第10話 終わりと始まりの歌
それから俺たちはレコーディングをした。
涼白を俺の部屋に入れるわけにはいかないので、知り合いから聞いて、小さなスタジオを借りて、恐れ慄く涼白の背中をたたき、歌を歌わせた。
正直にいって、涼白の歌は普通だった。
下手ではないが、上手くもない。
だが、それは聞く人が聞けば、きっと心に響くような、澄んだ歌声だった。
それこそ「その曲を送る相手」には、届くだろう声。
でも、俺には届かなかった。
だって俺はイネじゃないから。
少なくとも涼白の前じゃあ、イネじゃないんだ。
クーラが言っていたことが、少しだけ分かった気がした頃――曲は最終調整を終えて、出荷された。
ただ一人のもとへと、インターネットを通じて、送られた。
もちろんイネへ。
そして俺のPCへ。
あの瞳の輝きと出会ってからすでに一ヶ月以上が経っていた。
◆
涼白はいつの間にか俺たちの溜まり場となってしまった公園のベンチで言った。
「稲瀬くんには、いろいろな体験をさせてもらって、感謝のしようがないよ」
「まあ、返事はこなかったけどな」
「そりゃそうでしょ。イネに曲を送って、それで返事なんてきたら、やばいよ」
「別にやばくないだろ……」
ただ、あまりにも自作自演になりすぎてしまうので、自分の行為にストップをかけただけなのだ。
でもそれはきっと涼白のためじゃなくて、俺のため。
俺がイネとして活動できなくなる気がして、俺はそれを自発的に止めたのだ。
「イネ、聞いてくれたかな」
聞いてくれなくても気にしない、と言っている涼白だったが、そんなことは嘘だろう。
でも、俺は何も言わないし、言えない。
最近、考える。
俺たちは友達なのだろうか?
友達ってなんだろうな。
イネだとか、イネじゃないとか、正体を隠していたら、友達にはなれないのだろうか。
それでも友達になりたいと思ったら、どうすればいいんだろう。
あの瞳の輝きに目を奪われてしまった俺は、どうすればいいのだろうか。
――答えはしばらくして、見つかった。
◆
それは放課後だった。
それも文化祭最終日の放課後。
遠くからどんちゃん騒ぎの音が聞こえてくる。
今は後夜祭。
軽音楽部の面々が、気持ちよさそうに壇上でエレキギターをかきならしているのだ。
俺と涼白は、役目を利用して、音楽室にいた。
後夜祭に必要な動きと見せかけて、実は俺が連れ出したのだ。
音楽室には誰もいない。
後夜祭は夕方過ぎても続き、外はすでに暗い。
蛍光灯の灯のもと、俺は音楽室の片隅からアコースティックギターを取り出すと、チューニングを始めた。
とはいえすでに下見は済んでいるので、形だけのものだ。
「どうしたの、稲瀬くん。ギターなんて持って」
「ずっと考えていたんだけどな。俺も涼白の曲をつくってみたんだ」
「え!? なぜ!?」
「なんでそこまで驚くんだよ……」
「あ、いや、ごめん。自分がイネに曲を送ったことを思い出して……でも、そういう意味じゃないよね」
「どういう意味だよ」
「稲瀬くんって、わたしのファンだったの……?」
「お前、イイ性格してるよ」
俺の周りにはほんと、ありがたいほど素晴らしい人間でいっぱいだ。
俺は、涼白に曲を作ってから考えた。
イネであり、イネではない俺が、どうやったら涼白と対等な友達になれるか――答えはまったくでなかった。
で、その果てに思いついたのは「俺も涼白へ曲を送る」ということだった。
母親の言葉が頭から離れなかったからだ――あんたは気持ちを伝えるために歌を作るんだよ。
クーラは俺の意見を聞くと、「ほらね」と言って、口元だけで笑った。「でも意地でも解散しないから」と俺は胸ぐらを掴まれた。実はその後――いや、いいや。あの時、急に近づいてきたクーラの顔は、俺たちの未来のためにも忘れるべきなのだろう。
レンはレンで、俺が素人に曲をつくり、かつ、そのアンサーソングを作ることを知って、憤慨していたが、何かをクーラから言われたらしく、「あー、わたしが主役なら、それで数百万回は再生数稼げるのに、もったいなーい」とわざわざ動画でのメッセージを送りつけてきた。
明日香は「楽しそうでなにより」と変わらずに小説を書いている。最近思うけど、自分の好きなことを変わらずにやり続ける妹は、すごいと思う。兄と妹の禁断の愛というテーマは別として。
で、俺はといえば、ここしばらくは曲作りの意味を考え直したりしていた。
俺は小学生の頃から、曲をつくっていた。
嫌いなピーマンを食べられないがために歌をつくった。
それは俺の、母親へ対するメッセージだった。
でもネットにアップをしていくたびに、メッセージはぼやけていった。
誰に送るかがわからずに、俺は俺の気持ちだけを、見えない相手にぶつけ続けた。
クルクルと回転するミラーボールの光を目で追いかけるように、曲をつくってきたのだろう。
だから、定点で輝く、涼白の目の光を捉えた時――俺は心を奪われたのだ。
ああ、そうだった。
俺はこういう人に、曲を送っていたんだっけってな。
でも、残念。
それは一方通行の伝達方法で、だから俺と涼白はいつまでたっても、同じ方角へ歩くことができない。
だから、曲を作ろうと思ったのだ。
