弓チョコ

 一歩。

 私の脚の長さだと、大体55㎝くらい。


 疲れるから、1日にそんなに歩けない。10㎞? 15㎞? そのくらい。


 この大地を。


「おっ。あの『でっかい山』の麓にようやく着いた。見えてから1週間掛かったなぁ」


 地図は無い。だから、地名も付けられていない。勿論道は整備なんかされてない。私はこの1週間、あの『でっかい山』を目印に歩いてきた。明日からはあれを登る。頂上で、次の目印を探そうと思っている。


「……よし。休憩。キャンプ張ろ」


 荷物は少ない。大体の物は現地調達できるからだ。寝床と、水と火と食料。この辺りは動物はあんまり居ないみたいだ。毒草や虫も見ない。気温も少し低い。明日に備えて、今日はゆっくりしよう。


 陽は、沈まない。消えるんだ。消えると夜。そして数時間後に点く。すると朝。


 私達の世界は、球形の内側にある。その球の中心に太陽と呼ばれる光球があって、一定間隔で明滅してる。それが昼と夜を分けている。


 球形と言っても、物凄く大きい。地平線を見ても真っ直ぐに見える。どこまでも続いている。空気の層があるから無限には見渡せないけど、歩いて1週間先の山くらいなら全然見える。


 そして。球形であるというのは予想に過ぎなくて、未だ誰も、一周できないでいる。実際に球形の内側だと証明はされていない。


 空へ真っ直ぐ飛んでいくと、太陽を越えて、反対側の地面に落ちる。地面を真っ直ぐ掘り進むと……それは分からない。

 重力がどうなっているのか。誰にも分からない。誰も知らない世界。


「……ふう。こりゃまた、1週間かなあ」


 翌日から、山を登り始める。一歩、一歩。斜面だと、歩幅は狭くなる。私は身長が低いから、より進むのがのろい。

 この『でっかい山』はどれだけあるだろう。何千メートル? 気温はどんどん低くなる。


 この旅を始めたのは。別に冒険家になりたかった訳じゃない。世界一周の名誉が欲しい訳でもない。

 なんというか、ひとりになりたかったのだ。


「…………わぁ。見えなかったんだ」


 『でっかい山』を登る過程で。その向こう側を見る機会があった。

 『でっかい山』で隠れていた向こう側には。

 さらにさらに、物凄く大きな山があった。


 物凄く、遠くに。何万メートル? 距離感が麻痺する。透き通る空気。山の上からどこまでも見渡せる。私はこの景色が好き。旅を始めるまで、知らなかった景色。知らなかった『好き』。


「行こう。あれ登ろう。もっと良い景色になる」


 私は即断で反対側に下山することを決めた。あの『超でかい山』が今度の目的地だ。人類の支配領域全部を、何百個入れても足りないくらい大きな山。こんな山見たことない。


「…………風?」


 唸り声のようなものが聴こえた。あの『超でかい山』からだ。最初は風だと思った。けど違う。

 雲が掛かった。そこから伸びるように、巨大な蛇の頭が出てきて。『超でかい山』にとぐろを巻いた。


「……………………竜だ」


 少し、あ然とした。あの生き物は。蛇じゃない。角も見える。『ここから』見えるんだ。どれだけ大きい? 何十万メートル?


 あの『超でかい山』には竜が棲み着いている。しばらく放心したように眺めていると、竜はまた雲を呼んで、空へ。太陽の方角へと消えていった。時間にすると、数分の出来事だった。


「…………行こう」


 危険だ。だけど。行くと決めた。何をどうするなんて考えていない。けど行く。

 まだ、ドキドキしてる。あんなの。人間の街に居たら一生見られない。知らない。人間の国は安全だから。あんなのは居ない。居るなんて教わらない。


 1ヶ月。まだ『超でかい山』にすら辿り着かない。ずーっと、平地。水場と草食動物、自然の野菜があったから、ずっと旅は続けられる。気温は低いけど、竜が来る時以外は雲は掛からず晴天で。夜は少し寒いけど、動物の毛皮は暖かい。


