第2回 28時間戦えますか

 自宅警備員の業務内容はあまり世の中に知られていない。モデルとして、俺のある一日の様子を紹介しよう。


        *


 14時に目覚める。布団の中で2時間スマホをいじる。主にTwitter。

 腹が減るので16時に階下に下りる。家には誰もいない。ポットの湯量を確認して再沸騰させ、買い置きのカップ麺で優雅な朝食だ。

 パートから戻ってきた母さんが俺を見て「あら、おはよう」という。相変わらず綺麗な人だ。「おはよー」と返す。

「晩ご飯、みんなと一緒に食べる?」

「今カップ麺食べたから、いらない」

 母さんが寂しそうな表情になるので、心の目を反らす。

 17時半、「ただいまー」とたくちゃんが学校から戻る。リビングに顔を覗かせて「あ、めずらしい。きみひこだ」

「たくちゃん、おかえりー。久しぶりにたくちゃん分を補給させておくれ」

 もぎゅっと抱きしめる。うーん、あったかい。数ヶ月前まで小六だった中一生、まだまだ子供だ。

「スマブラやらん?」と、たくちゃん。平日に顔を合わせることはあまりないので、こういう時にちょっとでも俺と遊びたいのだろう。いくつになってもい奴よのう。

「もっちろーん。12勝33敗の記録を縮めてやんよ」

 リビングのテレビで戦いのゴングが鳴る。

 18時半、玄関で父さんが役所から帰ってきた気配がする。

「ごめん、急ぎの用事を思い出した」

 対戦を中断し(記録は13勝37敗に更新)、switchのコントローラーをテーブルに置いて席を立つ。去り際にたくちゃんの頭をなでなで。相変わらずいい頭の形をしている。そのまま足音を忍ばせ、玄関を避け遠回りで階段から2階に上がる。父さんには会わずに済んだ、スニーキングミッション成功だ。

 ここからが自宅警備員の業務時間となる。

 PCを立ち上げて、まずはTwitterだ。さっきスマホで確認してからもう3時間近く経過しており、フォロー先が千人を超えた俺のタイムラインには、大量のつぶやきが氾濫している。全部目を通すのは一苦労だが、自宅警備員として勤勉でありたい。今日もワクチンの秘密について新たな情報が得られたし、陰謀論ガーとウルサい学者のアカウントをきちんと論破してやった。正義を執行するのは気持ちがいい。

 21時を回ると、オンラインゲーム「アルティメット・トレジャー」に人が集まり始める。俺の主宰するパーティは総勢7名。互いにちゃんと自己紹介したわけではないけれど、会話の端々でなんとなくのイメージは掴めている。中坊、年金もらい始めたおっさん、年齢不詳の下ネタ主婦、会社の愚癡の多いリーマン、大学のせんせ、一切素性を明かさず性格もよく分からない謎の人物。で、俺は、大学2年生ということになっている。フェイクだ。他の人たちの素性もフェイクだろう。ネットとはそういう場所だ。お互いに深く追求はしない。なりたい自分でいられる、優しい世界。

 中ボスとの激烈な戦闘の最中、部屋のドアがノックされる。

「はい! なに!?」

 ゲームの音量との関係で、自然と声が大きめになる。

「公彦、ちょっといいかな」

 父さんだ。

「今手が離せない!」

 嘘じゃない。チーム戦の途中で抜けるなんて、できる筈がない。戦闘中で良かった、と思う。父さんの顔を見ないで済む理由をでっち上げなくていいから。

「今日こんなの見つけたから、渡しておくよ、興味があれば」

 目の端で引き戸が10センチほど開き、何かのパンフレットが差し込まれて床に落ちる。再び戸がそっと閉まる。

 パーティーメンバーには学生や仕事持ちが多いので、0時前には解散するのが常だ。その後はまたTwitterに戻り、情報の渦からきらりと光る世界の真実に「いいね」を付けまくる。そして一人心穏やかにアニメやドラマを観る。今やテレビなぞオールドメディアだ。ネットがあれば動画はいくらでも観ることができる。

