最終話
木製の扉をノックすると、「はーい」と女性の声が内側から聞こえてきた。程なくしてドアが開かれる。出てきたアメリは美穂を見ると、紫色の目を大きく見開かせた。しかしすぐに、それは優しい眼差しになった。
「少しは落ち着いた?」
美穂は小さく頷いた。とはいえ、本当の意味で落ち着いたかと聞かれると、難しい。母親のことを思うと、ぽっかりと穴の空いたような胸が途端に軋みだす。喪失感が、際限のない涙を生み出そうとする。
探していた人はいなかったという、夢で見るにも恐れを抱くようなことが現実に起こってから、数日が経過した。
あの日親戚の家に帰った後、母の死について詰め寄った。叔母は最初誤魔化していたが、やがて観念したのか、美穂に本当のことを聞かせてくれた。
美穂を叔母の家に預けてすぐ、母は事故に遭って亡くなったこと。本当のことを言うのは忍びないからと今まで黙っていたこと。本当のことは、折を見て話そうと考えていたこと。
どうしてわかったのかと聞かれたが、「なんとなく」と曖昧に答えた。まさか本当のことを言うわけにはいかない。
「美穂ちゃん、いらっしゃ~い。また会えて嬉しいよ」
現れたクロが肩に飛び乗ってきた。頬にふわふわとした感触が触れる。クロはあの日美穂が泣いている間も、ずっとこうして肩に乗って体をすり寄せてくれていた。
ばさばさと羽音がして、もう片方の肩にカラスが止まった。ヨルは気遣うように顔を覗き込んできた。
「僕達にできることがあれば、なんでも言って下さいね。いつでも力になりますから」
「ありがとう。でももう、皆は私の力になってくれたよ」
え、とアメリは驚いた顔を見せた。その後、どこか悲しそうに笑った。
「……だけど、ヨルとクロはともかく私は、あなたの力になることはできなかったでしょう」
「それは違います。そんなことはないです」
美穂は即座に頭を振って、否定した。
アメリは目を奪われるほど幻想的で、夢のような魔法をいくつも見せてくれた。だから彼女の手にかかれば母を生き返らせることなど容易いと、あの時は本気でそう思った。そうであってほしいと願った。
しかしできないと返されて、強い失望と絶望が胸を襲った。魔法使いといっても結局こんなものなのか、と思ったのも事実だ。
けれど、その後アメリに涙を流す魔法をかけられて、混乱も動揺も喪失も悲壮も、あらゆる感情が流れ落ちていった。
自分はずっとずっと泣きたかったのだと、泣きながら気づいた。泣いたことで、母はもう帰ってこないのだと、受け入れたくなかったその現実を思い知った。
だがその現実は、遅かれ早かれいつか必ず前にしていたものだ。目を背け続けることはできない。その現実との向き合い方を、アメリは教えてくれた。
「アメリさんは、良い魔女です。とても。こんな素敵な魔女、初めて出会いましたよ」
母が聞かせてくれた悪い魔女は、いつだってとても強くて、たくさんの人間に悪戯を仕掛けてそれを楽しみ、人間を見下し、人間を困らせることを趣味とする性格をしていた。
けれどもアメリは全く違った。美穂が初めて知る種類の魔女だった。
「買いかぶりすぎよ。魔法は、全然万能ではないの。いつでも人間の助けになれる魔法を使える魔法使いになるには、私もまだまだでね」
アメリは、どこか困ったような顔で笑った。ため息を吐いた後、腰に片手を当てる。
「それで、お金のことなんですが」
「ああ、それは前も言ったように、何も気にしなくて良いのよ」
今回願いを叶えてくれる代わりに払うと言った代金は、まだ払っていない。アメリのほうから、美穂の願いを本当に叶えたわけではないからと断ってきたのだ。
けれど、アメリがそれでいいと言っても、美穂としては全く納得がいかない。どうすればいいか、この数日間考えていた。
美穂はクロを地面に下ろしてあげた。ヨルも肩から飛び去っていく。
顔を上げた。ずっと言おうと考え、胸に温め続けていた言葉を、声に乗せる。
「アメリさん。一つ提案があるんですが」
「えっ?」
「代金の代わりに。ここで、働かせてくれませんか?」
アメリが、まさに鳩が豆鉄砲くらったような顔になる。直後、彼女の口から大声が上がった。こちらがびっくりするような声量だったが、怯まずに続ける。
「どうでしょう? 主に家事手伝いになりますが、もしそれでいいのなら」
「いえそんな、本当に気にしなくて良いのよ! 美穂が気遣う必要は」
「気遣いじゃなくて、私が望んだことなんです。アメリさん達の、力になりたいって」
一字一句、はっきりと伝える。ふいを突かれたように、アメリは体の動きを止めた。
耳元で、ふふ、とヨルとクロの笑い声が重なる。
「いいんじゃないですか、アメリ。こちらとしては、願ってもないことじゃないですか」
「そうそう~……。アメリはお掃除とか苦手だもんねえ。でも美穂ちゃんがいれば、汚くなりがちな我が家もなんとかなるでしょう」
「ち、ちょっと二人とも!」
アメリは顔を真っ赤にした。しかし我に返ったのか大きく咳払いをし、口をつぐませる。
「それが、美穂の本当の望みなの?」
窺うようにそっと、確かめるように静かに、アメリは聞いた。
美穂は、力強く頷いた。
「はい」
「そう。そう、なのね」
どこかアメリは、泣きそうになっていた。しかしそれは一瞬のことだった。彼女は目元を拭うと、優しく明るく、はにかんだ。
「じゃあ、決まり。よろしくね、これから!」
これからという言葉を聞いて、安堵に包まれる。
きっとこれから、思いも寄らないような素敵なことがたくさん起こる。それを思うと、胸が温かくなってくる。
美穂は初めて、アメリに向かって、笑顔を見せた。
秋の風が吹いて、上から落ちてくる色のついた葉が、躍るようにくるくると舞った。
終
家なき子と魔女の魔法 星野 ラベンダー @starlitlavender
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