誰よりも幸せなわたし

南雲 皋

前編

「ミサちゃんは……あー、その、愛嬌のある顔だね」


 物心ついた時から、そうだった。

 幼稚園の集合写真。

 同じクラスだった可愛い女の子の隣に写る私。

 幼いながらも男の子たちからの人気を一身に受けていたその子はパッチリ二重で鼻筋も通っていて、一重で低い鼻の私とは大違い。


 私こと紺野こんの美沙みさは、名前は可愛いのに顔はそうでもない代表だった。


 愛嬌のある顔、という言葉は便利なもので。

 周囲の大人たちは私に決してブサイクとは言わなかった。

 言わなかったが、むしろそのことが余計に私を傷つけた。

 正直に言ってくれればいいのに。


 鏡に映る自分、写真に写る自分。

 顔が可愛くないことくらい、自分が一番分かっている。


 勉強というものが始まった瞬間から、私はそれだけが自分の武器になると思った。

 私は見た目以外で褒められればいいのだと割り切って。

 習い事もいくつか通わせてもらった。

 書道、茶道、合気道。

 字が綺麗な方がいいと思ったし、礼儀作法は知っておいた方がいいと思ったし、自分の身は自分で守れた方がいいと思った。


 小学校も中学校も、なぜか私の近くには可愛い子がいた。

 可愛い子を見ているのは好きだったし、可愛い子に頼られれば悪い気はしない。

 たとえそれが私を体のいい引き立て役だと思っての行為だったとしても。

 顔がいいというのはそれだけで素晴らしい利点なのだなと思う。


「何であのグループに紺野がいんの」

「場違い感ハンパねぇ」

「いいように使われてんだろ?」

「あー、勉強はできるもんな」


 男子たちから聞こえてくる言葉はずっと変わらない。

 言われすぎてもはや何も感じないくらいだ。


 私が受験した高校は公立高校の中でトップクラスの偏差値を誇り、通っていた中学の中で合格したのは私だけだった。

 別にそこまで悪い中学校生活でもなかったが、やはりどこかほっとしてしまうのだった。



 主席で合格できたらしい私は入学式で代表挨拶をした。

 そして壇上から見下ろす新入生の中に、一際目立つ男子生徒を見つけた。


 彼は、今まで見た誰よりも綺麗だった。

 それなりに広い体育館で、百人以上の新入生がいて、ひとりひとりの顔なんてほとんど見えないはずなのに。

 私の目は彼に釘付けになった。

 文字通り、彼から目が離せなくなった。

 動揺しながらも、それを表に出すことなく挨拶を終え、拍手を受けながら列に戻った。


 私の戻る列に彼の姿があり、クラスが同じであることを知って舞い上がってしまう。

 私はそわそわしながら入学式を終え、教室に向かうのだった。


 担任の挨拶があり、それから自己紹介の時間になった。

 出席番号順に並んだ座席で、彼はまさかの私の目の前。

 綺麗な人というのは、いい匂いがするものなのだな。

 私は心の中で真剣にそう思った。


 蔵田くらた勇人ゆうとです、と彼が名乗った瞬間、クラス中がどよめいた。

 やっぱり? 似てると思った、などという囁きが教室を埋め尽くし、何が何やら分からない私は混乱した。


 後ろの席の女の子に聞くと、どうやら彼は人気モデルなのだそうだ。

 様々な雑誌に載り、時には表紙すら飾ることもあるらしい。

 雑誌の棚は基本的に素通りしていたので、私は今度本屋さんに行ったら見てみようと思った。


 近くで見れば、体育館で遠目に見た時よりもさらに整った顔をしていて、まるで天使のようだった。

 少しだけウェーブした髪はやや茶色みがかっていて、くりっとした目が小動物を思わせる。

 しかし眉毛はきりっとしていて、全体で見るとかっこいい印象だ。

 鼻が高いので横顔もとても綺麗で、薄い唇が控えめな桃色をしている。

 眼福とはまさにこのことだろう。


 彼の後に自己紹介するのは気が引けたが、私は私で新入生代表だったこともあり目立っていたので大丈夫だった。


 想定通りというか、なんというか、自己紹介の後にまずはこれだけと言って学級委員長と副委員長の選出が行われ、私は満場一致で委員長に選ばれた。

 これで私のあだ名はイインチョーに決定である。

 見た目を揶揄したあだ名になるより断然いい。

 副委員長に選ばれた男子も見た目より成績を重視するタイプらしく、主席入学について褒めてくれたくらいだった。


 高校生活は可もなく不可もなく、平穏に過ぎていった。

 偏差値が高い学校だからといって、いわゆるガリ勉タイプの人間が多いのかというとそんなことはなかった。

 私立よりも校則が緩いからか、髪の色が明るい生徒はたくさんいたし、化粧も禁止されていなかった。

