2.夜霧の殺人

 暗い路地の奥に、深い霧が広がっている。


 廃棄されたゴミと、放置されたままの吐瀉物が悪臭を放つ。砕けたガラス片が退廃的な光景を映し出す。かつては鮮やかな色をしていたレンガの壁は、はがれかけた張り紙のようにぼろぼろになっている。


 今はまだ、夜明けには少し遠い時間だった。路地の霧の奥に、ぼうっと男の影が浮かび上がる。両手を握りしめ、小刻みに震える様子は、おびえた小動物のようだった。

 ガス灯の光は遠く、男の足元までは届かない。体の震えに耐えかねたように、男は握りしめていた手の中の懐中時計へと目を落とした。


 磨き抜かれた象牙色の文字盤で、短針が無情に時を刻みつけていく。じきに刻限だった。


 ――午前4時59分。

 男が待ちわびる時間まで、残りあと一分。


 カチカチ、時を刻む音がいやに大きく響く。男は、訪れる時を恐れるように時計を握りしめた。


 静かに、時計は時を刻む。約束の時間まで、あと十秒。


 十……九……八……七。荒い呼吸音が響く。六……五……四……三……二。


 いち。遠く、ロンデル塔の鐘が胸を押しつぶすように響き渡る。


「待たせたね」


 男は振り返る。相手の姿は闇に溶け込み、はっきりとは見えない。けれど、視界に広がった笑みは狂気をはらみ、男を捕えて離さなかった。


 男は一歩、のけぞるように後退する。しかし、微笑みのままに顔を近づけた相手は、そっと耳元で決別の言葉を突き付けたのだった。


「報いを、受けよ」


 肉を断つ鈍い音が響く。悲鳴はもれなかった。男の目は自分に起こったことに気づかぬまま、最後の光景を焼き付ける。



 落ちていく鮮血の赤と、真白の色をした『ナニカ』。

 それが何なのかを理解する前に、男の意識は闇へと溶けて行った。


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霧の町ロンデル怪盗事件簿 ~子猫の少年探偵、怪盗殺人事件の真相を探る~ 雨色銀水 @gin-Syu

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