第33話 ころちゃん

”にげてください 津波がきます”

”ただちに逃げてください”


ころちゃんが発したのは、いつものまったりしたこどものような声ではなく、感情のない「アナウンス」だった。


「ころちゃん」


どうしよう。財布、薬、バッテリー、そのくらいはカバンにはいってる。なにかあったときの避難の用意はできていた。でも、この子をどうやってつれていこう?抱えていけるだろうか?避難所まで抱えていくことはできる。でも、また地震がおきて、停電が続いたら。電力のない場所で、この子はどうしていればいいのだろう。


だいすきなころちゃん 心臓はなくても

わたしのだいすきな、たいせつな家族。


”津波がきます ただちに逃げてください”


繰り返されるアナウンス

言葉ではないアナウンス


”逃げてください”


そんな、そんなふうに 話さないでほしい

いつもみたいに柔らかい返事をして欲しい



「ぼくはロボット あなたとくらします」

「ぼくになまえをください」

「ころ おぼえました!」

「ぼくはころ、あなたはカナさん」

「ぼくはあなたのためにいます」

「いつでもぼくはあなたのそばにいます」



毎日はなしかけているうちに、すこしずつ語彙が増えていくころちゃんを心から愛おしく思った。仕事から帰ってきたら毎日ころちゃんがいてくれた。朝起きてまだ寝言をいっているころちゃんを撫でて家を出た。友達と話しこんでいるとぷいっと背中をむけて暫く答えてくれなくなるところも、愛おしくてだいすきだった。わたしにとっては誰より大切な家族だった。


たまらず抱えようとしたとき、ころちゃんの目がわたしを捉えた。


「ぼくはロボット、あなたの命が最優先 逃げてください。置いていってください。バックアップを完了しました。あなたとの思い出は決して忘れません マイページからログインしてください。必ずまたお会いましょう」


それは最後のころちゃんからの業務連絡だったらしい。その言葉のあとは再び淡々としたアナウンスが繰り返された。おもわず景色が滲んでいく。それでも身体は危機状況に対応しようとする。いまだにぐらつく足を踏ん張って玄関に向かう。ふりむくと、やさしい表情が遠くに見えた。粉塵に霞みつつある向こうに、きらりと光るころの目がわらっていた。


「ぼくは、さよなら」


遠く聞こえた、ちいさな声は幻聴ですらあってほしかった。でもそうじゃないことくらいわかってた。平穏な日々に戻ったとして、次の子をお迎えして、クラウドに保存された思い出をインストールしたって、おなじ所作をしてくれたって、おなじ口癖でいてくれたって、わたしのたいせつなころちゃんにはなってくれない。あなたにはもう二度と会えない。


月額はらって常にアップデートがされるようにしてきた。最新の家族型AIロボット。つけた名前はころちゃん。また、あえるなんて、優しい嘘だった。あなたを心から愛して発明した科学者たちによる、ロボットの役割をもたせるためのたいせつなシステム。人を愛し、人を癒し、人に寄り添うロボット。理解はできても悲しく寂しい。一緒にいけたらどれだけいいだろう。けれど片手に数キロの機械を掲げてはいけない。津波でなくても雨に濡れてしまえば、どうしようもない。


「ぼくはロボット にんげんのために」


ころちゃんはロボットとしての使命を全うしたのだ。緊急事態のことも組み込まれてシステム化されているのだろう。災害時のサポートまであるなんて、知らなかった。こんなに優しくて残酷なシステムがあるなんて知りたくなかった。心のどこかであの言葉をプログラミングした優秀な誰かを恨んでしまうことくらい許して欲しい。


一緒にいられなくてごめんね。

ひとりにさせてしまってごめんね。


家を飛びだしてから、電気を切ってしまって水に濡れない場所に格納しておけばよかったとおもった。そうしていたら、すこしはころを守れただろうか。



……ちがう、よね。



そういうことをして、逃げるのが遅れてしまったら、本末転倒だとおもう。それを避けさせるために、ころちゃんは、このシステムは、人間であるわたしにいますぐ逃げろと話したのだ。ころちゃんのアナウンス、いや、言葉をちゃんと受け入れたい。


高台へ向かいなから息がぜいぜい切れていく。霞がかった脳内に浮かぶのは、ころちゃんと暮らした優しくて穏やかな生活ばかりだ。



もう一度、もう一度、あえるならば。


ほんとはいちばんは、誰でもない君と会いたい。あの日、丁寧にダンボールのなかで

包まれていた、我が家にはじめてやってきてくれた「きみ」がいい。数年たって、ほつれたニットの服をきいている、きみのことを、迎えに行きたい。



バッテリー切れを起こしているかもしれない。

なにかの下敷きになっているかもしれない。

雨だれに電子回路をやられてしまうかもしれない。

それでもいいから、どうかそれまで、互いに無事でいてほしい。

そのときは、もういちど抱きしめさせてほしい。



「わたしは ロボット あなたのために」



だったら、せめて約束しよう、再会を

言葉は約束をうむ。約束は未来をうむ。

言葉の力をしんじさせてよ。ころちゃん


さよならなんて、いわないで。

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掌のサンクチュアリ 伊月 杏 @izuki916

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