Seed:2「怪盗or???」

1.出会うように落ちる

 ……あなたがどこかで生きていてくれるから、私は泥の海の下でも生きていられたのです。


 ※



 いつもと変わらぬ朝が訪れる。霧のサンシェントヴィラ十番街は、普段と変わらぬ姿を見せていた。


 かすかに濁った空気を吸い込み、アーサーは顔をあげる。視線の先を馬車が駆け抜けていく。馬も朝から大変だね。どうでもいいことを考えて、少年探偵は新聞で頭をたたいた。


「ミストヴァルトは、殺人紳士……かー……」


 新聞を開くと、でかでかとそんな文字が目に入ってくる。紙面を広げたまま歩き出しつつ、若干のいら立ちを込めて靴音を鳴らす。



 ――怪盗ミストヴァルトは殺人紳士!? 麗しきメイアーナ嬢の嘆き!


 ため息をついても、無責任な見出しは消え去ってはくれない。あのアンセル邸の夜から数日がたっても、新聞社はこぞって怪盗を悪しざまに書き続けている。


 だが、書かれている内容にあまり変化はない。ただ、残された令嬢メイアーナを悲劇のヒロインのように書きたて、怪盗を大悪党として吊し上げ続けていた。


 その中には目をそらしたいほど、汚らしい言葉で書かれているものもある。特に怪盗の支持者というわけではないものの、アーサーの眉は極限まで寄ってしまう。


「放っておけ、って当人は言ってるけど。さすがに人一人死んでいるんじゃ冗談で済むはずもないし……さて、どうするかな」


 考えたところで、いまだ答えには至っていない。少年探偵などと呼ばれたところで、できているのは迷いネコの捜索くらいのものだ。さすがに情けなくなって、アーサーは新聞をたたんで目を閉じた。


 能天気なようでいて、怪盗はその実なんでも見通している。目を閉じたままふらふらと歩きながら、アーサーは嘆息をこぼす。どうせわかっているなら、自分が悩む必要なんてないんじゃないかなぁ。


 事実、できることには限界がある。せめて、何か解決に至る糸口でも転がっていれば――。


 なんて、投げやりに思った罰が当たったのだろうか?


「きゃあっ!?」


 衝撃。吹っ飛ばされた。そう理解したのもつかの間。


 手から飛んだ新聞が降ってくる。思わず悲鳴を上げてよけた。が、続いてなぜかかごが落ちてきた! 訳が分からない。横に転がってかわしたものの、ずぼっと頭に布がかぶさってくる。


 呆然。座り込んでいるアーサーの周囲に、花びらが降り注いできた。なんだこれ。布から顔を出すと、白金色の長い髪に、白い花弁が舞い散っていく。


 ちょっときれいな光景だった。しかし、呑気に考えていられたのは一瞬だった。


「うごっ!」


 勢いよく、しかもタイミングよく。頭にかごがはまった。


「な、ちょ、見えない! なにこれどういう状況やだとってよ!」

「ちょっと、あんた何してんのよ!」


 頭からかごが引き抜かれた。どすっと妙な音がして、鼻が上に叩き上げられる。折れてないかな? 涙目で鼻を押さえて、アーサーは目の前に立つ人物を見上げる。


 印象的な金茶の瞳だった。最初にそう思ったのはきっと、その瞳に宿る光があまりにも強すぎたからだ。白金の髪に縁どられた顔は愛らしいのに、浮かべられた表情は皮肉っぽくゆがんでいる。


 可愛いけれども、少女の姿はどちらかといえばみすぼらしかった。茶色のチュニックとスカートはほつれていて、しかも少しサイズが小さそうだった。


 よくよく見れば、きれいな色をした髪もぼさぼさだった。アーサーが見ていることに気づき、彼女はきっと鋭いまなざしを向けてきた。


「何見てんのよ」

「え、ええと。だ……大丈夫?」

「大丈夫なわけないでしょうが! 何してくれてんのよ! あたしの商品が全部台無しじゃないのさ! あんたどう落とし前付けてくれるってのよ!」


 スラングでまくしたてられて、さすがのアーサーも口を半開きにする。労働者階級の使う言葉は、貴族の使うロイヤル・スペルとは大きく異なる。同じロンデルの人間であっても、属する階級が違えば言葉が通じないこともあったりするのだ。


 アーサーが使っているのは主に中流階級が使う言葉だが、それでも下流に位置する人々の言葉とは異なる部分が多々ある。かつては下流に位置していたアーサーだから問題なく通じる。が、他の階級の人々が聞いたらあまりの違いに驚くことは確かだった。


 しかし、そうはいっても少女の発音は綺麗だ。一部だけ聞けば、上流のロイヤル・スペルと遜色ないほどに。


「何ぼーっとしてんのよ! 聞いてんのボンクラ!」

「ぼ……そこまで言うことないだろ! 大体商品ってなんだよ! オレが何したって」

「あんたボンクラの上に目も腐ってんのね! あんたの周りの物が目に入らないの!?」


 あまりの言いぐさに、アーサーは顎を落とした。周りの物。といえば花しかない。無残に散った花たちを哀れに思う暇もなく、少女は足を強く踏み鳴らした。どうやら問い返すまでもなく花たちが商品らしい。


「この花? って、ぶつかってきたのはそっちだろ。なんで俺が罵られなくちゃならないんだよ」

「あたしが悪いっていうの? あんた男のくせに、女に責任をなすりつけるっての!?」

「な、なに言いだすのさ! 男も女も関係ないだろ! 責任をなすりつけてんのはそっちだ!」

「ふん、つまんない男ね。あたしがせっかく許してあげようって言ってるのに、わざわざ自分で首を絞めてホント馬鹿みたい!」

「な、なんでそこまで言われなきゃなんないんだよ! そりゃ、花がだめになったのは可哀想だとは思うけどさ」


 その瞬間、金茶の目がきらりと鋭い光を放った。それはまるで、肉食獣が獲物を捕らえるときの瞳に似ていた。嫌な予感がした。だが、慌てて立ち上がった時には何もかもが遅かった。少女は満面の笑みを浮かべるとアーサーのシャツをつかんだ。


