幕間 最強種と魔法師団長

 その日の夜、与えられた部屋のベッドで眠りについていたアトルッセは、ふと目を覚ました。窓の外を見れば、満月に近い月はまだ高く、未だ開ける気配のない紺碧の空は、まだ夜が深いことを物語っていた。

 いくらヴィレクセストの力で身体の全てが元の通りに戻ったとはいえ、アトルッセ自身、肉体的にも精神的にも疲労は濃かったはずだ。だというのにこんな夜更けに目が覚めたということに、彼の胸が大きくざわつく。

 そんな得体のしれない焦燥感のままに、アトルッセはベッドから起き上がって、手早く衣服を着替えて部屋を出た。そしてそのまま、階段を降りて玄関へと向かう。

 ざわつきが大きくなる方を目指し、外に足を踏み出した彼は、小貴族の別邸にあるようなサイズ感の庭まで進んだところでその歩みを止めた。そして、視界に飛び込んできた光景に思わず息を飲む。

 庭の中心にあたるそこには、青白く光る水が滾々と湧き出る泉があった。

 アトルッセがこの邸宅に来た夕暮れ時には、確かに影も形もなかったものだ。それが、今こうして目の前に存在している。

 そのこと自体もアトルッセを驚かせたが、それよりも彼の意識を引いたのは、泉の中に佇むヴィレクセストの姿であった。

 長い髪を泉の中で揺らしながら、目を閉じて静かに泉に身を沈めている彼は、アトルッセの存在に気づいたのか、ゆっくりと目を開けて彼の方へと視線を投げた。

「……勘が良い奴だなぁ。いやまあ、その辺も含めて王の器なんだが、その野生じみた直観力というか第六感というかは、間違いなくうちの公爵令嬢以上だよ」

 出会ったときと変わらない、砕けた口調で出された声には、どうにも覇気がない。明らかな疲労が滲んでいるそれにアトルッセが僅かに眉根を寄せれば、ヴィレクセストはぱしゃりと水音を立てながら、ひらひらと手を振った。

「用件があるなら聞くぜ、団長殿」

「…………この泉はなんだ。そこで一体、何をしている」

 落ち着かない胸がざわざわと騒ぐのを感じながら、アトルッセが問う。それを受けたヴィレクセストは、泉に身を沈めたままで空を見上げた。

「こりゃあ、あれだ。俺の種族専用の鎮痛剤みたいなもんさ。ちょうど良い場所がないんで、一時的にここに召喚したんだ。で、俺は療養中」

「鎮痛剤、だと?」

 問い返したアトルッセに、ヴィレクセストが頷く。

「まー、ちょっとな、……端的に言うと、無理をしすぎた。気ぃ抜くと意識が飛びそうだったんで、不本意ながら致し方なく一時凌ぎをしている。そんな感じだ」

「おい、待て。それだけでは意味が判らん。順を追って説明しろ」

 今度こそ盛大に顔を顰めてそう言ったアトルッセに、ヴィレクセストが困ったように笑った。

「そうなるよな。原因は色々とあるんだが、……一番大きいのは、あんたを助けるときに支払ったコストかね。なにせ、万人分の魂を全て俺が補填したんでな。肉体機能のおよそ五分の一を持っていかれた。ま、五分の一で済むあたり、俺の価値が判るってもんだろ。あんたがもっと死にかけだったら、場合によっちゃあ半分くらい持ってかれてたかもしれねぇけどな」

「なっ、」

 さらりと言われた言葉に絶句したアトルッセが、続く声を出せぬままにヴィレクセストを見る。そんな彼に、ヴィレクセストはやはり目を細めて笑った。

「別にあんたが気にすることはねぇぞ。あんたを助けること自体は、公爵令嬢が望んだことだからな。でもって、王になる前からあの子の未来の民を奪うのはあまり歓迎されたことじゃねぇなと思ったから、俺の独断で支払う代償を俺自身に設定したってだけだ」

「……王になるのだからこそ、失う痛みを知るべきだとは思わなかったのか」

「思ったさ。だからこそ、全てが終わるまで種明かしはしなかっただろ。大きな犠牲を払ってでも選ぶべきものを選ぶ経験てのは、王になる前に是非ともして貰いたいことのひとつではあったが、あの時点で本当に民を奪う必要はどこにもない。勿論、それで選択への責任感やらが薄れるようじゃ困るが、あの子はその程度の人間じゃねぇし、次も俺がどうにかしてくれるなんて甘いことは考えねぇだろうよ。だったら、一度くらいは肩代わりしても良いと思ったし、してやりたいと思った」

