後編

 車が止まり、蔵田くんに手を引かれて降りると、目の前には巨大なビル。

 首にストラップ付きの通行証を掛けられ、エレベーターに乗り込む。


 十三階で降りて、一番手前の部屋に入った。

 部屋の中にはテーブルとソファの他に、壁面が鏡になっているカウンターのようなテーブルがあって、そこには大きな電球が付いている。

 洗面台と、どうやらトイレにシャワーも付いているらしい。

 隅の方にキャスターの付いた三段のカートがあって、そこに所狭しとメイク道具が詰まっていた。


「あの、ここは……?」

「俺の秘密基地」

「はぁ」

「勇人、遊ぶのはいいけど自分の準備が先だぞ」

「分かってるって」


 運転してきてくれた男の人が部屋から出て行くと、蔵田くんは私をソファに座らせ、カートの方に向かった。

 前髪を左右にクリップで留めて、洗面台で顔を洗う。

 何種類もある洗顔料から一つを選んで、丁寧に。

 優しく洗い流した後は、これまたいくつあるのだろうと驚くくらいに並んだ化粧水や美容液なんかを慣れた手付きで肌に馴染ませていく。


 一通りのスキンケアが終わったらしい蔵田くんが、その大量のスキンケア用品からピックアップして私の前のテーブルに置いた。


「顔洗ってスキンケアしといて」

「は?」

「俺、これから撮影なの。メイクしてる間、イインチョーはスキンケア。自分でやって。それとも全部俺がやってやろうか」

「じ、自分でやります!」


 なんで?とは聞けなかった。

 有無を言わせない蔵田くんの発言に押され、私は顔を洗うことにする。

 クリップを借りて、前髪を留めた。


「その洗顔料、乾いた顔に付けて軽くマッサージするみたいにくるくる広げてから、少し水足して泡立てて、全体を泡で洗ったら優しくすすいで」

「は、はいっ!」


 言われた通りにすると、顔がつっぱることもなくさっぱりした。

 すぐさま化粧水の指示が飛んできて、慌てて次の工程に移る。


 蔵田くんの元から綺麗な顔が、きめ細かくなって、陰影がはっきりして、さらに綺麗になっていく。

 自分の顔に化粧を施しながら、私にスキンケア方法を細かく指示してくるなんてすごすぎる。

 私は感心しながら、必死になって使ったこともないパックをして、美容液を使い、乳液とクリームを塗った。


 私の顔面がいつになくつやつやぷるぷるになった頃には、蔵田くんの顔面は直視できないくらいに光り輝いていた。


「目がっ! 目が潰れるぅ!」

「アホか」

「元からいい顔がメイクによってこんなにも磨かれるなんて……後光がすごいです蔵田くんは神様だった……」

「もう慣れてきたよ、イインチョーのそれ」


 言いながら、くるくる回る背もたれのない椅子に私を移動させる。

 蔵田くんも同じ椅子に座っていて、膝と膝が触れ合いそうな距離で向き合った。


「あ、あの、なにを……」

「お前を俺の好みの顔にしてやる」

「へ?」

「化粧なめんなよ」


 それ以上の言葉は不要とばかりに、蔵田くんの骨ばった指が私の顔に伸びた。

 真剣な顔で私の眉毛を整えられ、恥ずかしくて死にそうになる。

 今、蔵田くんの目に自分の顔だけが映っていることが信じられない。

 

