饂飩と蕎麦の食い方

HiraRen

饂飩と蕎麦の食い方


 立ち寄ったデパートの食品売り場で「赤いきつね」と「緑のたぬき」を見つけた。

 僕は「あっ……」と思って立ち止まり、それを手に取った。

 百三十円で販売されていたのは「緑のたぬき」で、軽く容器をふったらシャカシャカと音が鳴った。

 その音がどこか懐かしくて「うん……」とひとりでに頷いていた。


「専務ッ、すいません! 遅くなってしまいまして」


 スーツを着た部下の木村が「助かりましたよ、トイレを借りられて」と破顔しながら戻ってきた。彼は息を弾ませながら腕時計を見て。


「十四階の窓口ですので、あちらのエレベーターで行きましょう。今日中にお歳暮の手配を取らないと……間に合わなくなっちゃいますから!」


 そう言っておっちょこちょいな木村は、慌ただしくエレベーターホールへと駆けていく。

 本当なら木村のあとに続いて歩き出さなくちゃいけなかったのだが、手にしていた

「緑のたぬき」が妙に手離れが悪くて……。

「あれ、専務どうされましたか?」

「……うん。ちょっとな」


 はて、と木村は小首をかしげてそろりそろりとこちらへ戻ってくる。

 従業員数三十名ほどの小さなリフォーム会社で、今日は大口の取引相手にお歳暮を贈る段取りを組むために、池袋のデパートまで来たのだ。

 雑用を買って出てくれる木村は「そんな、専務がじきじきに来ることなんてないですよ!」と両手を振っていたが、僕も同行することにした。


「木村さんは、これ、食べたことある?」

「『緑のたぬき』ですか? 俺は『赤いきつね』派ですね。郷が徳島なので、どちらかと言えばうどんの方が馴染みがありまして!」


 なるほど、と僕は頷く。

 軽く容器を振る。

 シャカシャカと固形物が容器の内側を滑る音が聞こえる。

 懐かしい、学生時代の音だ。



* *



 僕は東京の板橋区で育った。

 東京に実家がある、と言うと裕福だと誤解されるが、そうではない。

 僕の幼いころに父親が亡くなり、母が女手一つで育ててくれた。

 板橋区の貧民街で、これといったスポットがないわりに家賃が高く、都営三田線は棄てられたように線路が分断されたまま、寂れ続けていた。

 頭が悪かったせいで、国立の大学に進むことが出来なくて……母親になんども頭を下げて私立の大学に入れてもらった。バカ高い入学金と授業料に目を剥きながら、昼は学校へ、夜はバイトへ……という生活を始めた。

 時代遅れの苦学生だったけれども、後悔はしていない。

 日本文学科で近代文学と古典を専攻した。

 書籍は高く、テキストも高かった。

 筆記具や勉強道具を買いそろえるのでバイト代は飛んでしまって、生活費はカツカツに切り詰めなくちゃいけなかった。

 日本文学を専攻してなんの役に立つの――?

 そんな疑問が自分自身にも、まわりの人たちにも、あった。

 大学二年の春に、僕は所属していた『国文学研究部』を退部した。

 文化系の部活動であったけれども、年間の部費が払えないので退部を申し出た。

 そのとき、引退した四年生の先輩が言った。


「荒川の土手っぷちにある『ヤマヤ蕎麦』に行ったことはあるか?」


 ヤマヤ蕎麦という名前は聞いたこともない。

 そもそも外食する余裕なんてない。

 いつも同じ服で、すり減った鉛筆を握りしめて、腹を空かせていた僕に先輩は言った。


「俺が大学を卒業できたのは『ヤマヤ蕎麦』のおかげだ」


 そう言って先輩は「北大路魯山人の『鮎の食い方』だ。万歳、ヤマヤ蕎麦」と謎の言葉を残して去って行った。

 僕はバイト前に半信半疑のまま『ヤマヤ蕎麦』へと向かった。

 荒川から街を守る土手は高く、それでいながら緑が多くて開けていて……沈みゆく夕暮れのなかに薄い白い月と気の早い星がわずかに輝いていた。そう言うものが、東京のビルに邪魔されずに見える場所が、土手でもあった。

 町工場やトラックターミナルが密集する。工業団地と外国人団地、それから僕らの住む安くないボロアパートが、昭和の時代の名残を今に伝えている。

 団地の近くで割れた看板を表に出している『ヤマヤ蕎麦』はすぐに見つかった。

 店内に入るべきか戸惑ったけれども、なかから感じられる美味の匂いに誘われて僕はぎゃらぎゃらと砂を噛む横滑り扉を開けた。湯気と熱気のこもった古い店内で、ギイギイと鳴く椅子の音と饂飩と蕎麦を啜る音が、満ち満ちていた。