 2ヶ月。まだ着かない。凄い。本当に、感覚が狂うくらい大きい。遠い。もう、最初の『でっかい山』は空気の層が厚くなって見えなくなった。けれど、目の前にある筈の『超でかい山』は悠然と聳えている。


 3ヶ月歩いて。ようやく辿り着いた。大きすぎると、3ヶ月先まで目視できるんだ。想像つかないほどの巨大さ。ここから見上げると首が痛くなるくらい。


「よし」


 この3ヶ月で。竜は5回、やってきた。何をしているのかと観察した。けどよく分からなかった。山頂付近は雲で覆われてたし、何もせず休んでいるようにも見えた。

 前に竜が来たのは、つい一昨日。次に来るまで時間がある。その間に登って、待っていようかな。登っている途中に来ちゃうと、私が潰されちゃうかもしれない。


「行こう」


 なんにせよ。心に決めている。次の目印……目的地は。この『超でかい山』を登ってから探すと。


 1年。登り始めて1年経った。

 竜も3ヶ月に5回のペースでやってきている。竜の来る日は、山は大荒れになる。雲と一緒に来るからだ。『でっかい山』から見た時は何も見えなかったけど、実際ここまで来ると、大嵐だと知った。雨と風と雷がごうごう轟く。竜の鳴き声……唸りも凄い。

 この『超でかい山』を登るには、竜の出るタイミングを予測して素早く防御態勢を整えなくてはいけない。たった数分の日もあるけど、数日居座ることもあった。

 まだ私は、竜の居る所まで登れていない。居ない間に登るのは不可能だ。


 2年。この『超でかい山』と竜に慣れてきた。もう竜の降りてくる高さまで来てる。一度、触れる所まで接近できたことがある。すぐに風で吹き飛ばされたけど、あれには興奮した。

 竜はまだ、私を認識していないみたい。それか、認識はしているけど小虫くらいにしか思っていないか。


 なんというか。私の目的はこの竜に『認めさせる』というものに変わっていた。この竜にはもう愛着というか。尊敬というか。上手く言い表せない感情を抱いている。なんとかその頭まで行って。目の前で。『こんにちは』と言いたい。


 竜は荒々しく登場するけれど。紳士だと思う。……これも上手く説明できないけれど。だってまだ、私が死んでいないのだ。ここまで山を登って、接近しても。竜が一度でも身震いすれば私は即死するというのに。

 いつも同じような位置でとぐろを巻いてくれるから、私は安全地帯を覚えて登っていける。嵐にさえ気をつけていれば。


 まだだ。まだ、尻尾の方だ。まだまだ登らないと。


 3年経った。この山を登る間に私は成人したことになる。少しだけ両親を思い出したけど、多分元気にやっていると思う。家業は弟が継ぐから、心配無い。私は多分もう、戻れない。一生、人間の地域には。地図も無い。距離も分からない。来る所まで来てしまったから。


「…………うっ」


 まだ、『超でかい山』の中腹だと思うけど。この頃になると、竜の動きが私に影響してくる。

 ぐるぐるに巻いている身体から、尻尾の先が伸びてきて。私の目の前にどんと落ちる。どんどんと地面を叩いている。ぶっとい尻尾。家くらいある。音と衝撃と風圧が凄い。


「……今日はこのくらいか」


 前回は、1週間前に現れた。なんだか竜が現れる間隔が短くなっているような気がする。私が山へ入ったから?