 こんなことなら少しでもケアしておくんだった。

 ニキビがなかっただろうか。

 産毛は。

 今まで一度も考えたことがなかったことが、一気に脳内に押し寄せる。


 可愛くて綺麗なものを見るばかりで、自分のことなんてなにも。

 それがより一層、自分の傷を広げる行為であるような気がして。

 ブサイクがスキンケアをして化粧をしたところで、無意味なことを頑張ってバカみたいだと言われるのではないかと思ってしまって。

 それは、間違いだったのだろうか。


 蔵田くんは一度も笑ったりせず、私の顔に向かっていた。

 一重を二重にする接着剤のようなものがあるらしく、あっという間に私のまぶたは二重になった。

 それから丁寧に化粧下地を塗り込んでいく。

 コンシーラーをポイントに置いていき、ファンデーションを薄く伸ばした。

 新しい何かをする度に、これはこういう物で、こういうところに使うんだというのを説明してくれる。

 一度軽くパウダーをはたき、シェーディングで顔の形を整えた。


「テープとか使って顔の肉引っ張ったりとかもできなくはないけど、そういうのは今回はなしでいくわ。二重にはしたけど」

「そんな技が……」


 私にとっては何もかもが初めてのことで、耳にする知識の全てが新鮮だった。

 家でも学校でも習い事でも教わらなかったたくさんのことを、蔵田くんは知っている。


 少し面長な私は、縦の印象をできる限り減らし、横の方向に広げていくのだそうだ。

 派手になりすぎないようにアイメイクを施し、チークも横長に。

 ハイライトで目立たせたい部分に光を当てて、自分の唇の色とあまり変わらないリップを塗る。


 前髪のクリップを外して整え、一つに結んでいた後ろ髪も下ろし、仕上げにコテで巻いてくれた。

 肩の下辺りでほんのりカールする髪からは、いい匂いがした。


「ほら、見てみろ」


 両肩に腕が置かれ、くるりと鏡の方に向きを変えられる。

 そこに映った自分は、まるで別人だった。


「……すごい」

「モデルやってるやつだってな、化粧落とせばすげーのはいるんだぜ」

「すげー、の」

「はたから見りゃ可愛いのに、何を言っても整形が止めらんねーやつもいるし、可愛いとかかっこいいとか、きれいとかなんてのはさ、結局自分がどう思うかなんだよ」

「じぶんが」


 私は、ブサイクでは、ないんだろうか。

 愛嬌がある顔というのは、それは、わたしは。


「イインチョーの顔は、俺からしたら普通だよ。化粧すれば、俺が可愛いと思う顔にもなったし」

「か、かわいい?」

「うん、可愛い。せっかくだから現場一緒に行こうぜ」

「は!?」


 思考がぐるぐるこんがらがってきたところに、とんでもない発言をされた気がして、私は顔を上げた。

 蔵田くんはまた問答無用で私の手を掴み、部屋から出る。

 部屋の外で待っていたさっきの男の人が、私を見てヒュウと口笛を吹いた。


「ずいぶん可愛くなったな」

「俺の腕も上がっただろ」


 可愛く、なったのだろうか。

 確かに、鏡の中の私は、私じゃないみたいだった。

 左右が違っても、見た目の印象は実物とそこまでは変わらないだろう。


 現場、と言った通り、向かった先はスタジオだった。

 何人ものスタッフさんが働いていて、白いスクリーンの前では綺麗な女の人がフラッシュを浴びている。

 ちらりとモデルさんの視線が蔵田くんに向き、それが私に移動して驚いたみたいだった。

 すぐに驚きは消して笑顔になっていたから、モデルさんというのは本当にすごい。


「なんだぁ、勇人、彼女連れてきたんか」


 撮影のスタッフさんたちがわらわらと私たちの方へやってくる。

 物珍しそうに私を見るたくさんの視線は、私をバカにしているものではなかった。


「可愛いでしょ」

「なっ!?」


 どうして否定しないのだ。

 そんな言い方をしたら、まるで私が蔵田くんの彼女みたいに思われてしまうではないか。


「おぉ、勇人がノロけてる!」

「こりゃ今日の撮影は上がり早いかもな〜」


 案の定、スタッフさんたちは私のことを彼女だと勘違いしてしまったようだ。

 不安げに蔵田くんを見るが、にっこり微笑まれて終わった。

 どういうこと?