 割烹着のおばちゃんが「いらっしゃい」とぶっきらぼうに言い、僕は慌ててメニュー表を探した。

 先輩が言うほど安くない。

 饂飩と蕎麦はそもそもが安いが、その金額すら僕にはつらかった。


「あ、いえ、実は……」


 言い淀んでいると大将と思しき背の低いおじさんが「おい、手帖だ」と言った。

 おばさんは「あいあい」と言って通帳のような手帖を差し出した。


「あんた、名前は?」

「えっ」

「名前だよ。蕎麦、食いに来たんだろう?」

「えっ、ええ……。あの、高村幸一です」

「タカムラ、コウイチ……ね。何玉欲しいんだい」

「何玉……?」

「うどんか、そば、何玉欲しいのって」

「あっ……」


 僕は店内を見回して、作業着姿の労働者がずるずると啜る音を聞き、生唾をごくりと呑み込んだ。


「おそばを、その、ひとた……いえ、ふたたま」

「ふたたまね」


 おばさんはそう言ってビニール袋に固まったお蕎麦をふたつ放り込んで、手帖と一緒にこちらに渡してきた。


「あの、お代は……?」

「年末に、一括でいいよ」

「年末に一括……?」

「そうだよ。皿にあけて湯をかけて、フタして食べな」


 うどん帖と書かれた小さな手帖には、今日の日付と『そば ふたたま』と記載されていた。

 僕は軽い混乱を覚えながらふらふらしていたら、常連客らしい人たちがぞろぞろと入ってきて、店内はさらに慌ただしく、忙しく、熱気と湯気の匂いに満ちた。



 翌日の早朝に、僕は『ヤマヤ蕎麦』からもらったビニール袋をといて、カチコチにかたまった二玉の蕎麦と対面した。

 バイト終わりの眠気と冬の寒さに身を縮こませながら、早朝の自室で湯を沸かす。

 ビニール袋に入っていた蕎麦を底の深い皿に移して、湯を注ぐ。そのうえに木製の蓋を置いて……三分ほど待った。

 ビニール袋の奥に残されていたふたつの袋……。

 そこに『緑のたぬき』と書かれていた。

 僕は「あっ!」と思って梱包を破り、粉末スープを入れる。

 遠い昔に食べた記憶のある東洋水産の『緑のたぬき』が、即席で出来上がった。

 どうして『ヤマヤ蕎麦』が『緑のたぬき』をビニール袋に入れてくれたのか。

 そんな考えを巡らせるより空腹と寒さに押しつぶされて、むさぼるように麺を啜り、スープを飲み干した。

 乾麺と粉末スープとうどん帖……。

 久しぶりの満腹に腹を抱えながら「ふぅー」っと夜明け前の部屋に熱い息を吐いた。

 口の中が火傷してしまったのか、少し痛い。

 でも、そんな痛みは幸福な痛みだった。

 僕は先輩が言っていた北大路魯山人の『鮎の食い方』を思い起こす。

 北大路魯山人が少年期に、鮎の頭と骨ばかりをたくさんもって現れる魚屋と出会うエピソードがある。鮎のあらだ。鮎のうまい部分を京都の有力者が注文して、その余りを魚屋が持っていたというハナシだ。

 僕はふと合点する。


「きっとどこかの有力者が、さくさくの天ぷらやふわふわの御揚げだけを抜いて、麺と粉末スープを捨ててたんだ。もしかしたら『ヤマヤ蕎麦』は、そんな捨てられてしまう部分をくれたのかな……」


 翌日も、その翌日も『ヤマヤ蕎麦』に通った。

 うどん帖を提出して、饂飩や蕎麦の乾麺と粉末スープをビニール袋に入れてもらう。それらは『緑のたぬき』であり『赤いきつね』の乾麺と粉末だ。

 あるとき、大学の一角で四年生の先輩と再会した。

 僕と同様に苦学をして、ちょっと偏屈な先輩は言った。


「どうだ。『ヤマヤ蕎麦』行ったか?」

「行きました。素晴らしいところでした」

「俺は二回も年末に支払いが出来なかった。でも、正月から、また新しいうどん帖をくれたんだ」


 彼はそう言って笑って。


「卒業までに、全額払う。もし払えなかったら、初任給で払いに行く」


 僕は頷く。頷いて。


「鮎の食い方に」

「北大路魯山人に」


 と言葉を交わして「ヤマヤ蕎麦と緑のたぬきに」と言ったら。


「俺は赤いきつねが好きなんだ」


 先輩はそう言って春に卒業していった。

 僕が大学を無事に卒業できたのは、母のおかげでもあるけれども……『ヤマヤ蕎麦』のおかげでもあるし、赤いきつねと緑のたぬきの御揚げと天ぷらだけを食する有力者のおかげでもあった。

 文学がどんな役に立つかなんてわからなかったし、実際に卒業してから社会で役に立った記憶はない。

 でも、北大路魯山人が『鮎の食い方』で教えてくれたように、僕はヤマヤ蕎麦で『饂飩と蕎麦の食い方』を学んだ。

 それは東京の貧民街で働く末端の人々こそが大切であり、本当に寄り添った価格帯で商品やサービスを提供しなくちゃいけないという『いまの経営方針』につながっている。



 僕はぽかんとしている木村に言った。


「これにしようか、お歳暮」

「えっ……なんですって、専務?」

「建設さんに送るお歳暮さ、缶詰の詰め合わせとかじゃなくて……この『緑のたぬき』と『赤いきつね』にした方が、みんな幸せになれるんじゃないかなって。もちろん、予算内でやるよ」

「よ、予算内って……! 三十万ですよ」

「……うん。だから、三十万円分の『緑のたぬき』と『赤いきつね』を買って、大口の建設さんに届けよう。現場の下請けさんと食べてくださいって。そっちの方がいいと思うけど、どうかな」


 木村はしばらく逡巡してから。


「でも、三十万円分のカップラーメンって、すごい量になりますよ……?」

「たくさんの人に温まってもらった方がいいじゃない。従業員や現場の作業員が、やっぱり一番大切だから」


 僕はそう言って視線を食料品売り場のレジカウンターに向けた。


「三十万円分、買おっか」


 喜んでもらう方がいい。


 ヤマヤ蕎麦が与えてくれたものを、いま、僕が誰かに返すのだ。

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