起 弐

「お前、名前は?」


 那由汰なゆたは太刀を後ろに回して、峰を自分の首の後で担ぎました。そのまましゃがみ込み、私に尋ねます。


真人まひと土岐とき真人まひとと申します」


 歯の根が噛み合わず、ガチガチと音を鳴るのを抑えて、私は名乗りました。殺されると思っていた私は生きた心地がしませんでした。


「ふうん。真人か。言葉が違うがどこから来たんだ?」


「け……釼持けんもつの国から参りました」


「釼持?……どこそこ?」


「都から半月ばかり西へ下ったところでして……」


「都から半月?なんでまたそんな遠いところから?」


 私は自分が仏師であること、師事していた先生のこと、そして先生が都で行方不明になったことを話しました。


「……そりゃまたご苦労なこった」


 那由汰は私に言い、それきり黙ってしまいました。

 暗闇。沈黙。死臭。冷気。それから、自分の腹からこみ上げてくる胃液の苦味。

 五感すべてが「不快」で研ぎ澄まされ、息苦しくなる。ガンガンと頭痛もします。

 私は耐えきれなくなって、那由汰に話しかけました。


「あ、貴方様は……?」


「あ?」


「あ、あ、貴方様は……貴方様は一体……」


「てかさ!そのっつの、辞めてくれる!?俺には那由汰って名前があるんだから!那由汰って呼んでくれ」


「は……はぁ。……では、な……なゆ、那由汰……様は?」


ぁ?」


「……は、はいっ!す、すみません!!!那由汰……那由汰……様!初めて会ったばかりのお人の名前を呼び捨てにするような不躾な真似が苦手でして……そのぉ……那由汰……様……」


 那由汰は「ふん」とひとつ、諦めたような溜め息をついた。


「まあ、いいや!お前の好きなように呼んだらいい。……さぁて、そろそろだなぁ」


 そう言うと、永逞は立ち上がって、階段のほうへと向かいました。


「ま……待って!な、那由汰……那由汰!!」


 私は初対面だというのに、那由汰に「様」をつけるのを忘れていました。

 あんなに那由汰に怯えていたのにも関わらず、私はひとりにされることに狼狽したのです。


「どこへ!?」


「どこへって……見てりゃあ、分かる!」


 ――外は土砂降りだろう?


 そう言おうとした私を置いて、那由汰は階下へと駆け出しました。


「ま……、待って!!!」


 私も床を転がるように這って、那由汰の後を追います。


「……来た!!!」


 階段口から顔を出し下を覗くと、那由汰が空を見据えて太刀にを手にし、腰を深く落としました。

 私も階段を降り、何事かと思って那由汰の見上げるほうに目線を上げました。


「……なっ!?」


 私は声が出せませんでした。


 ――何だ!?アレは!?!?!?


 黒い木炭のような雲間にザンバラ髪に髭面の男の首が現れたのです。痩せこけて突き出た頬骨の奥で黄色の大きな目玉がぎょろりと動いて那由汰を睨みます。男は


「カァァァァァァァァッ!!!」


と空気が漏れるような不快な音を上げながら大きな口を開け、首だけの姿で那由汰に向かって矢のように飛んできました。

 那由汰のほうもザッと後ろ足を踏み込んで太刀をかまえ、飛んでくる首に向かって全速力で走っていきます。


 そして、次の瞬間――。

 首だけの男の大きく開いた口の中に那由汰が飲み込まれした。

 というよりも、那由汰の方から口の中に飛び込んだ。


 あっという間の出来事でした。

 那由汰が飲み込まれた直後、私は男に喰われた那由汰はどこに行くのだろうと思いました。男は首だけで腹がないのです。

 茫然として愚にもつかない考え事をしている場合じゃない。

 ええ、そうです。

 考え事をしている場合ではありません。

 もごもごと口を動かし咀嚼するために喉を上げた「首」と、私は目が合ってしまったのです。


「……あ……あ……」


 私は声が出せませんでした。体の震えが止まりません。もはや私の身体は私の意思でどうにかなる状態ではありませんでした。股間からはダラダラと小水が漏れていきます。

 ふわふわと宙に浮いた「首」が私の一寸先まで飛んできました。

 「首」は私の顔を、そのぎらぎら輝くまなこで舐めるように眺め回してきます。黒々とした鼻の穴にはびっしりと鼻毛が生えていました。


「ま……ひ……」


 何事か言おうと開いた男の口からは酷い口臭がしました。

 しかし、私は動けない。

 顔を近づけてきた男から、目だけ動かして視線を逸らそうとするのがやっとです。


 私は思わず下を向きました。

 ぽたりぽたりと赤黒い液体が地面に落ちています。

 それが鼻血だと気づくのに時間はかかりませんでした。

 私ははっとして目の前の「首」を正面から見ました。

 

 眉間から刃がにゅっと突き出る。

 頭が左右真っ二つに裂けました。


 ――ビュッ


 私の視界を赤いものが遮ってベッタリと顔にかかります。

 裂けた頭の中には、血塗ちまみれの那由汰が立っていて、私に向かって嗤っていました。


 私の顔にかかったのは、巨大な「首」の脳漿のうしょうなのだなと気づいて、私の記憶はしばらくありません。

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