第6話

 途中向かい風に煽られたりしたせいで、目的地に到着するまで結局三十分以上かかってしまった。それでも無事に辿り着いたことに、アメリはほっとした。


 しかし直後、その安堵は消え失せることとなった。


「ここ、は……」


 地面に下り立ち、光の柱が立っていた場所を見回す。何かの間違いだと思いたかった。しかし、魔法が指し示した地は間違いなくここだ。


 四角い灰色の石が立ち並ぶ場所。風と共に漂ってくる寂しい線香の匂い。墓地は静かで何の音もなく、訪れている人は誰もいなかった。


「ア、アメリ、本当にこの場所なんですか?」

「また失敗しちゃったとか、あるんじゃないの~……?」


 ヨルとクロが慌てたように言う。それは、とアメリは口ごもった。失敗した可能性も、ないことはない。しかしアメリは、魔法の腕にはそれなりの自信を持っている。今回の魔法も、失敗したという違和感や気配は感じなかった。


 どうすればいいのか、使い魔に引きと共に立ち往生していたときだった。ふらふらと、美穂が陽炎のような動きで歩き出した。


「どこ行くの!」


 呼び止めたが、美穂の足は止まらなかった。急いで追いかけると、彼女はあるお墓の前で、歩みを留めた。じっと、墓石に刻まれた名前に視線が注がれる。やがて美穂の体が、小さく震えだした。


「美穂?」


 名前を呼ぶ。その瞬間、彼女の膝が崩れ落ちた。掠れて言葉になっていない声が、美穂の口から絞り出される。


「おかあさん」


 アメリの体はさあっと冷たくなっていった。胸が引き絞られたように苦しくなる。


 魔法が失敗した手応えはなかった。間違いなく成功していたはずだ。その魔法が示した場所が、この墓場だった。残されている答えは、一つしかない。


 ただ後ろから見ていることしかできない。美穂の心が今どんな状態に置かれているかはわかるのに、肝心の自分が何をしてあげられるかは一切わからない。アメリは、持っている箒の柄を強く握った。


 美穂が墓に向かって、震える手を伸ばした。だが冷たい石に触れる寸前で、美穂の手が止まった。


「違う……」


 よく聞き取れない声で、美穂が呟いた。どうしたのかと近づこうとすると、突如、美穂が振り向いてこちらを見上げてきた。


「アメリさん。私、お願い事があります」

「お、お願い?」

「はい。いいですか、もう一つお願いをしても」

「いや、あの、急にどうしたの? そんな突然……」

「お母さんを」


 美穂は背後にあるお墓を指さした。


「お母さんを、生き返らせて下さい。お墓から出して上げて下さい」

「!」


 息を飲んだ。固まるアメリとヨルとクロを置いて、美穂は続ける。


「お願いです。どんなことでもします。だってこんな冷たい土の中にいるなんて可哀想。生き返らせて下さい。あんなに凄い魔法をいっぱい使えるんだからできるでしょう? お願いだから、もう一度お母さんに会わせて。私、お母さんとしたいこといっぱいあるんだ。魔法使いの話を聞かせてもらって、教えてもらったシチューを作って、それで一緒に過ごしたいんだ。お母さん、魔法使いが大好きだから、アメリさんにも会わせてあげたいんだ。だから、生き返らせて下さい!」


 それが命綱とでもいうように、美穂はアメリの手を掴んだ。縋り付くような眼差しも、アメリが逃げることを許さないように絡みついてくる。懇願する声は今にも泣き出しそうなものになっているのに、むしろ彼女の瞳は乾いている。


 ああ、と声を出したくなった。無力だ。自分は、とても。


 アメリは、自分の手を掴む美穂の手を、そっと包むように握った。


「美穂。ごめんなさい。それはできない。絶対に」

「どうしてですか、どんなことだってしますよ、お金だっていくらでも払いますから、確かにわたしは子供で全然手持ちなんかないけどそれでも、いざとなったら私の命をあげますから、だから」


「死んだ人を生き返らせる魔法は使えない。それは禁忌なの。魔法使いがこちらの世界に来る場合の掟の一つで、亡くなった命を蘇らせる魔法を使ってはいけないというものがあるの。掟を破るとこの世界にいられなくなるし、最悪、魔法使いではいられなくなる。そもそもの話、そんな高度な魔法は、私の力では形にならない」

「……悪い魔法使いに、なって下さいよ」


 ねえ、と美穂は尚も縋る。どんなに追い求めても、ここにいる魔女は目の前の少女の力にはなれない。


 アメリはついに目を伏せ、まぶたを閉じた。美穂の視線から、逃げる。


「もう既に私は、悪い魔法使いよ。美穂にとってのね。だって、あなたの一番の願いを叶えられないんだから」


 美穂の手から、力が抜けていく。手が離され、そっとアメリは目を開けた。


 やはりと思ったが、美穂は泣いていなかった。人形のように顔面蒼白で、表情がなかった。心が抜け落ちてしまったようだった。今にも涙の零れそうな目をして、泣き出しそうな声をしているのに。


 泣かないのだろうか。泣けないのだろうか。どちらにしても、今泣かなかったら、美穂の心は本当に無くなってしまう。


「願いは叶えてあげられないくせに、でも私はあなたに笑顔になってほしいと、そう思っている」


 自分の、ただの我が儘だ。だから今から使う魔法も、自分の為の魔法だ。そんなことに魔法を使うなんて、全然、良い魔法使いではない。アメリはひっそり自嘲しながら、小さく呪文を唱えた。


 美穂に向けて指を鳴らすと。美穂は驚いたのか、ぱちりと目を瞬かせた。その目から、一筋の涙が零れた。その事実に驚いたようで、涙を拭った美穂は動揺を露わにしていた。その間も、目から流れる雫は、次から次へと現れる。


 ずっと目元を手で擦っていた美穂は、ふいに、拭うことをやめた。代わりに両手で顔を覆った。指の隙間から、くぐもった嗚咽が漏れ出した。肩を震わせる美穂を連れて、アメリは箒に乗ると、空へと飛び立った。


 地上から遠く離れた空で、一人の女の子が泣いているなど、誰も思うまい。それから美穂は箒の上で泣き続けた。声を上げて泣いた。慟哭に、全ての感情と言葉をのせているような泣き方だった。

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