第4話
アメリにとって、家事は苦手なものだった。単純に、やるのが面倒というのが理由である。
掃除や洗濯など、いずれまたすぐ汚れると思うと、綺麗にするのに労力をかけることが億劫になってしまうのだ。そんなだから仮に魔法で済ませようとしても、失敗に終わる。大抵の魔法は上手くできる自信があるが、家事の魔法だけは、どんなに頑張ってもできる気がしなかった。
しかし今、アメリは家事の魔法を華麗にこなす者を、間近で目にしていた。厳密には、魔法ではない。それを使っているものは人間だからだ。
掃除をすると言って、長い間使っていなかった掃除用の箒を取り出した美穂は、それを使ってきびきびと動き始めた。大人しい印象の強かった美穂だが、それがひっくり返るほど、掃除を始めた彼女の働きはてきぱきと無駄がなかった。
天井の蜘蛛の巣を落とし、箒で床を掃き、更に水で再び床を拭いた。リビングではなく、廊下やキッチンのコンロの油汚れや、シンクの掃除まで行った。
窓も磨いてくれたし、床に散らばっていた衣類の洗濯までこなした。みるみるうちに家が本来の輝きを取り戻していく様は、まさしく魔法としか言いようがなかった。
「洗濯、終わりました」
濡れた衣類を洗濯籠に入れて、美穂がリビングに戻ってきた。それを風の魔法で乾かした後、アメリはヨルとクロと共に、改めて美穂に礼を述べた。
「ありがとう、美穂! この家がこんなに綺麗になったのは、ここに家を建てたとき以来よ!」
「ええ、まさに生き返ったかのようです!」
「お家でのお昼寝がしやすくなったよ~、ありがとうねえ~」
「どういたしましてと。もっと定期的に掃除をするべきと思いますよ」
口々に褒めても、美穂は一切表情を変えなかった。その時、壁の鳩時計が突然鳴った。美穂は視線を窓に向けた。その窓の向こうは真っ暗に染まっていた。時計を確認すると、日の入りの時刻をすっかり過ぎてしまっていることに気がついた。
「いけない、すぐに送るわね! 美穂の暮らしているっていう叔母さんの家はどこ?」
「いえ、いいです。さっき携帯で友達の家に泊まるって連絡したので」
手のひらを顔の前で振った美穂に、でも、と返したときだった。小さな動物の鳴き声のような音が、微かに聞こえてきた。美穂は片手をお腹に当て、俯いた。
「アメリ。今日はもう遅いですし、どうせなら泊まらせてあげたらどうですか?」
「お腹も空いているみたいだしね~……。美穂ちゃん、一緒に夕ごはん食べようよ」
見かねたように提案してきたヨルとクロの意見に、アメリは迷った。しかし本人に聞いてみたところ、それでいいとばかりにこくりと頷いた。結局アメリは、美穂を家に泊まらせることに決めた。
「そうと決まれば早速夕食を作るわね。私、料理だけはできるのよ! 美味しいものはいつでも食べたいからね!」
「でも、後片付けは苦手なんですよね?」
「そ、それはまあ……」
美穂によるずばりとした指摘を受けて、アメリはそそくさとキッチンに逃げ込んだ。
魔法を使って料理を作ると意外と疲れるため、料理の際には魔法を使わないのがアメリの主義だった。できあがった夕食をリビングに運ぶと、そこに美穂はいなかった。
ヨル曰く二階の掃除をしていたようで、クロに連れられて階段を下りてきた。美穂はテーブルに並べられた夕食を見て、わずかに目を丸くした。
「あら? クリームシチュー、嫌いだったからしら?」
「違います。ただ、魔女の作るシチューって、なんというかこう……カエルとかトカゲとか虫とか入っている、紫色と緑色の混じったみたいなものかなって思ってました」
「なんていうゲテモノよそれは!!」
「悪い魔女ってそういうものを食べているイメージなので、つい。お母さんが作る魔女の物語って、必ず良い魔女と悪い魔女が出てくるんですけど、その悪いほうの魔女の好物が、虫とかが生きたまま入った不気味なシチューなんですよ」
「ちょ、ちょっと、美穂にとって私は悪い魔女のイメージだったの?」
「もしそうだったらっていう話ですよ」
だとしても心外だ。自分は悪い魔女になるつもりはないし、むしろ良い魔女になろうと決めているのに。