 そう言ったヴィレクセストの声は穏やかで、それが本心からのものだとアトルッセは確信した。故に、彼はそれ以上ヴィレクセストの選択をとやかく言うことはせず、代わりにもっと必要なことを口にすることにした。

「鎮痛剤、と言ったな。つまり、治癒の見込みはないと考えて良いのか」

「あー、聡い聡い。俺としちゃあ面倒だからそこまで気が回らなくても良いんだが、仰る通りだ。まあ、俺は姿形を自在に変えられる種だから、失った分を補うことは造作もねぇんだが、……概念的に表現するのであれば、左肩から先がごっそりない状態だ。治癒の見込みは一切ないし、それどころかこの傷はじわじわと俺を侵食していくだろう。加えて、ごく短時間のものとはいえ、時間停止の特権を使ったこともかなりでかいな」

「時間停止、だと……!?」

 聞いたこともない現象に、アトルッセが大きく目を見開く。

「あー、この世界にはない力だったな。っつーより、時間停止系はあまりに干渉値が高すぎるんで、特別な世界においては絶対に有り得ない力で、それ故に近似的に特別な世界になりつつあるこの世界でも普通は使えないんだが、……俺の種は特権として、そういう禁じ手がある程度許されている。が、禁じ手なだけあって負担もでかくてな。少し使っただけでこのザマなんだよ」

 そう言ったヴィレクセストが両腕を泉から出し、そこにふぅっと息を吹きかけた。すると、幻影が解けるようにして彼の腕が見る見るうちに色を変え、闇夜よりも黒く染まった皮膚が露わになった。両腕の指先から肘上あたりまでを覆う黒は、あらゆる光を呑み込むのではないかと思うほどに暗く、そのあまりの深さに、アトルッセは本能的な恐れを抱いた。

「予定では、この時点でこれが片腕分、って感じだったんだが、見ての通り両腕ともに真っ黒な有様だ。簡単に見積もるなら、予定の倍の速度で侵食されていることになる」

「待て、予定とは一体何のことだ。それではまるで、いずれその黒に覆われ尽くすような言い方ではないか」

 そう言ったアトルッセに、ヴィレクセストはぱちりと瞬きをしたあとで、頷いた。

「その通りだ。この黒は、俺が特別な力を使えば使うほど俺の身体を蝕む。そして、黒に覆い尽くされたときが、俺の終わりだ。この泉は、それに伴う痛みをある程度緩和してくれる麻薬みてぇなもんかね。あんたに麻薬っつって通じるかどうかは判んねぇけど」

「言いたいことは理解できる。……あの娘は、このことを知っているのか」

 僅かな躊躇いののちに投げかけられた問いを受け、ヴィレクセストは静かに首を横に振った。

「いいや。何かしら感じてることはあると思うが、話してはいねぇからな。少なくとも、今俺の話を聞いたあんたほどは知らねぇはずだ」

 その答えに、アトルッセが目だけで、何故話さないのかと問うた。それを見たヴィレクセストが、小さく肩を竦める。

「時がくれば話すが、今はまだその時じゃない」

 はっきりと言われ、アトルッセは少しだけ沈黙したあとで口を開いた。

「お前の主も知らない話を、俺が聞いて良かったのか」

「選ばなかったってだけで、あんたも特異点だからな。王の器が相手なら、知られて困るってことはない。……それに、こういうことを知る人間がいた方が、公爵令嬢にとっても多少の慰みになるだろ。多分な」

「……信頼する相手から重要なことを秘匿された上、他の誰かにはそれを話していた、というのは、あまり愉快なものではないと思うが」

「そりゃあそうだろうが、重要なのは個人の感情よりも大局だ。公爵令嬢なら、そう説明すりゃあ感情的には納得できなかったとしても、理性的に飲み込むさ」

 あっさりとした声で言われたそれに、アトルッセが思わず眉根を寄せる。

「…………貴様は、あの娘に甘いのか厳しいのか判らんな」

 恐らく素直な感想だったのだろうそれに、ヴィレクセストは一瞬だけ自嘲するような表情を浮かべた。

「俺は間違いなく、あの子に誰よりも厳しいと思うぜ。それこそが、俺の役目だからな」

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悪役令嬢扱いされて婚約破棄&国外追放された私ですが、最強種に見初められたので世界を統べる覇王を目指します 倉橋玲 @ros_kyo

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