転 壱
私は先生の無事を確認したい一心でした。
夕暮れを待って、私たちは都の北方にある山に入りました。先頭を那由汰が歩き、その後ろを私。そして、阿部様が
北斗星を目印に山道を進んで行きますと、不意に那由汰が足を止めました。
「那由汰?」
どうしたのかと、私が背後から話しかけると、那由汰は前方を松明で照らし出しました。そちらのほうに目をやると青緑色に苔むした岩の間に洞窟が見えます。
ザザッ
その時です、左斜め後方から何者かが動く音がして、六尺ほどの黒い影が草陰から、私目掛けて飛びかかってきました。
私は驚いて声も出せませんでした。
「チッ!」
那由汰が太刀を抜き鞘を投げ捨てます。
しかし、影の動きのほうが早い。
黒い影――いえ、月光に照らし出されたそれは、大きな白い狗でした。 狗が私目掛けて飛びかかる――。
「ギャンッ!!!」
狗が高い声で吠えて宙を舞い、体勢を立て直して着地しました。
狗の声に驚いたのか、烏がギャアギャア鳴いて飛び立ちます。
狗の向こうでは阿部様が二本目の弓をつがえようとしていました。
狗の腹には矢が刺さったままでしたが、怯む様子はありません。
グルルと喉を鳴らします。
燃えるように真っ赤な目を見開いたかと思うと、眉間が縦に裂けました。第三の赤い目が開き、ぎょろりと阿部様を睨みます。紫色の妖気が陽炎のように狗から立ち上りました。
「ガァァァァァァァァッ」
大きく開かれた口から見える牙がメリメリと音を立てて長く突き出てます。
「おのれ、妖かし……」
禍々しい妖気に圧倒された阿部様は、第二の矢を狗に放とうとしますが、腕が震えて狙いが定まりません。
狗は阿部様の方に向き直り大地を蹴りました。阿部様の放った第二の矢は狗の発った後を虚しく空をきって闇の中に消えます。
――――――ッ
阿部様に襲いかからんとする刹那、狗の首が宙を舞いました。
赤い
那由汰は、狗の首の落とした太刀についた血糊をブンと振って落としました。
ザザザザザッ
狗の首を取ってほっとしたのも束の間、胴から離れた狗の首が――狗の首だけが地を這い進んで、那由汰の足元まで飛んできます。
虚を突かれた那由汰はバランスを崩してよろけました。
「那由汰!!!」
私が叫んだのと同時に、阿部様が動いた。腰の太刀をするりと抜くと狗の頭を目掛けて上から突き立てようと飛びかかりました。
狗の第三の眼がぎょろりと動いて阿部様を睨む。
狗は突然真上に飛び上がり、阿部様の左腕に喰い付きました。
阿部様の絶叫がこだまします。
狗は阿部様の腕を引き千切ろうと頭を左に振りました。
阿部様の左上腕が食い千切られたと同時に、体勢を立て直した那由汰は狗の第三の目に、太刀を深く突き立てていました。
吠えることもできないまま大きく口を開けて絶命した狗から、阿部様は右腕を使って、左の上腕部だけを引き抜きいて項垂れました。腕からはしとど血が流れています。
那由汰は眼から串刺しにした狗の頭を、太刀を振り回して投げ捨てました。
すると、生暖かい風がびゅうと吹いた。
地を這うような低い声が聞こえてきます。
「此ハ、我ガ腕デハナイ……。口惜シヤ……」
風は洞窟の奥から吹いています。
那由汰は声に引き寄せられるかのように、ぽっかりと開いた暗い穴に向かって、松明を掲げて進んでいきました。
那由汰も気になるが、手負いの阿部様の様子も気になる。
オロオロするばかりの私に向かって阿部様は
「私のことは気にせずに行け!」
と言いました。
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