とにかくスプーンを渡すと、すみませんと美穂は一礼し、受け取ったスプーンでシチューを一口啜った。味わうように口をほんの少し動かした後、ぴくりと肩を跳ねさせ、その後動きを止め、シチューを凝視し始めた。
「あ、あら? 不味かったかしら?」
「うーん、いつもと同じ味に感じますがね?」
「熱かったんじゃないの……? 俺も猫舌だからわかるよ」
熱いものが苦手なクロは、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながら言った。が、美穂は首を横に振った。
「違います。あの……とても美味しいです。美味しすぎて、びっくりしてました。本当に、凄いと思います」
美穂はもう一口シチューを口に運んだ。ほとんど表情を変えない美穂だが、注視していると、一見無表情に見えるその顔が、ほんのわずかに綻んでいるのがわかる。アメリは満足して、「良かったわ」と微笑んだ。
美穂は少し柔らかい眼差しで、スプーンに掬ったシチューを見ながら、ぽつりと呟いた。
「このシチュー、作れるようになりたいな……。お母さんにも食べさせてあげたい」
「あら、そこまで気に入ったの? だったらレシピを教えてあげるわよ」
美穂は一人言のつもりだったようで、虚を突かれたような顔になった。その間にアメリは魔法で紙とペンを取り出し、シチューのレシピを書いて美穂に差し出した。美穂は戸惑いながらも、レシピのメモを受け取った。
「あ、ありがとうございます。でも、その、私はあまり料理をやったことがなくて……」
「でも、他の掃除や洗濯とか、完璧にこなせているじゃないの。あなたほどの腕の持ち主だったら、きっと料理も、すぐにできるようになるんじゃないのかしら?」
「えっ、そうですかね……?」
美穂は、渡したレシピを見つめた。ぽかんと呆けていたが、すぐに頭を下げてきた。
「自分ではよくわからないですが、でも褒められたことは素直に嬉しいです。いつかお母さんが迎えに来てくれたときの為にって、掃除や洗濯は頑張って覚えたので」
「あら、凄いじゃないの! 私は掃除とか全部苦手だから、頑張れるって尚更尊敬しちゃうわ」
「ありがとうございます。お父さんと別れて、お母さんと二人きりで暮らしてた頃、家事を私が代わりにやってあげたら、お母さんも少しは楽になるのかなって、ずっと思ってたから。やっぱり料理も、覚えておいたほうがいいですよね」
静かな口調でそう言った後、美穂は丁寧にレシピのメモを畳んで、服のポケットにしまった。
本当に母親のことが大好きなのだなということが伝わってくる。あからさまな態度には出ておらずとも、言葉の節々から、それはわかる。ならばこちらとしても、しっかり仕事をこなさなければと、アメリは密かに決意を固めた。
夕食を済ませた後、アメリは美穂に、母親の持ち物を持っていないか尋ねた。そうすれば、今回使う予定の魔法の手順がかなり省けるからだ。美穂は少し考え込んだ後、ちょっと待ってて下さいと、自分の持っていた本を持ってきた。
その本のページの中程に挟んである栞を取り出した。その栞は紫色を基調としており、月と星と、そのすぐ下を、とんがり帽子を被って箒に跨がる魔女のシルエットが刺繍されていた。
「お母さんが私にプレゼントしてくれたものなんですけど、これで大丈夫でしょうか」
「ええ、構わないわ。少し時間はかかるかもしれないけれど、充分よ」
アメリは丁重にその栞を受け取った。
「じゃあ、お風呂場を貸してあげるから、良ければどうぞ。あと寝るときは、二階の客間を使ってちょうだい」
「アメリさんは?」
「私は今から、美穂の母親を探すための魔法の準備をするから」
すると美穂は、一歩分足を踏み出してきた。
「あ、あの。それ、見ていていいでしょうか? 絶対に邪魔はしませんので」
「えっ?」
アメリはふたりの使い魔と顔を見合わせた。そうしてから、互いにふっと破顔した。実は、そう頼まれるのではないかと思っていた。魔法の物語が好きなら、魔法そのものへの興味もあるだろう。
いいわよ、と返すと、美穂は礼を述べた。相変わらず無表情だったが、その両目は確かに輝いていた。
