には、俺の身体がぶっ飛んでいた。

「ーー?」

 何が起きたかがわからなかった。

 瞬きなんて一秒にも満たない時間の中、理解できないまま、空中で華麗な一回転を決めた俺は背中から床にたたきつけられていた。

「くそ、いてぇ」

 痛いだけで済んでいるのはありがたいが、生憎俺は痛いのが好きな人間じゃない。何をされたのかはわからないが松崎の仕業には違いない。追撃に備えるため、俺は身体にむち打ってすぐに立ち上がり、かろうじて見えた松崎の姿を目で追った。

 けど、そこにさっきまでのトナカイコスをした松崎の姿はなかった。

 五本あった指は鋼鉄の蹄に変わり。

 ちゃちな飾りだった角は雄々しき王冠のように様変わりし。

 赤かった鼻は紅蓮の炎を宿し燃えていた。

「“赤鼻のトナカイ”ーーそれが松崎の正体だ」

 いつ、どこから来たのか、俺の後ろに親父が立っていた。

「正の力を根源とする精霊でな、その攻撃には漏れなく正の力が付加されている。十二月の悪魔に使えば霧散消滅させることが可能であり、お前に使えば宿った力を活性化させることもできる。あとはその活性化された力を防御に費やせば力は定着し、松崎の一撃にも耐えられるってことだ」

「できないと?」

「松崎にどつき回され続ける」

 まぁ安心しろ、と親父は笑いながら俺の肩を叩く。

「死ぬ一歩手前あたりになったらちゃんと止めてやるから」

 言うやいなや、トナカイと化した松崎が突進してくる。それを見た俺は咄嗟に逃げようとしたが、

「手加減しているとはいえ、松崎は突進のモーションに入ってから一秒で時速百三十キロに達する。甲子園に出場するピッチャーの投球速度と同じだな。見てからじゃ遅いぞ」

 親父が言い終わる前に俺は再び松崎に跳ね飛ばされていた。

 初撃よりも威力が上がっている。身体がミシミシという音を立てて軋み、痛みが電流みたいに全身を駆け巡った。

「あとな讃太、避けたら力の活性化ができないだろ。避けるな。防御だ防御」

「誰だって避けるわボケェッ!」

 もろに食らった脇腹を押さえながら、俺は何とか立ち上がる。

 俺が落とされた場所は学校の体育館と同じくらいの広さで、俺と松崎は両端で対峙していた。松崎は俺が起き上がるのを見計らってすでに突進のモーションに入り、一息吐く間もくれずに凄まじい勢いでつっこんできた。

 避けるなとは言われたが、はいわかりましたと素直に従わないのが人の身体というものだ。熱々のヤカンを触ったときと同じように、俺の身体は反射的に逃げる慣行をとる。

「……マジかよ」

 が、そんなことは松崎も承知の上か、はたまた動くものを瞬時に追う動物の本能か、回避する俺をしっかりと捉えて跳ね飛ばした。


***


「うぐっ」

 ぐしゃりと地面に叩きつけられ、俺は小さく呻く。

 どれだけの時が過ぎたのか? 

 どれだけの数を受けたのか? 

 そんなことは億劫すぎていちいち覚えてはいられないが、いよいよ自力で立ち上がることができずに仰向けになったところで、松崎の猛襲はぴたりと止まっていた。最初は激しく燃え上がっていた鼻の炎も、今では蝋燭の火のように小さくなっている。

