明日死ぬなら何食べたい?

すきま讚魚

鮭茶漬けと白菜漬

「あーハラへった」


 誰もいない部屋、一人暮らしの部屋。

 眠れなくなって天井を見つめたままそう独りごちる。


 調整に入って3日目。激しいスパーリングはもうできなくて、マスとストレッチ、あとは軽くミット打ちをして感覚を鈍らせないようにしたら、ひたすらサウナスーツを着込んでランニングをする。


 朝起きてサプリメントを飲んで13キロのロードワーク、そのままアルバイト。

 ふらっふらのまま、限界が来そうだと感じたら飴玉をなめて炭酸水を飲む。

 バイトが終わればそのままジムに行って練習、終わったらまた5キロから8キロのロードワークだ。


 試合前にだけ買う、ちょっとお高いリカバリー系のプロテインを口にすると、今日の食事が終わる。


れつ、お前ちゃんと落ちてんの?」

「あと1.3キロっすよー」


 試合二日前くらいまで、水がちゃんと飲めるタイプの俺は先輩ボクサーに嫌味を言われがちだ。


(顔の肉が落ちにくいとは言われてっけど、自分が水もマトモに飲めねーからって八つ当たりするあんたらより、よっぽどちゃんと無理なく調整してますよーだ)


 プロボクシング。テレビで生中継される華やかな世界戦の世界は本当に一握りで、多くのボクサーがアルバイトをしながら日々死にものぐるいで練習している。


 バラエティ番組に出られたり、たまたま試合がテレビ放映されれば奇跡だ。


 試合に勝てばヒーロー、負ければ皆が離れて行く地獄。

 拳二つでただ殴り合う、こんなシンプルな世界ってないと思う。



 試合まであと4日。計量まであと3日。

 普段55~56キロ前後の俺は、ミニマム級の47.62キロまで絞る。

 キツいのは49キロを切ってからだ。


「試合終わったらさ、何食べたい?」

「これだけは絶対食べたいってもの何?」

「あれでしょー、ケーキとかさ焼肉とか食べたいでしょ?」


 うん、よく聞かれる。

 俺もはじめの頃はさ「甘いパンが食いてぇ」とか「とんかつ食いてーなー」とか、先輩と「終わったら大盛りラーメン行こうぜ」とか言ってたよ。

 ボクサーってアホなんだよ。なんでか。大抵試合前には、普段見もしねーグルメ雑誌とか買って読んじゃうんだよ。終わったらこれ食おうとか、ここ絶対行ってやろーとか。

 脳みそドMで、肉体ドSじゃねーとやれねー競技だよなって、これも割と皆言ってる。


 んでさ、試合終わったらさ。別にどーでもよくなんのよ。

 超いい焼肉行ってやろうって思ってても、格安の食べ放題でいいし。回らない寿司屋に行ってやろうとか思っても、100円寿司とかで済ませちまう。


 結局、自分を奮い立たせるためなんだよなって、こうやって日本ランカーなんて入ってからなんとなく思うようになった。


 試合前、空腹よりもぶっちゃけ俺が怖いのはプレッシャー。

 自由席で3000円、指定席なら5000円から1万円、そんな席のチケットを買って観に来てくれるお客さんに、チケット代分の試合を見せられるのかって。

 その恐怖から逃れられるんなら飯なんて食わなくたって全然いい、空腹よりもプレッシャーに押しつぶされそうになって眠れなくなるんだから。


 だって、そうだろ?

 試合が決まって、2週間後なんてバカみたいな時もあるけど、大抵最低1ヶ月は準備期間があるんだ。その間に走り込みして、血反吐吐いて練習して、スパーリングもガンガンやって。


 でも、試合は3分×8ラウンド。たった24分の間に、そのかけてきた膨大な時間に決着がついてしまう。


 たった一発の差で、リングに転がっているのは俺かもしれない。大怪我して、二度と立てなくなるのは俺かもしれない。

 でも、そんなことよりも。そんな短い時間でこの死にものぐるいの練習が簡単に白黒つけられてしまうのが、片方の手しか上がらないのが……怖い。


 嫁さんがいる人や、カノジョと同棲してる先輩なんかはさ、この間も一人じゃなくてさ。メンタル面も食事面もサポートしてもらえんだよなぁ……そう思うとなんか情けない。




 ……腹減った、お湯飲もっかな。


 ああ、何食べたいってさ、米食べたいんだよな。やっぱ俺日本人なのよ。


 ケーキとか、焼肉とか、寿司とか、ラーメンとか。

 うまいよ、うまいけど。


「人生最後の一食、何食べたい? あー、それくらい好きな食べ物ってことね」


 これ割と皆、ボクサーに限らずさ、減量のあるスポーツの選手に聞くよね?


「冷やご飯と鮭のお茶漬け。ばあちゃんの白菜漬……」


 ……そんなんでいいの?

 笑う奴多いしそう言われるけどさ。お前ら知らねーだろ、「水飲めてた時は最高に幸せだったな〜」なんて思う減量末期の時、浮かぶ食べ物って本当シンプルなんだよ。


 あれ? 俺だけかな?




