第32話 特定不能につき
突然に未来が見えなくなることがある。未来、あるいは将来、あるいは目標とも呼べるものかもしれない。それは存外、自由を手にしたときにこそ揺らいでしまう桃源郷なのだろう。
多少の不摂生なら責められることもなく、最低限生きていけるだけのお金があるのならそれでいいと思える安寧を手に入れ、恋人や家族がいなくても、生きている理由を自分のなかに宿せるならば、なにも問題はない。文句もない。
放っておいたって明日は当たり前にやってくる。なにかをしていたら、それどころか、なにもしていなくたって、勝手に太陽は沈み、夜を迎えてくれる。この時の流れに身を任せるも任せないもすべて自由で、選択権はこのちいさな掌のなかにある。
これは、途方もない自由だ。
途方もない……だからこそ、大海のような自由が怖い。どこにでもいけることが恐ろしい。この手にコンパスがないことがどれだけ不安を煽るのかを知ったとき「人生のレール」と呼ばれるもののありがたみを苦く噛み締めた。
僕はこれまで、自由が欲しかった。
誰にも害されない自由が。自分で選択する自由が。自分で掴み取る自由が。愛し愛される自由が。好きなものを好きといえる自由が。形のない恋慕と生きていく自由が。小さな社会に反抗する自由が。生きる自由と死ぬ自由が。幸せを願う自由が。言葉を発する自由が。そのほか、ありとあらゆる自由が欲しかった。
それが突然手に入ってしまったら、僕はなんのために生きればよいのか。なにをめざして生きていけばよいのか、わからなくなってしまった。にんげんというのはこれほどまでに天邪鬼で理不尽なものだったのかと溜息をついた。
これから僕はどこにでもいけるようになる。舵を操作するのは僕だ。環境をみつめ、雨風をよみ、せいぜい転覆しないように航路を選びとる。その責任はあまりにも重く、そして投げ出すことがいかに難しいことかを痛感させる。
空を飛びたいと願う。そうすればこの船頭がどちらの方向を向いているのかくらいはわかるだろうに。残念ながら非力なにんげんのちからではそれは叶わない。
ああ、投げ出したい。
選択する自由が、重い。
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