令嬢と魔法師団長 7

 大監獄ガルシャフレにてアトルッセ・オートヴェントの奪還に成功したアルマニアたちは、彼を連れて拠点であるヴィレクセストの家へと帰ってきた。

 アトルッセが牢から消えたとなれば、恐らく大変な騒ぎになった挙句、折角秘密裏に動いているレジスタンスやアルマニアたちの存在まで嗅ぎ取られてしまいそうだが、その点については、ヴィレクセストが上手く処理をしてくれた。この世界における幻惑魔法と情報魔法、そして創造魔法とを組み合わせた彼は、見事にアトルッセの精巧な偽物を作り出し、それを牢に置いてきたのだ。曰く、そんなに長い時間保てるものではない、とのことだったが、それでもひと月程度は誤魔化せるだろうという話だったので、ひとまずアトルッセ奪還に関する懸念はなくなった。

 そんなこんなで退却後の後処理の方も滞りなく行ってきた一行は、帰路の途中でアルマニアとヴィレクセストに関する話や、二人がこの国へ来た経緯などをアトルッセに説明しつつ、帰宅してすぐに食事を取ることになった。アトルッセは今すぐにでもレジスタンスのところへ連れて行けと主張したのだが、アルマニアもヴィレクセストもそれなりに消耗したからという理由で、その日はひとまずゆっくり休むということで話が纏まったのだ。

 纏まったと言っても、アトルッセはあからさまに不服そうではあったが、二年振りに口にするまともな食事、それもヴィレクセストが宮廷料理人顔負けの腕を振るって用意された品ということもあってか、不満そうな顔はそのままにも、彼は出された食事を大人しく胃に収めることに徹していた。

 一方のアルマニアも、極度の緊張状態のなか様々な経験をしたせいか酷い空腹状態だったため、作り立ての料理たちをせっせと口に運んだ。

 そんな風に会話のない食卓に料理を運んでは次を作って、を繰り返していたヴィレクセストは、締めのデザートとしてフルーツがたっぷり乗ったタルトをテーブルに出し、紅茶を淹れたところで、ふと思い出したように口を開いた。

「そういやぁ、団長殿を回復させるのに使ったコストのことなんだが」

 アルマニアがタルトを口に入れたところで突然切り出された嫌な話題に、彼女は一瞬噎せそうになった。アトルッセの方も、紅茶を飲もうとしていた手を止めてヴィレクセストを睨む。だが、一方のヴィレクセストは、二人の反応など気にもしない様子でのんびりと言葉を続けた。

「結論から言うと、この世界の生き物の魂はひと欠片も使ってないから安心して良いぞ」

「は、はぁ!?」

 しれっと言われた言葉に思わずはしたない声を上げたのは、勿論アルマニアだ。声こそ出さなかったものの、アトルッセもまた目を丸くしてヴィレクセストを見た。

「待ちなさいヴィレクセスト! どういうこと!?」

「どうもこうも、他でコストを払ったからこの世界の魂には手を出してないって、それだけの話だが?」

「何がそれだけなものですか! 貴方が万の民と引き換えだっていうからあれだけ悩んで決めたのに、必要なかったってことなの!?」

 ばんっと机を叩いて立ち上がったアルマニアに、ヴィレクセストが目を細める。

「いいや、必要だったさ。けど、俺の独断で、今この状況においてそれを実行するのは得策ではないと判じた。だから、ちょっとした裏技を使ったんだよ。もっとも、そう何度も使えるもんじゃねぇから、次に同じことをしようと思ったら、そのときは本当に万の魂を差し出すことになるけどな」

 まるで世間話をするときのような調子で言うヴィレクセストに、アルマニアは僅かに息を呑んだあとで、真剣な顔で睨むようにヴィレクセストを見た。

「……何をしたの」

「別にそんな特別なことはしてないさ」

「何をしたの、と聞いているのよ。答えなさい、ヴィレクセスト」

 静かな、しかしどこか責めるようにも聞こえる声で言われたそれに、ヴィレクセストが彼女を見つめる。

「食い下がるなぁ、公爵令嬢」

「万の魂を必要とするほどの力を、その犠牲なしに成し遂げたのでしょう。裏技と言っても、相応の何かを支払ったはずだわ。それを命じたのは私なのだから、私にはそれを知る義務がある」

「……なるほど一理ある。が、こと今回においては、あんたが知る必要はねぇし、その義務もねぇよ。あんたは支払うべきものを正しく理解し、選択し、決定した。それを途中ですり替えたのは、俺の勝手だ。だから、これに関する義務や責務があるんだとしたら、それは全部俺のものだ」

「ヴィレクセスト」

 アルマニアが咎めるように彼の名を呼んだが、彼は小さく笑って首を横に振った。

「いくら甘えても言わねぇぞ。俺はな、あんたに必要以上の何かを負わせたくはないんだ。……俺の我が儘ってことで、今回は大目に見てくれよ」

 低く柔らかなその声は優しさを含んでいると同時に、明確な拒絶を示している。それを理解したアルマニアは、開きかけていた口を閉じて、ぐっと拳を握った。

「っ、勝手になさい! 私はもう入浴を済ませて寝るわ!」

 叫んだ彼女が、がたんと音を立てて椅子をどかし、そのまま部屋を出て行こうとする。その背中に、ヴィレクセストが声を掛けた。

「公爵令嬢ー、タルトの残りはどうするー?」

「~~~っ! 明日きちんと食べるから包んでおいて!」

 そんな叫びと共にアルマニアが部屋を出て、ばたんと扉が締められる。それを楽しそうに眺めていたヴィレクセストに対し、ゆっくりと紅茶を嚥下したアトルッセが静かに口を開いた。

「俺が彼女の立場だったとしても怒りを覚えたとは思うが、それにしても随分と幼稚な王だ」

「そう言うなって。あの子なりに甘えてんだよ。俺が作ったタルトを捨てずにとっとけってことは、今はまだ整理できないからお前と話をするのは嫌だけど、お前のことが嫌いな訳じゃないから落ち着くまで少し待て、ってことさ。かわいいと思わねぇ?」

「思わん」

 間髪入れずに返ってきた答えに、ヴィレクセストが苦笑する。

「お堅いなぁ。まあ、かわいいから惚れたって言われたら困るから、俺としちゃあ全然構わねぇけど」

「……彼女こそが王に相応しいと言う割に、随分と甘やかすのだな」

 ぽつりと投げられたそれに、ヴィレクセストは一度瞬きをしたあとで、アルマニアが出て行った扉の方へと視線を向けた。

「逆さ。あの子を王にするからこそ、王になるまでの間くらい、少しは甘えさせてやりたいんだよ。まだ王じゃないんだから、それくらいは許されるだろ」

「……理解できん」

 そう言ったアトルッセが、手元のティーカップに視線を落とす。

「大切なのであれば、何者も手を出せぬ場所にしまって守ってやれば良いだろうに」

 独り言のように呟かれたそれに、ヴィレクセストが僅かに目を開く。数拍の間言葉を失ったように黙していた彼は、ふっと小さく笑って目を閉じた。

「あの子がそれを望むなら、そうするつもりだったさ。けど、あの子はそんなことは望まない。そしてそんなあの子だからこそ、俺は心から愛し、こうあることを選んだんだ」

 欠片ほどの嘘偽りさえ感じさせないその声に、アトルッセは何も言わず、ただ黙って温くなり始めた紅茶に口をつけた。

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