承 弐

「私の兄、兼久が朱時様の神工鬼斧しんこうきふの技の噂を聞き、剱持国まで使いを出してお呼び立てしたのは真人様もご存知の通りでございます。

 しかし、兄が朱時様に彫ることをお願いしたのは仏様ではございませんでした」


「仏様ではなかった、と言うと?」


「兄が朱時様に彫るように依頼したのは自らの像でした。

 朱時様はこの依頼を聞くと少しお考えになって、


『私が仏彫るのは、極楽浄土をうつつに見せて、人々の心を慰めるものでございます。現の人を彫ったことはございませんので……』


と答えてお断りになりました。


 しかし、兄は聞きませんでした。自分が望むものはすべて手に入ると、兄は思っておりました。父の久邇秀は摂政を勤めておりましたし、天皇の叔父にあたる自分もいずれそうなると信じておりましたから。

 兄は朱時様から仕事道具を取り上げて、首を縦に振るまで幽閉しました。


 そんな兄の傲慢に根負けした朱時様は、遂に兄の像を彫ることを引き受けました。朱時様はの部屋からは昼も夜ものみを振るう音が聞こえてきました。寝食を忘れてお仕事にのめり込まれるのですね。


 ひと月ばかりかかったかと思います。兄そっくりの等身大の像が出来上がり、兄はたいそう喜びました。

 像にはまるで兄のたましいが宿ったようでございました。

 見た目がそっくりでしたら、においも移るのでしょうか。飼い犬すら主を間違ったのでございましょう。

 じゃれついた犬が像を倒して首を折ってしまったのでございます。

 それと時を同じくして、兄自身も首を折って亡くなってしまいました。


 跡継ぎを失った父は、すぐさま犬を棒で打ち殺しました。

 犬だけでは気がおさまらなったのでございます。

 父は――。父は――朱時様を捕らえて……」


「葉津歌様、もうしましょう。知らぬ者に御身内おみうちの恥を晒すことはございますまい」


「いいえ、直丞。土岐様にはお話せねばなりません。……直丞、貴方から話してもらえますか?」


「しかし……」


わたくしの命令が聞けぬというのですか?」


 阿部様はちょっと躊躇ためらわれて重たい口を開きました。


「……久邇秀様は、朱時様が二度と彫り物ができないようにと、その両腕を斧で切断し、地下牢へと首輪で繋いだのだ」


 唖然としました。

 像を彫っただけの先生が何故そのような仕打ちを受けなければならなかったのでございましょう。


「久邇秀様は


『朱時の彫った像が兼久のたましいを奪ってしまったのだ』


と仰せられた」


「たかが彫り物が人間の霊を奪うだなんて!そんな馬鹿な!!!

 先生は未だ牢に繋がれているのでしょうか?」


「いや。朱時殿はこの屋敷にはおらぬ」


「では、どこへ!?両腕がないのでございましょう!?そのようなお身体からだの先生を一体どこへやったというのです!?」


「……牢番の話によると、腕を斬って三日後の晩、朱時殿は呻きながら『のみをくれ』と申されたのだそうだ。牢番は『朱時には構うな』と命じられていたものの、不憫に思って、のみを一本牢に投げ入れたのだと言う。

 明け方、牢を覗いてみるともぬけの空。

 明かり取り用の天窓が開いていたのだが、身の丈の倍以上の高さにあるし、両腕の使えない者がじ登れる訳がない。

 屋敷中くまなく探したが、朱時殿は忽然と消えたのだ」


「先生が消えた?

 それでは……先生の行方について、手がかりはないのでしょうか」


 阿部様が黙って、葉津歌様に目線を移しました。葉津歌様は閉じていた目をそっと開け、口を開きました。


「朱時様のいなくなった日の明け方、臣の屋敷から大きないぬが北へと飛んで行ったというのを見たという者が数多くおります」


「大きな狗?北へと向かったその狗がともすると先生の居所を知っていると?」


 葉津歌様は頷きました。


「そして、朱時様がいなくなった翌晩からなのでございます――妖怪が都に襲来し始めたのは」

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