6
遊園地からの帰り道。
飲酒運転をしていた自動車に正面から衝突され、彼は亡くなった。
年を越すことなく、私の答えを聞かぬまま。
知らせを聞いた時、以前学校で行われた交通安全教室で「12月は交通事故が一番多いから気を付けるように」と外部講師が言っていたのを、冷静に思い出した自分がいた。
手つかずのままキッチンに放置された年越しそば。
初詣へ向かう近所の家族たち。
新年特番で盛り上がるテレビ。
親戚や友人たちから届く年賀状の数々。
あちこちで踊る「あけましておめでとう」の文字。
私は岡野くんの彼女のまま葬式に参列した。同級生たちは私にどう話しかけたらいいのか分からない様子だった。
全身を這う視線の中、
葬儀場の端で父親らしき男性に支えられながら、激しく嗚咽している。
子どものように泣く姿を見て、やっと涙が流れた。連絡を受けた時には溢れなかったものが唐突に弾けた。
♢
「俺さ、実はあの時決めてたんだ」
昔と変わらない、何もかも吸い込んでしまいそうな黒い瞳。
「もしあいつが振られたら、今度こそ俺も告白しようって」
その瞳には、電飾の光とそれに照らされた私の顔が映っていた。
「俺、一週間心の中でずっと別れろって祈ってた。口ではおめでとうって言っておきながら、これっぽっちも祝福してなかった。あいつは真剣に相談してくれてたのに、俺を信頼して気持ちを打ち明けてくれたのに。あの夜、バイクを運転しながら、水野があいつを振ってくれればいいのにってずっと思ってた。酷いだろ?」
錯覚だ、と私の奥を覆っていた砂嵐がすっと消えていく。
一目見ただけで夢中になってしまった、幼かった私。
その瞳が自分だけを見つめてくれていたらと願うほど貪欲な子どもだった私。
「俺、水野のことが好きだったんだよ。初恋だった」
深淵のように真っ黒なそれは、私の瞳の奥を探っていた。
17歳。
単純なきっかけだけど、必死に追いかけて、ただ焦がれていた。
彼は私の、憧れだった。
『まもなく、2番線に列車が参ります』
アナウンスで咄嗟に視線を逸らし、大袈裟に左腕の腕時計を確認する。
彼の瞳が揺れ、それに気付いた。
私は何も言わなかった。
彼は優しく、どこか安堵したように微笑んだ。
「もう電車来るから、ごめん」
「分かった。ごめんな引き止めて」
「ううん。久々に会えて嬉しかった」
「俺も。……じゃあ、元気で。幸せに、な」
私は左手を顔の横で小さく振った。彼は優しい笑みを浮かべたまま背中を向けた。
騒がしい人混みの中を彼が足早に進む。その姿を私は見つめた。
夜空の中へ、焦がれていた背中が消えていく。
でも今となっては、その背中の香りを思い出すことはできない。
私の初恋は、あの葬式の日に終わっていたのだ。
♢
たった一週間。
それでも長い間関わってきた蓄積が、あの一週間を色濃くしていた。
思い返せば、彼がその場にいなくてもあどけない笑顔に話しかけていた。
くだらない冗談を言うその姿が見ていて楽しくて、夢中になっていた。
その笑顔を求めていた瞬間がどこかにあった。
気付けば私は、教室の隅でいつもその笑顔を目で追っていた。
その笑顔と話したくて、その笑顔を見たくて、いつ話しかけようか、笑顔はどこにいるのか、いつも気にかけていた。
簡単に転んでしまうほど自分は単純ではないと信じていた。だからこそたった一週間で自覚した感情に混乱した。
それでもあの葬式で、ようやく自分の初恋が死んだことを理解できた。
『考えたんだけど、一週間じゃ判断できないからもう少しお試し期間延ばさない?』
下書きのまま送信されることのなくなった、一件のメール。誰にも届かないそれが、私の唯一の真実だった。
葬式の後、暗い部屋で一人。
彼が貸してくれたMDを聴きながら、彼に落書きされたノートのページを撫でながら私は泣いた。
会いたくて仕方がなかった。
思い出しては眠れない夜が続いた。
今でも時々あの唇の冷たさを、あの甘い匂いを、思い出す。
彼は、私の初恋だった。
♢
ホームから薄っすら聞こえてくる発車メロディ。それと重なるように、スマホが鳴った。
「もしもし?」
『あ、もしもし? 俺だけど。お待たせ。今やっと駅に着いた! ごめんな急に仕事入って先そっち行かせて。これでようやく年末休みだ!……ってあれ? えっと、なに口に降りればいいんだっけ? 東口だっけ?』
「違う違う。北口。ラインしたでしょ。どうせ迷うんだろうなって思って改札で待ってたから、早く降りておいで」
『マジで!? 寒いのにごめんな! わざわざいいのに。でも、そんなところが好き!』
「はいはい、バカなこと言ってないで、早く来て。もう寒すぎて鼻水出てきた」
『ごめんごめん! すぐ行く!……あーでも、やばい、緊張してきた! 心臓破裂しそう!』
「なんでよ。ただ報告するだけでしょ?」
『報告っていったって、だって妊娠報告だぜ!? 緊張するに決まってるだろ! あー、3年前の結婚挨拶の時よりやばいかも』
「なんでよ。あ、階段降りたら右に向かって歩いてね?」
『分かったよ。じゃあ、すぐ行くから、待っててね? マイハニー!』
バカじゃないの。
そう言いながら電話を切ると、真っ暗なスマホの画面の奥に瞼を突き刺す光が見えた。
クリスマスはとっくに終わったのに、いつまでも構内を照らす電飾たち。
あまりにもそれが眩しくて、瞳を閉じた。
<完>
13回忌の初恋 綺瀬圭 @and_kei
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