「可哀想だと思う? あーあー、このままじゃお花が浮かばれないね。――買って? お願い!」

「買う? な、なに言ってるのさ!」

「ああ、よかった! 売れなかったら生活できないもんね。花はダメになったけど、これ全部引き取ってもらったら、ぶつかった甲斐があったわ。ぼろい儲け……うふ」

「い、いやな笑い方するなよ。っていうか、買うってまさか、これ、全部……?」


 周りを埋め尽くす花は、両手で抱えるくらいでは済まなそうだった。こんな数の花を、全部買い取る? 冗談だろ、と口にしようとしても、掴まれたシャツがちぎれそうなくらい引っ張られる。素敵な絵がをを浮かべた少女は、アーサーの予想に違わぬ答えを可憐な口から発した。


「そう、全部買って。それでぶつかったことは許してあげるわ」


 笑顔が憎たらしい。そう思える瞬間があると、アーサーは初めて知った。

 呆然とするアーサーの前で、少女は花をまとめ始める。本気らしい。いや、その量の花がいくらになるかなんて、考えたくもなかった。


「あ、あのさあ。まさか本気じゃないよね、ね?」

「何言ってるの。本気に決まってるでしょ。男なら一度言ったことは守りなさいよ」

「や、まだ買うなんて一言も言ってない」

「聞こえなーい、聞こえないよー」


 顔をひきつらせるアーサーの前で、巨大な花束が瞬く間に出来上がった。見事としか言いようのない早業だった。そのまま花束を押し付けられて、アーサーは愕然とそれを見つめることしかできない。


 花束はきれいだった。けれど、それを憎らしいと思う日が来るとは思わなかった。


「はい完成。ほらお金」

「ええ、本気で言ってんの」

「つべこべ言わない。買って」

「やだよ。花なんてこんなに持っててもしょうがない」

「買え」

「……はい」


 凶暴な光を宿す金茶の瞳を前にして、アーサーは陥落した。


 結果、所持金のほぼすべてを持って行かれ、代わりに手に入れたものは大量の花だ。アーサーは本気で泣きたくなった。恐ろしく上機嫌な声は、その心情になど構いもしない。


「よかったー、これでしばらくはやっていけるわね。ありがと、いいカモだったわ」

「カモって……。やっぱりそういうオチなわけ。もうやだほんと」


 大量の花を抱えたアーサーは、石畳に落ちたままの新聞を拾おうとした。しかし、当然ながらどうやっても届かない。花を一度おろせばいいのだが、そうするともう抱えられない気がした。


 仕方なく、アーサーは楽しげな少女に視線を向ける。拾って? 視線で呼びかけても少女はどこ吹く風だ。本当にひどすぎる。


「あのさ、悪いんだけどー。お願いだから、そこに落ちてる新聞拾ってくれない?」

「あたしが? なんでそんなこと。自分で拾いなさいよ」

「この状態で拾えと? あんなに金払ったんだからそれくらいしても罰当たらないだろ」

「しょうがないわね。これはサービスよ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、少女は新聞に歩み寄った。騒動の間に紙面がめくれ、ぐちゃぐちゃになった新聞を少女は拾い上げる。興味深そうに新聞を眺める様子に、アーサーは首をかしげた。もしかして字が読めるのか?


「へー。ロンデルもいろいろ変ってるわね。もうすぐ女王陛下の生誕祭があるの。それに一面はあのふざけた怪盗――?」


 唐突に少女は険しい表情で黙りこんだ。あまりに剣呑な顔にアーサーはさらに首をひねる。その間にも少女は体を震わせる。明らかにおかしかった。


 アーサーが声をかけようとすると、少女はかっと金茶の目を見開いた。ぶるぶると手を震わせ、新聞を握りしめる。


「……アンセル……ふざけんじゃないわよ」

「どうしたんだ……?」

「――っ、どうもしないわよ!」


 怪訝に思ったアーサーの顔に新聞が投げつけられる。よけることなんかできなかった。アーサーはもろに顔面で受けた。ぱぁんと音がして、火花が目の前で散る。涙がにじむ。けれどその元凶は、一目散に通りを駆け抜けていくところだった。


 その細い首筋にチェーンが光り、先についた金の棒と赤い石が光を弾く。


「あ、ちょっと! 待てってば!」


 慌てて引きとめても、少女が止まることはなかった。小さな背中が霧の向こうに溶け込んで消えていく。一瞬追いかけようかと思った。けれど、そうするだけの意義が見つからず、アーサーは深いため息をついた。


「……なんなんだよ、あの子。まったく今日は厄日か」


 花束を抱えなおしたアーサーは、落ちた新聞を必死に拾う。かろうじて読めるが、新聞はどう見てもぼろぼろだった。


「アルに嫌味言われるなー。あー、ホント嫌だ」


 力なく肩を落としながら、アーサーは道を歩き出す。少しだけ引っかかるものを覚えても、この感覚がどこにつながるのかがわからない。チリチリと頭の隅で主張をする違和感に、アーサーは頭を振った。


 一日の始まりを祝福するように、太陽は空へと昇る。いつも通りに時を刻む世界で、アーサーは最後に一度だけ背後を振り返った。



 ……それは本当に小さな、見過ごすべきではない波紋だったのだろう。

 しかし、その意味にアーサーが気付いたのはだいぶ後になってからだった。

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