「さて、可愛いお嬢さん、勇人が撮ってる間はあそこの椅子で待っててもらえるかな?」

「は、はい! あの、すみません、お邪魔してしまって」

「いやいや、勇人のやる気が上がるなら大歓迎!」


 あああ、ごめんなさい本当に、違うんです。

 そう言いたいけれど、蔵田くんの視線が言わせてくれない。

 早々に諦めた私は、案内された椅子に座って撮影の始まった蔵田くんを眺めることにする。


 すると、撮影が終わったらしい先ほどのモデルさんがこちらへやってきた。

 ペットボトルの水を飲みながら、私の横に腰掛ける。


「勇人の彼女さん? あれと付き合えるなんてヤバいね」

「え、あ、えっと、ヤバい、ですか」


 どう答えていいか分からなくて、しどろもどろになる私に、彼女はクスクスと笑った。

 その笑いは、やはり私をバカにするようなものではなかった。


「あいつ、超美容オタクでさ、みんなついていけないの」

「あー……なるほど」


 美容オタク。

 確かにその言葉がしっくりくる。

 けれど、ついていけないほどだっただろうか?

 手加減してくれていたのかな。


「あとめっちゃ正直だから、メイクが似合ってなかったりすると大変なの! オブラートに包むってことを知らないのよね、あなたは上手にメイクしてるみたいだから気に入られたのかな?」


 蔵田くん直々にしてもらいましたとは言えず、私はあははと誤魔化すように笑った。


「あいつ自身めっちゃ顔がいいからさ、隣に立つのも緊張しない? 比べられそうで」


 比べられる。

 そう。

 今までずっと、比べられてきた。

 可愛い子たちの隣で、場違いな顔で。


「そういう人は……私がどんな顔をしていても、きっと比べて、何か言うんです。でも、私は、そういう人たちの言うことじゃなくて、自分がいいと思う顔でいればいいのかも……自分の信じられる人の言葉だけ、信じていたら、それで」


 蔵田くんが、可愛いと言ってくれた。

 それだけできっといいんだ。

 私は蔵田くんに比べたら綺麗じゃないけど。

 自分に自信なんて持てないけど。

 それでも、何もしないで全部を諦めるほどではないんだ。


「…………ちょっと! ちょっと勇人! この子あたしにちょうだい!」


 私をぎゅうぎゅうと抱きしめたモデルさんがそう叫び、遠くから蔵田くんが「俺のだバーカ」と返事をした。


 そう言って笑う蔵田くんはやっぱり最高に顔がよくて。

 そんなに優しくされたら、女子は誤解してしまうんですよ、なんて思った。


 モデルさん(ゆきなちゃんというそうだ)と連絡先を交換し、今度遊ぼうねと言われて別れる。

 ゆきなちゃんと遊ぶ時までに、私はこの化粧をマスターできるのだろうか。

 いや、何としてもマスターしなければ。

 私が燃えていると、撮影の終わった蔵田くんが戻ってきた。


「仲良くなったのか」

「うん、今度遊ぼうって。それで、その……遊ぶ時も、お化粧、したいから……」

「あぁ、いつでもおいでよ」

「え?」

「モデルの仕事も趣味みたいなもんだし、俺、美沙にメイクしてる方が楽しいから」

「みっ!」


 威力が高すぎるので急に名前で呼ばないでほしい。

 変な鳴き声みたいになってしまった。

 というか私の名前、覚えてたんだなぁ。


「いや、その、私、お化粧覚えようと思って」

「うん、いいんじゃない? でも大事な時は俺にメイクさせて」

「え、えー?」

「なんで? ダメ? 俺、美沙の顔を作るの好き」

「んんっ……! わ、分かった、分かりましたのでこれ以上はもう許してください」

「はい、じゃあ俺とも連絡先交換〜」


 そう言って私の携帯電話を奪った蔵田くんは、連絡帳にぽちぽちと情報を打ち込み、返してくれた。

 電話番号とメールアドレスの上に『彼氏』 の二文字がデカデカと表示されていて、私は開いた口が塞がらなくなった。


「これ」

「最近周りがちょっと面倒くさくてさ、彼女欲しかったから、俺彼氏で」

「わ、私蔵田くんの顔、とても好きなんですけど」

「知ってるけど」

「え、私は面倒くさくないの?」

「面白いから好き」

「すっ……! くっ……」

「あはははは!」

「ぐぅ……っ、顔がいい……!」

「勇人って呼んでね、美沙」

「爆発するかもしれない」

「あはははは!」


 お腹を抱えて笑う蔵田くんは、いつもより三倍増しで輝いていた。

 

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誰よりも幸せなわたし 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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