胃袋気分
ぎざ
胃袋気分
私の両手には、アルミホイルで包まれた平べったいモノが乗っていた。
「さて、これはナンでしょう?」
「わからないよ」
父はそれを見て、少しも考えない風に言った。
せっかくヒントを出したのにね。
「ナンでしょう?」
母は私に笑いかけた。そう。これは、ナンなのだ。
仕事先の近くにあるインドカレー屋さんから、テイクアウトしてきた。
翌日が休みだったので、ちょっとしたご褒美だった。
家にあるレトルトカレーも、ナンと一緒に食べると、ちょっと変わった感じがして好きだった。
仕事先から私が一人暮らしをしている家との間にちょうど実家があるので、週一くらいの間隔で私は実家にちょくちょく帰っているのだった。とくに理由も無く。
ただ、今回で言えば、できたてほやほやのナンを見せびらかしたかったのだ。
「なんだ。昼に持ってきてくれればよかったのに」
「どういうこと?」
「昼はカレーだったんだよ。ほろほろカレー、知らない?」
「なにそれ」
「すき家の新メニューだよ。CM、見てないの?」
「見てないなぁ」
私は家では録画したドラマと特撮、それかYouTubeの動画とかしか見ない。録画してあるのでCMはたいてい飛ばしてしまう。
「すっげぇ美味かったぞ」
「ふーん」
私にはこのナンがあるからいいもん。
父はいつも、私が話している内容よりも、自分の内容を優先して話す。私がせっかく振ったナンの話題がまたどっかに行ってしまった。
しかし、その「ほろほろカレー」のCMを後日、たまたま仕事からの帰り道、笑点を見るためにつけていた車内のテレビで見かけてしまった。
石原さとみさんがもぐもぐとカレーを食べていた。スプーンをすっと入れただけで『ほろほろ』といとも簡単に崩れていくチキン。
「ほろほろカレー」って、何が「ほろほろ」やねんと考えていたが、正式名称は「ほろほろチキンカレー」だという。
食べたい。
完全に私の胃袋は「ほろほろチキンカレー」を欲していた。
こういうときに、
「胃袋」が欲しているパターンと、「舌」が欲しているパターンと、「口」が欲しているパターンがあると思うけれど、皆さんはどちらだろうか。私の場合は胃袋である。
口や舌がいくら求めていようと、それを受け止める胃袋にその準備ができていないと、胃腸の調子があまり良くない私は身体を壊してしまうからだ。
食べたいものを食べるために、前日からその準備をしておく必要がある。
先日発売されたばかりの、「あつまれ どうぶつの森」の一番くじが、どこのセブンイレブンも売り切れで、悲しみに暮れていた私は、今度こそ自分の求めるモノを手にしたい、そういうある種の欲求に駆られていた。
一番くじは売り切れがあるが、新メニューのカレーは逃げまい。
そうして次の週。休みの日に「ほろほろチキンカレー」を食べるための胃袋を調整してきたわけだ。
もう、完全に、「ほろほろチキンカレー」を食べる胃袋になっている。
私はすき家を訪れた。
店の前の
店内に入り、アルコールなのかよくわからない青い容器に入った液体を両手に付け、すみずみに行き渡らせながら、カウンターに座る。
タブレット型の注文端末を慣れた手つきで操作した。
すると、なんと、「ほろほろチキンカレー」が『品切れ中』とあって、注文できなかった。
な、え。
そ、んなことがあるのか? 新メニューですよ!
幟はひらひらと宣伝してたじゃないか!
私は現実が受け止められなかった。
店員さんに「ほろほろチキンカレー、売り切れなんですか?」と訊ねて、忙しい店員さんを困らせたくはない。
というか完全に「ほろほろチキンカレー」の胃袋の私はどうすればいい!?
「あ、品切れなんですか? じゃあ結構です」と店を出る元気は無い。もうおなかぺこぺこ。何かを胃に入れないと倒れてしまう。それはさすがに嘘だけど。
私はせっかくだから、普段あまり食べないものにしてみようと、白髪ネギ牛丼のたまご味噌汁セットを注文した。
(いつもは3種のチーズ牛丼か、ネギたま牛丼にする)
つゆだくで(これはマスト)。
最初に出されたお茶を数口飲み、口内を潤し、牛丼を食べる準備をする。口の中を冷たいお茶でリセットする感じ。今から食べるぞ、の儀式。
すき家は商品が来るのがとても早い。数分と待たずに店員さんが持ってきてくれた。
牛丼の具の上に、手のひらひとつかみ分くらいの量の白髪ネギがふんわりと乗っていて、ごま油の香りが食欲をそそる。
私は箸とスプーンの両刀遣いで食べる。箸で牛肉を、具を食べて、つゆを吸ったやわらかめの米をスプーンですくって食べる。
そして、牛丼を半分くらい食べたら、セットの卵を小皿に割って、黄身と白身を箸で良い感じにかき混ぜる。白身を箸で切るようにして混ぜるのがポイントだ。(白身がダマになるのを防ぐ。白身が苦手な人は抜きでもいい)
それをどんぶり全体に掛けて、一気に食べる。
牛丼は、最初の半分は普通に食べて普通の味を楽しむ。最後のもう半分はかき混ぜた卵を掛けてむしゃむしゃと食べるのが私の食べ方だ。
卵を掛けてしまうともう、卵の味になってしまう。卵は好きだけれど、牛丼の味も楽しみたい。そうして行き着いた食べ方だった。
基本的にどの牛丼を食べるときも私はこうやって食べる。すき家はスプーンも置いてあるし、この食べ方がとても食べやすい。
あーあ。並盛。たまごと味噌汁セット。
しめて630円なり。
「ほろほろチキンカレー」を食べるはずの胃袋は、「白髪ネギ牛丼」を食べてお腹いっぱい、満腹で満ち足りてしまった。
スプーンでチキンを「ほろほろ」したかったのになぁ。
でも、白髪ネギ牛丼も美味しかったなぁ。
ネギは喉に良いし、明日からの仕事も頑張れる気がした。
…………ふむ。
やはり、外で食べるものは品切れというものがある。家にある材料で作れば、そんなことはないのだ。
私は、家であたためている、いや、家の冷凍庫で冷やしている「味の素 生姜好きのためのギョーザ」のことを思い浮かべた。
冷凍ギョウザだ。フライパンで6分焼くだけでできる。ビールもあればなお良し。ふふふ。こればっかりは全て私の家にあるモノで完成されるから、品切れはない。
あぁ、今度こそ、私は私の求めるものを食べるのだ。
まったく、食べたばかりだというのに、もう次に食べるモノのことを考えるのかと、ツッコミが入るかもしれない。
しかし、私の胃袋作りは、たった今、既にここから始まっているのだ。
完
胃袋気分 ぎざ @gizazig
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