第5話

 よく眠れたかどうか聞いてきたアメリに、美穂は頷いて返した。次に味はどうかきいてきたので、これも大丈夫だと答える。


 昨日食べさせてもらったクリームシチューもそうだったが、アメリの作る料理はとても美味しくて、それは今食べている朝食にも言えた。


 トーストにスープにサラダ、そしてチーズの入ったオムレツととても豪華だった。美穂は夢中になって食べた。


「今日、お母さんに会えますね!」

「楽しみだねえ~」


 ヨルとクロが、にこにこと笑いながら言った。「準備はばっちりできているわよ」と、アメリがテーブルの上に瓶を置いた。その瓶の中には、薄い紫色の水と、それに浸かる白い星形の石が入っていた。石は昨日の夜見たときよりも、輝きがずっと増していた。


 昨日、初めて魔法をこの目で見た。驚きという感情を超えると、一切何も考えられなくなるのだと初めて知った。


 アメリが大釜をかき混ぜながら薬のようなものを入れていって、最後に呪文を唱えた一連の姿を、美穂は妙に冷静な頭で眺めていた。


 見ている間、波打ったように感情が湧いてこなかった。その間瞬きはほとんどできず、口もずっと半開きになっていたため、気がついたときには目も喉もからからになっていた。


 全てが終わって、案内された客間のベッドに潜り込んだ瞬間、一気に体の震えが襲ってきた。そして火がついたように、体全身が熱くなった。自分は冷静ではなかったのだと、今まで生きてきた中で一番興奮していたのだと、ようやく自覚した。


 明るい性格をしているアメリが、魔法を使っているとき、その雰囲気はがらりと変わっていた。近寄りがたさを覚えたし、得体の知れない恐れを抱いた。


 それ以上に綺麗だと思った。満天の星を見たときに感じるような神秘性と厳かさを感じた。そんな雰囲気を醸すアメリは、凄い魔法使いなのだと伝わった。そんな凄い魔法使いの力を借りているのだから、間違いなく母親は見つかるだろうと、美穂は強い自信を得た。


 朝食後、美穂はアメリに連れられて外に出た。アメリの隣には、横になった箒が低い位置にふわふわと浮いていた。昨日、あまり見た目の変わらない掃除用の箒を使ったが、やはり同じ箒でも全然違うと思った。


 アメリは瓶を両手に持って、勢いよく上下に振り出した。しばらく混ぜていると、瓶の中の石が眩い光を放ち始めた。


 するとアメリは瓶を空に掲げて、蓋を開けた。その瞬間、瓶の口から真っ白な光が飛びだした。星形の石は天高く空に昇っていくと、尾を引きながら、物凄いスピードでどこかへ飛び去っていった。


「あの、いなくなっちゃいましたけど?」

「あれでいいのよ。さ、こっちも行くわよ! 乗って!」


 アメリは箒の後ろのほうに跨がると、ヨルがアメリの肩に止まり、クロが柄の一番先端部分に飛び乗った。残された美穂は、空いている部分の柄に、そっと跨がった。


 足の裏に伝わる地面の感触が、ふっと消える。ふわりと、体全身に浮遊感を抱く。次の瞬間、箒は空へと舞い上がった。


「あの光、見える?」


 アメリが後ろから、真っ直ぐ指を指した。見ると、遥か向こうの景色に、光の柱のようなものが地面から伸びていた。


「あれが、さっき飛んでいった石の光。あの光の下に、美穂のお母さんがいるわ」

「あそこに……」


 言われて、改めて光の柱を見つめる。光そのものは非常に遠くにあるのに、柱の全容はくっきりと見えていた。


 天から地面まで一本貫く光。あそこに美穂の母親がいる。必ず迎えに来ると、ほんの少しだけ待っていてほしいと、そう言って背を向けた母親が。


「ちなみに、光は私達と美穂以外の人間には見えないから、安心していいわよ。それとさっきの朝食に透明化の魔法もかけてあるから、この姿が見つかって騒ぎになるという心配も無いわ」

「聞こえてないみたいですよ、アメリ」

「ま、まあ無理もないわね……。そうと決まれば、少し飛ばしましょうか! 風が邪魔をしなければ、三十分もかからずにつくはずよ!」

「安全運転でお願いね~……。落ちるのとか絶対嫌だもん……」


 アメリとヨルとクロの会話が、美穂の耳を通り抜けていったときだった。顔に強い風を感じた。顔だけでなく体にも感じた。


 昨日も箒に乗ったが、昨日とは時間も位置も違う。昨日は夕方だったのに対して今日は朝だし、アメリの後ろに座っていたのに対して今日は前だ。それだけで、見える景色がまるで異なっていた。


 青い空が、弓なりに果てなく広がっている。下に行くほど薄く、上に行くほど濃くなる青色は、見事なグラデーションだった。浮かぶ白い雲が、良いアクセントとして添えられている。ふんわりとした見た目の雲は、地上から見るよりずっと近いせいで、手を伸ばせば本当に届きそうだ。


 下を見れば、家が、ビルが、道路が、面白いほど小さく見えた。町並みが作り物のように映るのは、道行く人の姿が小さすぎて、全然見えないからかもしれない。ジオラマ模型の町に迷い込んでしまったようだと思った。


 こんな世界があるのかと、美穂は思った。目に映る景色の全てが、色鮮やかだった。2年前に母親と別れて以降、周りの色はずっと暗かったのに。


 町を見下ろしていると、ふとすぐ隣から高い声が聞こえてきて、顔を上げた。箒のすぐ隣を、数羽の鳥が羽ばたいていた。


 いつも地上から見上げる鳥の姿はどこまでも遠くて、すぐすり抜けていくほど遙か彼方にある存在だった。


 それが今、羽の先から足の形、目の色まではっきり見える程、近くにいる。よく観察しようとして軽く身を乗り出すと、その瞬間バランスを崩した。「危ない!」とアメリが腕を引っ張って支えてくれたため、落下は免れた。


「ちゃんと掴まっていなさい! 落ちたら助けるけど、万一魔法が間に合わないってこともあるんだから!」


 慌てた様子で叱ってくるアメリに、これは自分が悪いので、ごめんなさい、と素直に謝る。


「気持ち良くて、つい。これが、いつもアメリさんの見ている景色なんですね」

「まあね。私のもともといた世界では、箒に乗って移動なんて当たり前の光景だったから」

「こちらの世界で言う自転車と同じようなものなんですよ、空飛ぶ箒は」

「だから乗れない人はとことん乗れなかったりするんだよ……。アメリも最初は全然乗れなくて落ちてばかりで……」

「わー! それは言わない約束よっ!」


 アメリがばたばたと取り乱した影響か、箒がぐらぐら揺れた。揺れる視界の中、美穂は真っ直ぐに、天に昇る光を見据えた。

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