***




「烈、もうおばあちゃん達と一緒だからね。好きなだけご飯は食べていいんよ」


 両親に捨てられた俺は、ばあちゃんとじいちゃんの元で育った。

 まだ四つか五つの頃だ。白ご飯をおかわりできるなんて夢みたいな話だった。


 ばあちゃんは、俺がご飯をおかわりするとすげー嬉しそうな顔をする。

 じいちゃんも、酒の肴にしていたおかずを分けてくれた。


 時々、ばあちゃんの買い物が間に合わないと、前日に炊いた冷やご飯が食卓に並ぶ。「ごめんねぇ」とばあちゃんは言っていたが、俺はその冷やご飯に熱々の緑茶をかけて食べるお茶漬けが大好きだった。


 のりと、わさびと、ばあちゃんがつけた白菜の漬物。

 シャキシャキとした食感と冷たいご飯に熱い緑茶、醤油をたらして食べるとものすごくうまい。


「烈はお茶を入れるのが上手やねぇ」


 ばあちゃんの好きな緑茶のお茶っ葉を替えて、新しく出したそれを自分の茶碗にも注ぐ。その時間が大好きだった。


「烈、鮭カマ食べるか?」

「鮭カマ?」

「ん、鮭の顎の部分や。脂がのってんまいんぞ」


 じいちゃんが分けてくれた鮭カマ。本当は、晩飯に米粒を食べないじいちゃんの大切な酒の肴。俺は当時そんなこと全然わからなくて、とろっとした食感がたまらずに箸でほじくり出して皮まで綺麗によく食べた。


 鮭茶漬けの素っていうのが美味しくて、休みの日にじいちゃんの運転する車で買い物に行けばよくねだった。

 そしたらある時思いついたんだよな、鮭の切り身を入れたらお茶漬けはもっと旨くなるんじゃねーかなって。


 これが大正解でさ。

 鮭カマはもう超贅沢な味。緑茶のほんのりした苦味に鮭の脂が溶け出して、柔らかくなったご飯と一緒にかきこむ。

 ばあちゃんの出してくれた白菜の漬物も一緒に口に入れれば、シャキシャキととろっとろが一緒に喉から胃袋を温めながら通っていく。




「あー、明日死ぬならお茶漬けが食べたい。白菜の漬物と……贅沢言うなら鮭ものっけて」



 水すら飲めなくなる計量前日。

 残り300グラムを落とすために献血に行く選手だっているくらいだ。

 なんでここまでして頑張るんだろ、本当、ボクサーってドMなんだろうな。

 意地なのかもしれない。負けたくない、それだけの意地。


 リングで自分の手が上がれば。

 生きててもいいんだよって言われてる気がするから——。


 もしかしたら、勝ち負けじゃなくて。

 人生のテンカウントを聞くかもしれないその日に。




***




 じいちゃんが死んだ。

 試合の、三日前だった。


 家出してまでボクサーになった俺を、恥ずかしいから帰ってくんなと親戚の連中は言った。


 やっと掴んだ世界戦の前座、テレビ局も入る。完全アウェー。

 っていうか、計量通知見たら規定体重が違った、相手は上の階級だったっていうお笑いぐさ。

 

 丸一日水を飲まず、サウナに入って唾を吐きながら体重を落として。

 秤の針が俺の思っていた正規のリミットで止まる。

 まあ、そうだよね。余裕でクリア。まずは一つ安心して深呼吸。


 体重計を降りて、買っておいた経口補水液をがぶ飲みした。




「烈、大舞台前だし焼肉行くか」

「いや、俺はいいっす」


 同日に試合の先輩達と、トレーナーとで計量後に飯に行こうと言うけれど、俺はきっぱり断った。

 皆は気を遣ったかのように「ゆっくり休めよ」と言って駅に残る俺を背に去って行く。

 別に一人になりたかったわけでも、騒がしく飯を食いたくなかったわけでもないけど。ナーバスになってる皆のその空気に乗っからせてもらう。


 断った理由は実は他にあって。デビュー戦の時、同じように「エネルギーをつけとけ」と焼肉を食いに行って試合当日足が攣ったからだ。

 塩分も水分も抜いたカラッカラの身体に、いきなり塩辛いものは俺の体質は受け付けなかったらしい。


 フルーツジュースとバナナを半分、飲みたくなったら水を少しずつ。

 時間を置いてカステラを半分。

 

 米は一合だけ炊いて、半分おじやにして、半分は冷蔵庫に入れる。


 食いたくても、試合が終わるまではそうやって消化にいいものを少しずつ口に含んだ。




 ドアウェイの中、歓声がほとんどない中。俺の手が上がった。

 ヒーローインタビューなんてない、だって俺は所詮前座で、勝つことを望まれていなかった側の選手だからだ。


 だけどそんなのどうでもよかった。




「じいちゃん、勝ちました」


 日本一位だってさ、ランキング上がったよ。


 返事のない一人の部屋で、コンビニの袋を開ける。

 カマの一切れ入った焼き鮭のパックと、白菜の漬物。


 冷蔵庫に入れていた冷やご飯を少し温める。鮭も温めた。


 ご飯にお茶漬けの素をふりかけ、鮭のカマをほぐしてのせる。

 ケトルで沸かしたお湯を注ぎ、わさびをほんのちょっと。


 顔には大きく青アザができたけど、口ん中を切らなかったのは今回大正解。


 とろっとした脂身と、お茶漬けの素の塩気。柔らかくなったご飯と味の溶け出した汁を一緒にすする。


 五臓六腑に染み渡るとはこの事だ——。


 楽しみにしていた白菜のパックを開ける。

 味付けの違う漬物、アミノ酸調味料の入った味のする漬物に醤油をちょびっと。


「んめぇ……」


 ガツガツ食べても、もういいんだ。

 明日は休みだから、顔が腫れてもいいし、足がむくんでもいい。


 明日もし死ぬなら、人生最後に食べる飯はこれがいい。

 鮭が乾燥フレークじゃなくて切り身で、しかもカマなら最高に贅沢だ。


「ばあちゃんの白菜漬、食いてーなぁ」



 俺にとって世界一うまい食べ物は、記憶にあるそれよりも少しだけしょっぱく感じた。

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明日死ぬなら何食べたい? すきま讚魚 @Schwalbe343

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