「……若、大丈夫ですか?」

「ははっ、散々どつき回しておいてよく言うぜ」

 すっかり忘れていたが、この罰ゲームと拷問を足して二乗したような状況は俺が松崎の一撃に耐えきるか、俺が死ぬ一歩手前にならないと終わらないと言っていた。

 つまり、今攻撃が止んでいるのは俺が死ぬ一歩手前と言うことらしい。

 どうりで視界がぼやけて、立つことは愚か指一本動かすこともできないわけだ。

「……」

 親父は黙ったままで、ボロぞうきんのようになった俺を見据えていた。けどそれも数秒のことで、盛大なため息を吐くと、俺のところへ歩み寄ってくる。

「まったく、手のかかるお子様だなお前は」

「うるせぇな。大体あんな高速道路走ってる車みたいなのどうやったら耐えきれるんだよ」

「気合いと根性だ」

「精神論かよ。無茶ありすぎだろ」

「事実だ。正だろうが負だろうが共通しているのは想いの力だ。できないとかもうダメだなんて弱音を吐けば弱くなるし、諦めないとか絶対に勝つなんて前向きな想いはそのまま力になる。さっきから松崎にボコられているくせに力が定着しないのはそのせいだ」

「そういう大事なことは、始める前に言えよ」

「まぁ、つまりアレだ。お前が心の底からサンタクロースになりたいと思わないと力は定着しないっつーわけだ」

「いや、マジでそういうのは先に言えよ。俺、ボコられ損じゃねぇか!」

「そうか?」

「とぼけるなよ親父。俺がクリスマスやサンタクロースが嫌いだってことぐらい知ってるだろ」

 それこそ、十二月の悪魔と契約交わすくらいに。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、親父は俺の胸ぐらを掴むと力任せに引っ張り上げ、立たせた。

「いいか讃太、お前は気付いてないかも知れないが、心のどこかでサンタクロースになりたいと思っている」

「俺の話し聞いてた?」

「たぶん神様なんてふざけた奴がどこからか見てるんだ。だからこの世界っていうのはそういう風にできてる」

「無視かよ!」

「俺も昔はサンタクロースやクリスマスが大嫌いだったって言ってんだよ」

「……え?」

 意外すぎるその一言に、俺は呆気にとられていた。

 そんな俺を無視して、親父の手が離れる。

「運命ってやつは律儀なもんだ。いくつものきっかけと偶然の上に成り立つ。そんで讃太、お前は今偶然にもサンタクロースになる運命を辿っている。ってことは、お前にはサンタクロースになるきっかけがあったはずだ。それを思い出せ。今までにはなかったこと。今年になって経験したこと。記憶の中ほじくり返して見つけ出せ。そうすりゃおのずと正解に辿り着けるさ」

 いつもみたいにへらりと笑って親父が離れる。

「おい松崎。もう一発だ」

「何を言ってるんですか旦那! 若はもう立っているのもやっとの状態。とてもワシの一撃に耐えられるとは思えません」

「松崎、お前は讃太のことが信じられねぇのか?」

「い、いえ、ですが」

「だったら松崎、今度のは全力全開、本気の本気でやれ。大体手加減とかいう中途半端な気持ちでやるからダメなんだよ」

「……わかりやした。若、覚悟してください」

 松崎は頭を低くし、四肢に力を込める。鼻の炎が今まで一番大きく燃え上がり、暗い空間を眩しく照らした。

「ったく、俺の意志を尊重するとかねぇのかよ」

 呆れつつ、俺は大きく息を吐いて最後の力を振り絞る。

 泣いても笑っても次が最後。

 失敗したら死ぬかも知れない。

 どの道消滅の運命が待っている。

 だったら、できるだけのことを精一杯やるだけだ。

 俺に宿る力は気持ち次第。

 気合いと根性だ。

「おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 松崎が、トナカイには似つかわしくない雄叫びをあげて突っ込んでくる。

 俺の鼓膜を叩いた破裂音はおそらく松崎が音の壁を越えたものだろう。

 間違いなく本気だった。

「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」

 それに負けじと俺も吼える。

 足腰に全力を込め、突き出す拳に全霊を込めた。

 攻撃こそ最大の防御。

 だからというわけではないけど、自然とそうするべきだと身体が動いたのだ。

 激突した。

 奇跡的に俺の拳は松崎の額を捕らえていた。

 けれど、当たった拳はすでにボキボキと砕け。足場は衝撃で木っ端微塵になり、そこからずるずると押されていくのがわかった。

「くそっ」

 何が足りないのかはわかっている。

 今までになかったこと。

 今年になって起こったこと。

 この俺がサンタクロースになるなんて、ふざけた運命に導いたきっかけ。

 それさえわかれば大丈夫だと親父は言っていた。

「どうして……」

 どうして俺はサンタクロースになろうとしている?