 そもそもこの山はなんだろう。竜にとって何か特別なのかな。


 それから、遂に。

 いつもなら数分、長くても数日で居なくなっていた竜が。もう2週間も離れない。私はここから、登ることも降りることもできなくなった。竜の長くて大きい身体に囲まれた。嵐は止まない。偶然見つけた洞窟で風を凌ぎつつ、嵐……竜が去るのを待つ。待ち始めて、2週間。


「……凄い風。音」


 洞窟には清水が染みていたし、蛇や高山動物も居たから一応長期間の生活はできそうだけど。洞窟から出られなくなってしまった。


 どん。


「わっ」


 急に暗くなった。入口が塞がれたんだ。

 どんという音は、その音だ。


 竜の尻尾だった。

 私を追ってるんだ。それが分かった。


「…………?」


 けど。

 なんというか。これも説明が難しい。

 その尻尾は私を探しているみたいだったけれど、私を食べようとか、殺そうという『感じ』はなかった。ただ、位置を特定したいみたいに。触っても大丈夫なくらい、ゆっくりうごうごと動いていて。


「…………行っちゃえ」


 近付いて、遂に触ってしまった。


「あっ!」


 硬くて分厚い鱗。感動した。竜に触っている。


 と。突然。


 私は罠に掛かったんだ。勢いよく伸びてきた尻尾が私に巻き付いてがっちりと掴み。

 洞窟から一気に引き抜いて、急上昇。雲を突き破った頃には私はぐしゃぐしゃに濡れていた。


「…………!?」


 強引に。だけどきっと、竜にとっては優しく。次に目を開いたら、その大きな大きな、湖ほどもある瞳に捉えられていた。


「……こ、こんにち、は……?」


 俺をこそこそ嗅ぎ回っていたな。どんな面をしているのか。なんだ小粒の人間ではないか。


 ……そんな『感じ』だった。


「わっ。…………乗せてくれるの」


 ポトン、と。私を掴んだ尻尾はそのまま竜の頭部まで来て、離した。竜の角は2本、頭の側面に生えていて。その内右側の角に寄り掛かって私はバランスを取った。

 角の大きさは恐らく人間の世界の一番大きな建物……ビルと同じくらいだ。それがふたつ、乗っかっているのが竜の頭。


 ふと。

 視界に入る。

 津波のように。


 標高……推定数十万メートルの頂上の、遥か高みにある竜の巣の、さらに高部にある竜の頭の上から、雲を突き抜けて見た、景色。


「わあ……」


 この世で最も。恐らく人類史上では最も太陽に近い場所。


 世界は、『丸かった』。それを肉眼で確認できた。

 円形になっている大地。その内側に、森や湖、岩が生えている。雲も、大地に沿って流れている。太陽が円の中心点で。この世界はやっぱり。

 球体の内側にある世界だった。


「…………わわ」


 私を乗せたことを確認すると、竜はぐるると大音量の唸りを上げて。ごごごと身体を揺らす。飛ぶんだ。それが分かった。この竜は。


 私を乗せたくて、待ってくれていたらしい。


「……お願いっ」


 荷物も食料も全て、洞窟だ。けれどもう要らない。分かったからだ。


 次の目的地が。


「…………どこへ行くの? どうして私を連れて行くの?」


 地面……いや。竜に問い掛ける。勿論答えは返ってこない。この竜がどんな生き物なのか知らないけど、言葉が通じるとは思えない。


 身体が、解き放たれる感覚があった。そうだ。普通は、こんな高い所へ来たら気圧が低すぎて死ぬ。でも、大丈夫だ。なんとなく。


 そんな『感じ』がした。


 食事も要らない。服も要らない。空気だって要らない。


「……太陽。そこが、あなたの目的地」


 あそこに何があるんだろう。どうして世界の中心で、浮かんでいられるんだろう。どうして一定間隔で明滅しているのだろう。


「いや……帰る場所、なのかな」


 この世界はなんなんだろう。どれくらい広いんだろう。ここは囲まれた世界。外側には何があるんだろう。どうやって今の形になったんだろう。重力はどうなっているんだろう。


 5年。10年。


 100年。

 きっと終わらない。


 一歩。大体55㎝くらい。私が初めに踏み出して、皆より先へ進んだんだ。


 私の旅。

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弓チョコ @archerychocolate

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