 ナチュラルに可愛く化粧をする子たちを見ては、にこにこしてしまうくらい。


 私に対する陰口は、私の耳には入ってこなかった。

 聞こえないところで言われているのかは分からないが、微妙に聞こえるくらいの距離と声量で言われるより全然いい。


 蔵田くんのご尊顔を毎日近くで見られるのも最高だった。

 本当に、いつ見ても素晴らしい造形をしていらっしゃる。


 ある朝、教室に入ってきた蔵田くんの顔色がいつもより悪い気がして、思わず声を掛けそうになった。

 顔色の変化に気付いてしまうのってキモいのでは?と思ったお陰で何とか口にせずに済んだが。

 本当に体調が悪そうに見えたら声を掛けよう。

 そう思っていた。


 結局授業は問題なく終了し、私は日誌を職員室まで持っていった。

 定期テストも近いし、今日は少し図書室で勉強してから帰ろうかな、などと思いながら教室に戻ると、蔵田くんが机に突っ伏していた。


 私は焦って駆け寄り、蔵田くんが幸せそうに眠っているのを見て安堵の溜息を吐いた。

 具合が悪くなった訳じゃないのか。

 それでも、きっと物凄く疲れていたのだろう。


 カーテンを揺らしながら吹き込んできた風が、蔵田くんの薄い前髪を撫でた。

 閉じられた瞳に、長いまつ毛がいつもより際立って見える。

 宗教画のようにさえ見えてくる蔵田くんの寝姿に、私はほとんど無意識に手を合わせていた。


「ありがとうございます……」

「何が?」


 私の呟きに、あるはずのない返事が聞こえて思考が停止する。

 え?

 誰の声?

 聞き間違えるはずもない。

 蔵田くんの声だ。


 私は声にならない叫び声を上げながら、物凄い勢いで後ずさった。

 最前列の机にぶつかり、ガタガタと音を立てる。


「いたた……」

「そんな驚く?」


 蔵田くんは欠伸をしながら上半身を起こし、腕や背中を伸ばしている。

 私が寝顔を眺めていたことを咎めるような感じではない。

 まだ少し眠そうな目を擦り、ぱちぱちと数回瞬きをした。


「お、おお、起きてたの」

「風が吹いてきて起きたけど、人の気配感じたからちょっと寝たフリしてた」

「ああ……、ごめん……」

「いや、別にいいけど、で? 何でありがとうなんだ?」


 あ、その質問生きてましたか。

 私は視線を泳がせた後、観念して話すことにした。


「蔵田くんの麗しいご尊顔を毎日至近距離で眺めることができてありがとうございます……っていう」

「ぶはっ」


 言いながらナムナムと手を合わせると、拝まれた蔵田くんは吹き出して笑った。


「イインチョーも俺の顔、興味あるんだ」

「蔵田くんは今まで出会った中で一番綺麗」

「圧がすごい」

「でも、その綺麗な顔が自分では見られないの悲しいね。私みたいな周りの人ばっかり幸せで」

「鏡でいつでも見れるけど」

「鏡に映るのと本物は別物だよ! だって左右が違うもん」


 開き直った私は蔵田くんの顔をうっとりと眺めながら力説する。

 鏡も、写真も、彼の本当の美しさを彼自身に教えてはくれない。

 私の見ている世界を体験してもらいたいくらいだ。


「私は自分の顔も見なくていいし、蔵田くんの顔を見ることはできるし、幸せすぎだね」


 自分の顔が可愛くないと自覚し、どうして可愛く生まれなかったのだろうと悲しんだ後で、私は気付いたのだ。

 可愛くない私の顔を、誰よりも視界に入れずに済むのは私なのだと。

 むしろ周りの人たちは、私の顔を見続けなくてはいけない。

 可愛くてかっこよくて綺麗な顔を私に見せてくれる人たちは、目に入るその良いものが一つ減って、私の顔を見ることになる。

 申し訳ないと思った。

 自分ばかりがいい景色を見ていることを。


「お前も相当こじらせてんな」

「え?」

「いや……イインチョーはこの後なんか用事ある?」

「今日は特に、ないけど」

「じゃあちょっと付き合って」

「えぇ!?」


 私は蔵田くんに腕を引かれ、教室から出た。

 いいよと言う前に動き出すなんて、生まれてこの方、誘った相手にノーと言われたことがないに違いない。

 そう思いながらも嫌な気持ちがしないのだから、顔がいいというのは最強の免罪符だ。


 校門の前に止まっていた車から、これまた顔のいい男性が出てきてこちらに手を振った。


「なに勇人、彼女できたの?」

「練習台。イケニエ」

「はっ!?」


 何でしょうその不穏な響きは。

 一つも説明されないまま車に突っ込まれ、訳も分からぬままに都心へと連れ去られるのだった。

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