 どうしてサンタクロースになりたいと思っている?

 力を定着させないとクリスマスを想う人々の気持ちとやらで消滅するからか?

 クリスマス嫌いな俺をそそのかしておいて、さっさと逃げ出していったあの悪魔を倒したいからか?

 違う。

 違わないけど、そうじゃない気がした。

 そんな理由じゃ、この身に宿った力は使えない。応えてはくれない。

 他に、もっと何かーー


『“良い子”になりたいんですよ』


 不意に、そんな言葉が浮かんできた。

 理由なんてわからない。

 ただ、それが正解だと直感した。

「あいつの、せいかよ」

 ああそうだ。

 自分でも不思議なほどに、あっさりと納得していた。

 だってあいつのあの言葉を、なぜだか忘れられないでいたのだ。

 ずっとずっと胸の奥底に引っかかっていたんだ。

 眼鏡で。

 ムッツリで。

 何考えてるかわからない奴で。

 でも、本気でサンタクロースに会いたいと言い切ったーー西條のことを。

「あいつが、きっかけだ」

 ほとんど無意識だったんだと思う。

 サンタクロースに会いたいと聞いた時、いもしない奴に会えるわけないと思いながら、心のどこかで合わせてやりたいと俺は願ってしまったのだ。

 そんなちっぽけでささやかな気持ちを、神様なんてふざけた奴がちゃっかり聞いていて、最悪の形で実現してしまった。それだけだ。

「我ながら、泣けるほどふざけた理由だ」

 目を閉じて、俺は盛大にため息を吐く。

 でも、内心ではそれでいいと思った。

 だってサンタクロースなんてふざけた存在になろうとしてるんだぜ? 

 だったら理由も、きっかけも、偶然も、運命もーー全部ふざけたものでいいじゃないか。

「ああ、十分だ」

 笑いながら、俺は目を開く。

 全身が燃えるように熱かった。

 いや、燃えていた。

 松崎の鼻と同様の、深紅の炎が俺の全身を包んでいたのだ。

 熱くはない。

 干したばかりの布団に潜り込んだ時のように温かくて、安らいで、体中の痛みがみるみる消えて、底なしの力が湧いてくるような感覚があった。

「流石です、若」

 よく見えはしなかったけど、松崎からふっと笑う気配があった。

 直後、まるで大砲から放たれた砲弾のように、松崎は反対側へと飛んでいく。轟音とともに壁に激突し、コンクリートでできた壁にめり込むようにしてその巨体は止まった。

 やっておいてなんだが、大丈夫なんだろうか?

「はっ、はぁっ……ぜぇ」

 ともあれ、俺も人(?)のことを心配していられるような状況ではなかった。

 身体を覆っていた熱が急速に引いていき、疲れや痛みが早くも蘇ってきていた。立っているのもしんどくなって、俺はそのまま倒れるように横になった。

「お疲れ。んで、ミッションコンプリートおめでとさん」

 ぱちぱちと気の抜けるような拍手をして、親父が近寄ってきた。

「力の定着は完了だ。自分の姿見てみ」

「あ? あぁっ!?」

 言われて見ると、俺の学ランはいつの間にかサンタクロースのコスプレに変わっていたのだ。厚手の生地なのに重さとかが全然なくて、フィット感がやばい。見た目がこれでなければこの冬ずっと着ていたいと思える一品だ。

「本当ならこれからサンタクロースの秘密道具とか具体的な仕事の流れとかを説明したいところだが。まぁ、それはお前が目覚めてからにしておいてやるよ」

「ああ、そうしてくれると助かるわ」

 親父にそう言われて気が抜けたのか、すっかり鉛みたいになった瞼を閉じると、俺の意識はぶつりと暗転した。

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