大きな魔法を使うときは準備が必要で、それ専用の部屋がこの家にはある。それが、天井裏の部屋だった。美穂も、ヨルとクロに止められたため、その部屋だけは掃除していないし、入ってもいないという。
鍵を開けて、その部屋に案内すると、美穂は面白い程に目をまん丸くさせた。
天井まである高さの戸棚や本棚に、テーブルの上にたくさん置かれたフラスコやビーカーなどの実験器具と、色とりどりの液体の薬。そして部屋の中心に鎮座する、かまどと黒色の大鍋。
魔法使いにとっては至って平均的なデザインの実験室だが、人間の美穂からすれば、呆気にとられてもおかしくない。
アメリはヨルとクロに、窓を開けるように命じた。ふたりは天井付近の窓を、手足やくちばしを器用に使って開け放った。
窓からは、ちょうど月が見えた。月の形は、綺麗な満月だった。アメリが部屋の明かりを消すと、月の柔らかな光が一層目立った。
「月、特に満月の力って言うのはとても強いものなの。だから満月の日に魔法薬を作ると効果が上がるし、更に月の光を入れながらだと、もっと強力になるのよ」
説明をすると、美穂は納得したように何度も頷いた。
「魔女と満月って、やっぱり似合いますね」
「そういうこと。さて、危ないから少し離れたところで見ているのよ?」
アメリは大釜に近づき、中を覗き込んだ。釜の中には、透明な液体が並々と注がれている。その水面にちょうど、窓を開けた先に浮かぶ月が映り込んでいた。
その釜の中の液体に、アメリは次々と薬を入れていった。フラスコやビーカー、試験管の中身や、戸棚から取り出した、紙に包んである様々な粉末状の薬。
それらを、近くの壁に立てかけてあった長い木の棒を使ってゆっくりかき混ぜながら、投入していく。美穂の目から見れば、でたらめかつ適当に入れていっているように映っているだろう。しかしきちんと配合や入れる順番は守っている。
「相変わらず雑な作り方ですね~」「アメリは適当だから……」というヨルやクロの野次は、今は相手にしないことにした。
一つ薬を入れる毎に、釜の液体は桃色や水色、黄緑色やオレンジ色へと、様々な色に変化していく。その色が、淡く煌めく半透明の紫色になったところで、アメリは預かっていた美穂の栞を、釜の中に投げ入れた。
あ、と驚いたような美穂の声が耳に届く。沈んでいく栞を見ながら、アメリは水面に向けて、手のひらを掲げた。
「――***、**、*****――」
人間界の言語ではない言葉は、美穂にはどう聞こえただろうか。呪文を唱え終わると、途端に大釜に変化が訪れた。
ぱちぱちと、火花が散るようにして、小さな星の欠片が水面から跳びはね始めたのだ。そのタイミングで、今までよりも強く大きく、釜をかき混ぜる。
星のジャンプはどんどん激しくなっていき、飛び跳ねる毎に暗い室内全体が明滅した。やがてそれらの動きが最高潮に達したとき、真っ直ぐ上に向かって、釜から何かが飛びだした。一つは美穂の栞で、もう一つは直径十五センチ程の大きさをした、白く光る星形の石だった。
両方を受け止めたアメリは、星形の石のほうを、釜の中の液体と共に透明な瓶の中に入れ、蓋をした。
「あとはこれを、満月の光に一晩当てれば完成よ」
栞を美穂に返そうとして、ふと彼女の様子がおかしいことに気がついた。
食い入るように少しだけ前のめりになって目をしっかと見開いたまま、まるで微動だにしない。
顔の前で手を振っても反応が無かったため、仕方がないので耳元で大きく両手を打ち鳴らすと、美穂は声を上げて飛び跳ねた。ようやく我に返ったらしき美穂は、何度も目を瞬きしていた。
「どうだった、私の魔法は?」
ふふっと笑いながら聞いてみる。美穂は目を擦った後、言葉を探すように視線をさ迷わせた。
「その……物凄く、魔法っていう感じがしました……」
美穂の声は少しだけ震えており、まだ半分程意識も呆然としているようだった。あまり感情の読めない美穂がここまで驚いてくれるとはと、アメリは満足した気持ちを抱いた。
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