 観ていれば時間は流れる。何も考えずにいられる時間が。

 閉め切ったカーテンの隙間から光が差し込んできて、朝6時を回ったことに気付く。そういや目がしょぼしょぼするな。今日はカップ麺1個しか食べてないから腹が減る。階下の気配を窺うと、既に母さんが起きていて父さんとたくちゃんの弁当を作り始めているようだ。

 ということは、父さんも起きているかもしれない。

 俺は食事を諦め、箱買いしてあるペットボトルの水を二口飲んで、そのまま寝ることにする。俺は寝付きがいい。365日のうち8割方は。のび太みたいに「1、2、3、ぐぅ」で瞬時に眠れる。

 布団に入る。目の前──引き戸のすぐこちら側の床に落ちているパンフレットに気付く。さっき父さんが置いて(落として?)いったものだ。手に取る。

五百島いおしまメディアート学院」

 過疎県澄舞から一番近い都会・五百島市の専門学校の学校案内だ。イラスト・音楽・映像などのプロを養成する学校。未来を切り開く若者のための学校。

 胸が、ぎゅっ、と苦しくなる。

 父さんは俺に、何もいわない。何もいわないけれど、俺はひしひしと圧を感じるんだ。社会に出ろ、という圧を。だから会いたくないんだ。

 分かってる。

 俺だって、今のままじゃいけないって、分かってる。

「お兄ちゃん。私たちは、いつまでも父さんのスネを囓り続けるわけには、いかないんだよ」

 アパートを契約して家を出る前夜の、ゆきのの声が蘇る。優しい声音を突き破って棘が刺さる。

「おーい、椋尾がこんなの描いてんぞ、すっげ!」

 松映高校1年7組の教室、山上やまがみあつしがスケッチブックを高々と掲げ教室内がざわめいた、あの光景が蘇る。皆から降り注ぐ侮蔑の視線。

「どれだけ人を心配させたら気が済むの! きーくんの、馬鹿!」

 高校を辞めた数日後、最後に会った時の、湯ノ川姫子の涙が蘇る。幼稚園からの付き合いだけど、姫子の涙を観たのは多分、あれが初めてだ。

 これまでに経験した嫌な思い出が、繰り返し脳裏を駆け回る。

 ダメだ、鬱ループに入ってしまった。365日のうち2割の側。こうなると何時間経っても眠れない。

 時計を見る。7時42分。

 時計を見る。8時ちょうど。

 時計を見る。9時7分。

 いつまでも頭の芯が冴えて、思い出さなくていいことを次々と思い出してしまう。俺を攻撃した奴らへの陰惨な復讐を想像する。そんな想像をする自分に気付き、更に落ち込む。

 どんなに嫌な経験も、その時だけ、一回切りのものだ。それなのに、たった一度の経験が、俺の中で何度も何度も再生する。たった一度の傷が、俺の中で何度も何度も血を流す。

 ──俺、なんで生きてんだろ──

 ふっと気がつく。いつの間にか眠っていた。時計を見る。13時55分。もう一度目を閉じる。今度はあっという間に眠りに落ちる。

 次に目を覚ますと、時計は18時を指している。昨日より4時間遅い起床。ここから新しい一日が始まる。そう、Twitter巡視から始まる朝が。


        *


 以上のとおり、自宅警備員の一日は28時間で構成される。世の中が24時間で動いているのに比べて、俺は更に4時間も充実した一日を過ごしているわけだ。地球の自転周期とずれているのは困ったものだが、4時間ずつ積み上げて行けば6日で元に戻る。ほぼ家の中だけで過ごしているから無問題モウマンタイ

 昔の栄養ドリンク剤のCMで「24時間戦えますか」という社畜ソングがあった。動画サイトでネタにされていたから何度も聴いた。

 ふはははは、24時間なぞ生ぬるいわ。自宅警備員は28時間戦っているのだ。

 ──一体、誰と?


 続く

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弟を溺愛するあまりラノベ作家デビューした兄ちゃんの話 蓮乗十互 @Renjo_Jugo

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