涼白だけに送る曲だ。
俺にとって、クーラに曲を作る時は相方へのメッセージではなかった。きっと俺は俺の意見をクーラに歌わせていたのだ。
レンに曲をせがまれたときに作ったときも、それはただ、プレゼントしたようなイメージだった。相手の趣味のものをあげたのではなく、自分の趣味のものを勝手に押し付けたような感じだったのだ。
でもこれは違う。
ピーマンが食べれないことを伝えるときと同じ。
俺は一個人の感情を、一人の人間へと送る。
――感謝と憧れの曲。
それは涼白がイネに送った内容と、同じものだった。
「じゃあ、とりあえず聞いてくれ」
涼白はコクリとうなずいて、俺を見ていた。
俺だけを見ていた。
その瞳に少しだけ、星を見た気がした。
◆
俺はそれから丁寧に、一曲だけを歌った。
アコースティック一本で曲をつくることは久しぶりだったし、なにより歌っている姿を人に見せるのは、ほぼ初めてだった。
認めよう。
これは告白の歌だ。
とはいえ、愛のそれではない。
友達になってほしいんだよ、言えないことは沢山あるけど――という情けない告白。
普段は音を打ち込んで曲を作るが、今日は生演奏。
――感謝してるんだ。色々教えてくれてありがとう。
――言葉にするのも、形にするのも、どちらも思ったより大変なんだ。
――だから曲にして送るよ。口ずさめば、すぐに思い出してもらえるようにさ。
そんな歌詞。
なんか歌っていてやけに恥ずかしくなる。
それは初めて一人の為に作った曲だから?
もしくは、この歌詞を伝えたい相手に歌っているからだろうか。
ああ、そうか――唐突に、思い出される。
衝撃。
まるでこの日のために用意されたような、涼白のセリフ。
いつか、言っていたっけ。
『本当に好きだから、恥ずかしくて』
あのときはピンとこなかったけど、きっとこういうことなんだろう。
心から望むことを相手に伝えるっていうのは、どんな感情を元にしていようが、少し恥ずかしくなるものなのかもしれない。
自分に対して、なにか、くすぐったさを感じるのだろう。
傷ができて、そこにかさぶたができて、そしてそこがかゆくなって、治っていく――なんとなくだけど、そういう感じなのかもな。
◆
曲が終わると、涼白は何度も頷きながら小さな拍手をしてくれた。
「すごいよ、稲瀬くん。とっても良い曲だね――でも、わたし、そんなに役にたってるかな」
歌にしても、全てが伝わるわけではない。
でも今はそれで良いのだろう。
「まあ、日頃の感謝だな。色々と曲作りの楽しさを、再認識させてもらったし」
「なんかプロっぽい意見だね。すごい、尊敬します」
「尊敬か――」
俺は、アコースティックギターをしまいながら、さりげなく聞いてみた。
「――イネとどっちが凄いかな」
「それはイネに決まってるじゃない。わたしにきいたら、そういう答えになるのは知ってるでしょ」
「あ、そうすか……」
「でも、二番目にすごいよ。イネのつぎってことは、やばいよ」
「はい、どうも」
予想の範囲内である。
でも、こっからは思いつき。
「ならもし俺がイネより良い曲を聴かせることができた時にさ、もう一つ、聞いてほしい曲があるんだよな」
「……? 今は演奏できない曲なの?」
「うん。俺が初めて作った曲なんだ。小学生の時のやつ。ぜひ、それを聞いてもらいたいかな」
「すごい。二曲も持ち歌があるんだね」
「そうだね……二曲だね……」
まあ、間違いではないか。
アルバムを出せるくらいには作ってきたけど、俺が歌ってるわけじゃないもんな。
涼白は一人で納得していた。
「わかった。きっと思い入れのある曲なんだね。イネを超えるなんて時はこないけど、万が一にも訪れたら、聞かせてください」
「良かったよ。なにせ涼白との思い出の曲だからな」
「……? どういうこと……?」
「どういうことでしょうね」
きょとんとした涼白の顔。
お前が人生で初めて聞いたイネの曲ってのは、俺が小学生の時に作った曲なんだよ――でも言わない。
ま、今はイネに負けておいてやろう。
俺は俺を超えて、いつか欲しいものを手に入れるのだ。
だから俺は変わりに。
ガラでもないのに決意表明をしてみせた。
「見てろよ、イネ! 絶対に勝つ!」
「おお。すごい。頑張ってね。たぶん、無理だけど……」
「哀れみの目で見るな」
誰に邪魔されることのない演者と聞き手、二人だけのライブ。
遠くから歓声。
ライブが盛り上がっているのか、次のイベントのミスコンか何かだろう。
「んじゃ、戻るか。体育館。実行委員だし、俺たち」
「そうだね。もどろ」
演者と聞き手――けれども、俺たちは一瞬で同級生に戻って、音楽室を並んで出た。
ふと。
青春ってものが形になるのなら、きっと今みたいな形をしてるだろうなって、俺は思った。
どうかな。
ネットの向こうの顔の知らない誰かも、うなずいてくれるかな――。
〜完〜
隣の席の無口な美少女が、俺が正体を隠して活動している音楽ユニットのライブに来て、目を輝かせていた件 天道 源(斎藤ニコ) @kugakyuu
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